娘と桜並木を散歩(2021年4月)
《2021年5月31日(月)
朝、娘にミルクをあげて、洗濯をして、掃除機もかけた。
昼、テレワークで家にいた遠藤さんのために、ペペロンチーノに生卵を落としたパスタを作った。ぺぺ玉。ずっと、こういうことがしたかった。
家族と同じ空間で過ごす。家事をする。娘をあやして、抱きしめる。些細なことだけど、ものすごく尊く感じる。
いまの私は、腸が腫瘍で押しつぶされてしまったので、固形物は食べられない。24時間、点滴で栄養をとっている。痛みを抑えるために、麻薬を入れ続けているから、ぼんやりすることも多い。それでも、ただ生きてるだけでこんなに幸せ。
一生点滴でも、車椅子でも、絶食でもいい。ずっと、家族と一緒にいたい。
24年間でいまが一番しんどいけれど、一番幸せ。》
和さんと将一さんは、セカンドオピニオンを利用しながら、できる治療を探し回った。最終的には、東京・御茶ノ水にある病院で、抗がん剤治療を続けられることになった。
「治療のための入退院を繰り返してはいたものの、和は『普通の生活』を決して諦めませんでした。
体力的に娘を抱っこすることは難しくても、あやしたり、一緒に遊んだり、健診に連れていったり。
料理が好きだったので、入院期間中のための、ぼくのご飯と娘の離乳食の作り置きもしてくれました」(将一さん)
7月9日、娘は無事に1才の誕生日を迎えた。和さんは当時、こう話していた。
「朝、『パッパァ』って娘が初めて口にしたんです! ドレスを着た娘ちゃん、かわいすぎてどうしようと思いました(笑い)。プレゼントは小さいピアノにしました。
生まれたときは小さすぎて心配だったけれど、すくすく健康に育ってくれて、本当に感謝しています。娘ちゃん、一生懸命生きてくれてありがとう。来年もお祝いしたいです!」
和さんの体調は芳しくはなかった。続く絶食と、度重なる入院で体力が落ち、8月には車椅子で生活することも多くなった。
日記は、8月29日を最後に更新が止まった。
将一さんが振り返る。
「和は、日記を書き続けていました。手書きが難しくなると、スマホのメモ帳に打ち込んでいました。娘のために本を残す作業は、心の支えになっていたと思います」
娘はすくすくと育ち、最近は立って歩けるようになったという。
「四六時中動き回っていて、怪獣みたいです(笑い)。ずいぶん意思疎通ができるようになったと思います。もうすぐしゃべり出すのかと思うと楽しみです。娘が理解できる年齢になったら、『ママは素敵な人だったよ』『ママは全力で愛してくれたよ』と伝えたいです」(将一さん)
※女性セブン2021年12月9日号