「パブリックイメージ」という言葉がある。その意味が気になるようになったのは、10年以上前、稲垣がインタビューか何かで答えていた言葉からだ。
「吾郎さんのプライベートはミステリアスですよね。お家ではバスローブ着て赤ワインのグラス片手に、みたいな」
というようなことを言われた稲垣が、笑いながら返した。
「それって、僕のパブリックイメージそのまんまじゃないですか」
なるほど、パブリックイメージという言葉はそういう時に使うのか。でも、日本中で「自分のパブリックイメージ」を意識する人って、いったい何人いるんだろう。そもそも世間一般にあたりまえのように知られ、共通認識を持たれるほど超メジャーであるのが前提だから。と思ったことがすごく印象に残っている。
それから10年ほどたった昨今も、稲垣はラジオ番組で、「僕ね、ちょっとピリピリに思われちゃうんですよね、パブリックイメージで」(TOKYO FM『THE TRAD』)と自虐的に笑いを誘ったり、雑誌のインタビューで、「グループでやってきたときのパブリックイメージっていうのは払拭しきれない部分もあるしね(笑い)」(『JUNON』)と語ったりしていた。
今回の舞台に向けて行われた『女性セブン』のインタビューでも、聞き手の山田美保子さん(コラムニスト・放送作家)にこう話している。
「ぼくはパブリックイメージではクールとかミステリアスなのかもしれないけれど、鈴木(聡)さん(『恋のすべて』作・演出)は、毎回、違った一面を素敵に描いてくださっている」
“稲垣吾郎”と言われて、世間一般の人々が漠然とイメージする姿は、誰の頭の中でもきっとほぼ変わらないのではないか。しかも30年以上ずっと。
写真や映像のように加工や修正のできない“生身の稲垣吾郎”を舞台上でリアルに目にして、それがいかに驚異的なことか、思い知った。
稲垣はいったい何才だったろうと調べたら、48才。シャキっとした佇まいやあの変わらないルックスをキープするなんて時間を止めているとしか思えない。「パブリックイメージ」という意識を強くもって確固たる基準があるから、そこから逸れないようにコントロールできるのだろうか、とか考えてしまった。