「おしっことかうんちとかするからあげることは控えるように言われました。他の団体はどうか知りませんが、こういう人たちが本当にいるんです」
1日食べなくても犬は平気だし、飲み水も1日くらいなら死にはしない、という話ではない。人間だって1日飲まず食わずでも死にはしない。しかし辛いのは事実、犬も同じだ。
「私のいた団体も足が悪いとか、可哀想な状態の保護犬などを使ってました。私も最初はこの子たちのために、と思っていたのですが、よく考えたら暑い中連れ出して、一日中その場に繋ぐようなものです。私を含めた人間も交代なしにその場にいることになります」
犬は暑さ寒さに比較的強い動物だが、だからといって一日中雑踏に晒すこともあるまい。
「非難を受けることを覚悟で言いますが、暑そうとか、寒そうとか街の人に思わせればしめたもの、という団体でした。とにかく『かわいそう商法』なんです」
動物のための募金のはずが「商法」とはおだやかではないが、彼女は正直に、そして明確に語ってくれた。
「だって、商売ですから。団体の幹部が生活するための募金ですよ。犬はお金を集めるための道具です。個人だってかわいそうな犬を使って募金と称して生活費を集める人もいましたよ。うちの団体と場所取りでよく揉めてました。どっちも許可取ってないんけどね」
貧しい国では乞食が商売になっており、子どもを道具に使った金集めがごく普通に行われている。人間の子どもが犬に代わっただけで、それと同じような構図ということか。
「貧しくなんかありません。代表は高級車に乗っていました。暴力的で金の亡者、犬も人間も扱いは最悪でした」
何度も重ねるが、すべてがこうした団体ではない。しかし現実には数多く存在する。しつこいかもしれないが、こうした「ちゃんとした団体はあります」という当たり前の抗弁で問題が矮小化してしまうことが一番やっかいなのだ。それは当然の話、そうでない団体の話をしている。犬を連れることも、健康に留意した上で短い時間であるなら許容の範囲内で、実際に盲導犬になれなかった犬がそうした募金活動に携わるケースもある。水もろくに与えず、地面に寝そべったままほったらかしでシニア犬や病気の犬を一日中使い回すような連中の話をしている。彼女の団体は、まさにそれだった。
「自称愛犬家の商売人でした。怖い人で、裏世界の人ではと噂してました。犬たちが可哀想に思いましたが、そんなところに手を貸すことはできないので逃げるように辞めました」
彼女からは具体的な話もあったが先の神奈川のように事件化していないため書くことはできない。こうした動物問題の難しいところは日本では依然として動物は「物」という扱いのため明確な事件化は難しいということだ。「就職活動がうまくいかないから」と生後まもない子猫(ラグドール)を虐待死、同じく生後まもない子猫(エキゾチックショートヘア)の後頭部を殴り怪我を負わせた大学生(それまでも余罪あり)のようにあからさまな動物愛護法違反ならともかく、30度超えの猛暑で満足なケアもなしに一日中、募金のためにシニア犬や病気の犬を駆り出したりする行為は現状、虐待の扱いを受けない。