父の過ちを繰り返さない
習近平はなぜ、父が最も忌み嫌ってきた独裁体制に邁進しているのだろうか。この謎を解くヒントが、中南海にある習近平の執務室に隠されていた。
中南海は約100ヘクタールあり、「中湖」と「南湖」の2つの人工湖がひょうたん型を描くように造られている。そのほとりに華麗な建物が約150棟建ち並ぶ。ひょうたんのくびれの部分にそびえ建つ「勤政殿」内に習の執務室はある。
習は国家主席になった2013年から年末に、執務室内から国民向けのメッセージをテレビで発信している。画面の背景の本棚には数枚の写真が飾られている。
習の若いころの写真、長女を自転車の後ろに乗せている写真、家族の集合写真……。
毎年、ほとんどの写真が入れ替わる中、目立つ位置にずっと掲げられている1枚の写真がある。絵はがき大の木枠に入っており、白髪の老女と指を絡ませて手を握って歩く習が写っている。
老女の目元から口元にかけては年輪を刻むような線が目立つが、背筋はすっと伸びている。皺に埋もれた切れ長の目から鋭い眼光が見て取れる。
母、斉心とのツーショットだ。衰えを感じさせないオーラは、若くして共産党員として修羅場をくぐってきた半生によるものなのだろう。
斉心は1926年に河北省保定市郊外で、地方政府の役人の家庭に生まれた。当時は国民党の支配下だったが、姉は共産党員として日本軍との戦争に参加していた。その影響を受け、斉心は13歳で共産党が陝西省延安市に設けた中国人民軍事政治大学に入った後、戦争に身を投じていく。
「若いころ抗日戦争で苦労し頑張って戦い抜いた生活が、楽観主義的な性格を育んだと同時に、闘争心を強くし、共産主義の人生観を形成した」
斉心は中国メディアのインタビューでこう回想している。
文革中に下放された習は、斉心が「母の心」と赤い糸で刺繍した裁縫道具を肌身離さなかった。習家と交流があった共産党関係者が、母子関係について打ち明ける。
「習家は斉心氏が仕切ってきたといってもいいでしょう。抗日戦争から党内に人脈を張り巡らせ、政治の勘も持っていました。習近平氏も母を心から尊敬しており、事あるごとに電話をかけて相談しています」
習がマザコンといえるほど母親を慕っていることがうかがえる。
習の本棚をもう一度見ると、父の写真がほとんどないことに気づく。その理由について、先の共産党関係者が解説する。
「習近平氏は、謙虚で義理堅い父の人柄を尊敬しています。一方で、2度の粛清を被った父の政治スタイルを真似してはいけない、と固く信じているようです」
「弱ければ、たたかれる」。習が演説で繰り返しこう訴えているように、権力闘争に敗れた父を「反面教師」と捉えているようだ。
習が就任以来、反腐敗キャンペーンを展開し、200万人以上を処分してきたのも、父の過ちを繰り返さないためだったのだろう。
実は、習の盟友、プーチンも父の「影」を背負っていた。
2019年1月、首相として25回目となるプーチンとの会談をするために安倍晋三はモスクワを訪問した。クレムリン(大統領府)に到着すると、プーチンの執務室に通された。プーチンはおもむろに、執務室の奥にある控室に安倍を案内した。室内には1枚の肖像画が掲げられていた。
(第4回につづく)
【プロフィール】
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年長野県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、朝日新聞入社。北京・ワシントン特派員を計9年間務める。「LINE個人情報管理問題のスクープ」で2021年度新聞協会賞受賞。中国軍の空母建造計画のスクープで「ボーン・上田記念国際記者賞」(2010年度)受賞。2022年4月に退社後は青山学院大学客員教授などに就任。著書に『宿命 習近平闘争秘史』(文春文庫)、『十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』(小学館)など。
※週刊ポスト2022年7月22日号