当時の僕は、彼女の抱える壮絶さが本当の意味では理解できていませんでした。
川村さんには「おさむちゃんは、いつも痛い質問をするね」と言われていたんです。僕は、手痛い質問をしたからこそ、吐き出してもらえる言葉が絶対にあると思っていた。そういう質問を投げかけることが、川村さんにとっても番組にとっても”正義”だと思っていましたし、実際に手応えもありました。でも、今になって考えると彼女にとって、手痛い質問に向き合うという行為はものすごく苦しいことだっただろうと思います。でも、そのときには気づけなかった。
それと、川村さんは、亡くなる2か月前まで渋谷公会堂でライブをしていました。もうそのときには、何曲か歌っては、舞台袖に下がって横になり、酸素ボンベを吸っていたような状況で。それを当時小1だった彼女の子供が見ていたんです。その状況がどれだけ「すごい」ことか、そのときには気づけなかった。
いまなら、それがどれほど壮絶なことかが、わかるような気がしています。それは、自分に子供が産まれたり、父が亡くなったりして、年を重ねて「別れ」が増えてきて、悲しさや苦しさを知ったからです。知ってしまったいまでは、あのときのような質問はできないと思う。でも、それでは「おもしろく」ない。だから、いまドキュメンタリーを撮ることには正直、自信がありません。
そうした自分の経験に照らして、これは「おもしろい」と思ったのが『ママがもうこの世界にいなくても』という本です。著者の遠藤和(のどか)さん(享年24)は、21才でステージIVの大腸がんを宣告され、22才で結婚して、23才で子供を生み、2021年の9月に亡くなりました。
和さんは相当な覚悟を持って書き切ったと感じました。自分が生きた記録を、最後の最後まで残そうとすること自体、壮絶としか言いようがない。
向き合うことで、傷ついたこともきっとあったと思います。ドキュメンタリーは、当事者を傷つける側面をもっている、残酷なものですから。それでも、彼女はペンで書き記すことができなくなったらスマホを使ってまで書き続けました。強い信念を感じます。
和さんの残した文章からは、出産という奇跡、がんという病気の物理的な痛み、恐ろしさ、人が亡くなる悲しさ、そういった「現実」がにじみ出ています。彼女は、命を削って、きれいごとだけではなくて、ありのままの本質を綴ってくれた。ものすごく価値のあることだと思いました。
◆鈴木おさむ(すずき・おさむ)1972年、千葉県生まれ。放送作家。映画・ドラマの脚本や舞台の作演出、小説の執筆等さまざまなジャンルで活躍する。最新刊は、男性の不妊治療を、男性目線で描いた小説『僕の種がない』(幻冬舎刊)。