柴門さんはさまざまなコミュニティで聞き役だったという
犬友、ママ友に限らず、中学生のころからずっと、柴門さんはみんなの話の聞き役だったという。誰それさんを好きになったといった話を、女の子からも男の子からも相談されることが多かった。
「相談されるといっても、ただずっと人の話を聞いてるだけなんですけどね。自分のことを話すのがあんまり得意じゃなかったので、聞いているほうがラクだったのかもしれません。
いまだってそれと同じで、『そう、そう、そうですね』ってうなずくだけで、自分の意見なんて言いません。そんなの求められていませんし。聞いた話もすぐ忘れてしまうんですけど、漫画を描いているときに、ふっと、そういえばあの人、こういうこと言ってたな、って思い出すことがあって、それを適所に織り込んでいく、みたいなことはあります。
『恋する母たち』のときもそうでしたけど、漫画のために不倫している人を取材する、ということはしないんですよ。そういうときって、人はなかなか本当のことを話してくれません。構えたり、自分を飾ったりもするので、あまり面白い話は聞けないんですよね」
問題のない家族はない、という柴門さんの言葉に、不意を突かれる思いがした。つい、よその家と自分を比べてしまいがちだが、「理想の家族」なんて、もしかしたらどこにも存在しないものなのかもしれない。そう考えれば、救いにもなる言葉である。
「みんな、『私だけが不幸だ』って思っているんですよね。そう思ってしまうのはたぶん、本音で語り合う機会が減っているからじゃないでしょうか。自分の幸せそうな姿をインスタにあげて、『いいね』をもらって満足する、いまはそんな世の中じゃないですか。誰かと比較して、自分自身をどんどん追い込んでしまうところがある。
素敵な家族だと人に思われたいとか、そういう気持ちを手放すことができればいいけど、なかなか難しいでしょうね」
人間は変わることができるから、絶望はしない
「CASE1」の主人公西山慶一は、〈嘘は嫌いだ〉と言って万里凛を追い詰めてしまうが、後になって、〈本当のことを全て話せるなんてごくわずかの幸運な人だけなのに……〉と考え直す。
「家族のあいだで嘘をついちゃいけない、なんでも話し合って分かり合わなきゃいけない、とか、家族は一つじゃなきゃいけない、親子だから全部分かり合える、とかいうのも昭和の価値観で、たぶん、それはもう通用しないですね。むしろ、全部しゃべらなくていいから、これぐらいの距離でいましょう、みたいな感じじゃないと続かないんじゃないかと思います」
人間に対してもそうで、完全な悪人も、完全な善人もいないと思う、と柴門さん。
「嫌なのに、どこか憎み切れなくて、離婚せずに夫婦でい続けているけど、それが正解かどうかわからない、みたいなあいまいさを抱えた人が割と多いんですよね。それから、人間は変わることができますから。その点で私は絶望しないです。ただ、まあ自分で考えて変わるとしたら50代ぐらいまでかな。60代を過ぎると、なかなか難しいかもしれません」
