菅田(菅生)家の面々
「お風呂で止めどなく涙が出てきたことも」
新:元々テレビっ子でしたけど、芸能界に入りたいなんて思ってなかった。成長してちょっといい顔になってきて、街中に行くとスカウトされる。友達の中で自分だけ声がかかったりすると、その気になってしまってね。それで事務所の推薦状を持ってオーディションにも行ったけど、落ちてしまう。でも落とされると悔しくなるわけ。有名事務所の大規模なオーディションでは、応募者6万5000人以上の中から31人の最終オーディションまで来たけど、やはり落選。それでもチャレンジし続けたもんね。
好身:それに「縁」も大きかった。最後にジュノン・スーパーボーイ・コンテストを受けてダメだったら諦めようってことになってたんです。そこでファイナリストに選ばれて、たまたまいまの事務所に所属が決まって、たまたま16歳で『仮面ライダーW』(2009年)の主演が決まって。もし歯車が違っていたら、今頃数学の先生になっていたかもしれません。当時は芸能活動と並行して、大学入学を目指していましたから。
新:仮面ライダーも決まったら決まったで、本当に大変でしたからね。あの作品で上京したんですが、何にもわかんなくて。関西弁しか喋れない。標準語がまず喋れなかった。演技の前の話ですよ。仮面ライダーは登竜門というけど、そこで埋もれる役者も多いし、長男も何度辞めて大阪に帰ろうと思ったか分からない。
好身:ダブル主演だった桐山漣君に随分と助けてもらいましたね。当時は大泉学園で桐山漣君の向かいのマンションに住んでいた。桐山君は料理ができるから、しょっちゅうご飯を食べさせてもらって、標準語も教えてもらった。
新:彼に助けてもらえなかったら、倒れていたかもしれません。深夜に撮影が終わって、翌朝早くにスタート。ほとんど寝ていません。しかも身長の伸び盛りの時だったので、睡眠不足は体にも堪えたでしょうね。172センチくらいで東京に来て、それから5センチは伸びたけど、あの1年をしっかり睡眠取れていたら、さらにあと5センチは伸びたはず。
好身:「つらい」って素直に弱音をこぼすこともあって。いつだったか私、お風呂に入っていたら、止めどなく涙が出てきたことがありました。母親って子供が身体の一部なので、半身もぎ取られた感じでした。上京したてのころ、長男は熱をしょっちゅう出していたので、その度に東京に行っていました。都内に自宅があれば、帰って来れたり友人と発散できたりするんでしょうけどね。地方から芸能界に出て行くのは想像以上に大変だったと思います。
新:長男が東京に出てしまって、次男が繰り上がって長男のようになる。だから次男もすごくしっかりした。いままではどうしても兄がいたら、兄の存在に甘えて、自分は好きなことをしてたらいいやんって部分がありましたから。
好身:もともと下の子たちは長男をずっと慕っていましたからね。うちは3人とも自宅出産だったので、下の子たちが生まれてくる瞬間を長男は見ていたので、弟たちがとにかく「愛しい可愛い」なんです。次男をお風呂で産んでいる瞬間を撮影したビデオを見ると、次男が出てきた瞬間、長男は「かわいいー!」と叫んでいた。