愛子さまの成年会見は完璧だった。30分間、手元の原稿を一切見ることなく、記者たち一人ひとりの目を見て語りかけられた。長所は「どこでも寝られるところ」、ご両親との思い出については3人で海に浮かべたサーフボードに座ろうとして「見事全員で落下した」と、時折ユーモアも織り交ぜられた。ご両親にどのようなお言葉を伝えたいかと問われた場面での「母の『生まれてきてくれてありがとう』という言葉に掛けて『生んでくれてありがとう』と伝えたいと思います」という返答は、心を揺さぶるお言葉だった。
他方、悠仁さまは、記者から3年間の思い出を尋ねられ「休校になったときもありましたが、その中でさまざまな経験をして充実した3年間になったと思います」とコメントされた。卒業式のあとには、紀子さまとともに進学先である筑波大学附属高校の入学準備会に向かわれた。
「お茶の水中から筑附高への移動には、別の男子生徒とその母親も一緒でした。紀子さまは親しげに談笑されていましたから、“ママ友”のおつきあいをされているのでしょう」(前出・皇室記者)
「将来の天皇」である悠仁さまの晴れの日であったのに、国民がそのお姿を目にする機会が限られたことは否定できない。
「3月17日当日、新聞・テレビでは、愛子さまの成年会見が大きく報じられました。反応は好意的なものばかりで、なかには『愛子天皇』を切望する声もありました。
一方、悠仁さまは、長女・眞子さんの結婚から吹き続ける秋篠宮家への逆風のなかにあります。ご両親そろっての悠仁さまの晴れやかな卒業式は、秋篠宮家への印象を払拭するいい機会であったはずです。また、将来の天皇にとって、記念すべき日であったことは間違いありません。
紀子さまは、なぜあえてその日に愛子さまの成年会見が行われなければならなかったのか、怒りを感じられたのではないでしょうか。それが宮内庁長官の『私のミス』発言につながっているとしか思えません」(前出・宮内庁関係者)
異例の発言は示唆に富んでいる。