理解できるようになった母の気持ち。そこに重なる自らの人生。大きくなる母の存在に比例して、父への感情も増幅していったのだろう。吉田は幼少期、1年のうち90日しか通学できなかった年もあるほど病弱で、家で寝込んでいることが多かった。そんなとき、吉田は枕もとで母から言い聞かせられていたことがある。
「拓郎さんはお母さんから、自分の考えが周りと違ったとしても、“自分の心に嘘をつかないで”“自分に正直にいなさい”とよく言われていたそうです。その言葉は、のちにミュージシャンになってからも大きな支えになったそうで、拓郎さんはそれを“母との約束”と表現していました。
今回のアルバムは、人生の集大成でもあるのでしょう。母への愛情と相反する拭いきれない父への思い。それも含めた、嘘のない“吉田拓郎”を伝えようとしているのかもしれません」(前出・吉田家を知る関係者)
こんなエピソードがある。1972年1月21日、吉田は発売1か月で40万枚以上を売り上げて大ヒットとなる『結婚しようよ』を発表する。しかし、その歌声が正廣氏に届くことはなかった。その11日前、正廣氏は仕事場でペンを握ったまま、脳出血で倒れて帰らぬ人となったのだ。わだかまりがあった父の死。吉田の反応は意外なものだった。
「お母さんがお葬式での拓郎さんの様子を、“拓ちゃんがいちばん泣いていて、1時間くらい泣き止まなかった”と教えてくれたことがありました」(前出・吉田家を知る知人)
集大成のラストアルバムは天国の母はもちろん、父にも届くことだろう──。
※女性セブン2022年2月10日号