オンとオフもなく、象徴としての務めを果たされているのだ。私たちには想像がつかないぐらい大変なことだろうし、時々は窮屈な思いをされるかもしれない。それなのに選挙権はなく、報道に対して反論もできない。不遜は承知でいうけれども、もし仮に自分の友人があの立場にいたとしたら、心が痛むと思うのだ。仕える人や警護の人たちに生活を守られていることは贅沢とは違う。
眞子さんと小室さんの結婚会見にはそれらしい華々しさもおめでたい雰囲気もまったくなかった。これから二人で新しい生活を始めるという決意表明とでもいったらいいだろうか。会見を「国民に啖呵を切った」と評していたのを見たけれど、うーん、あれを啖呵といえるだろうか。精いっぱいの反論だったかもしれないが、私はそんな印象は受けなかった。生まれて初めて「苗字」と「パスポート」を持った女性の意思的な門出をもう少し偏見なしで見られないのだろうか。
堂々と「私は眞子さんを愛しています」といった小室さんに、もうチャラさは感じない。二人とも、以前より大人びた雰囲気になっていた。そういえば、かつて婚約解消会見でその理由を「愛情がなくなった」といいきった有名人がいたのを思い出した。いろいろな事情があったのかもしれないが、公衆の面前でそういわれた女性はずいぶん傷ついたはず。
しかし、いつまで経っても謎なのは母親の元婚約者の“好待遇”だ。プロフィールはおろか名前すら報道されず、弁護士ではなく週刊誌の記者だという代理人を通して、自分の都合のいいタイミングで伝えたい情報だけを出してくる。この方の方が眞子さんよりよほど守られていると思う。代理人の人はずいぶんと権力をお持ちのようだ。だいたい400万円は大金である。一度は婚約までした女性にずいぶん時間が経ってから、それも子息の婚約のニュースがあって返済を求める前に解決できなかったのだろうか。