今年二〇二二年(令和4)六月から七月にかけて日本政策投資銀行と日本交通公社が共同で実施した世界各国に対するウェブアンケート(『DBJ・JTBF アジア・欧米豪 訪日外国人旅行者の意向調査 2022年度版』)では、新型コロナウイルス感染症終息後に行きたい国のトップが日本だった。「次の海外旅行先として、日本の人気は1位 アジアではトップを維持、欧米豪ではトップから2位に低下」(日本交通公社ホームページ)である。
泉下の西園寺が聞いたら、泣いて喜ぶだろう。この状態を実現することが当時相当困難だと考えられていたこと(だから勅語を「利用」しようとした)が、まったく忘れ去られている。これも思い出してほしい。日清戦争勃発は一八九四年(明治27)だが、攘夷浪人たちが東京高輪にあったイギリス公使館に斬り込みイギリス人外交官を殺そうとした東禅寺事件は一八六一年(文久元)のことで、この時点ではまだ三十三年しか経過していないのである。
しかも、西園寺の「兄貴分」首相伊藤博文も「イギリス公使館建設予定地」を焼き打ちした元「攘夷派」であった。もっとも、これは伊藤の「兄貴分」高杉晋作の「指導」によるもので、あきらかに「本気」では無かったことはその後イギリスに留学したことでも証明されているが(コミック版『逆説の日本史 幕末維新編』参照)。
いずれにせよ、生麦事件あり東禅寺事件ありで、当時のイギリス人にとって日本は「行きたくない国ナンバー1」だったろう。それが改善されたのは、外国人から見て「日本人が絶対に逆らわない命令を出せる唯一の存在」である天皇(明治天皇)が五箇条の御誓文を出し、皇祖皇宗(天皇家の祖先たち)に誓約するという形で「開国する(もう攘夷はしない)」と宣言したからだ。それなら信頼できると、「お雇い外国人」も来日するようになった。
ことほど「天皇効果」は絶大である。四民平等も完全なものでは無いが、「男女平等」も五箇条の御誓文や第一教育勅語によってこそ実現した。繰り返すが、中国・朝鮮では不可能だったことだ。そこで話は戻るが、西園寺は「天皇効果」によって朱子学が日本にもたらした最後の毒素「独善性と排他性」を排除しようとしたのだ。
これも何度も述べたことだが、日本人は宗教オンチである。だから宗教を無視した歴史学者の歴史学がまかりとおることになる。いま述べているところも朱子学(儒教)に深く絡んでいる問題だから、まずはその点を分析せねばならない。あらためて「悪い例」として挙げられている「彼ノ外ヲ卑ミ内ニ誇ルノ陋習ヲ長ジ、人生ノ模範ヲ衰世逆境ノ士ニ取リ其危激ノ言行ニ倣ハントシ、朋党比周上長ヲ犯スノ俗ヲ成サントスルカ如キ、凡如此ノ類」について解説せねばなるまい。
「彼ノ外ヲ卑ミ内ニ誇ルノ陋習ヲ長ジ」というところは、わりとわかりやすい。これも前回訳したように、「外国を蔑視し日本だけを尊大に誇」ることである。歴史的に言えば朱子学とは、現実の戦争では野蛮人であるはずの遊牧民族に決して勝てなかった漢民族が「勝ったつもり」になるために作った「虚妄」であり、「インテリのヒステリー」だ。では、それがなぜ「模範ヲ衰世逆境ノ士ニ取リ」つまり「人生の模範を乱世や逆境に生きた人物に求め」る、ことになるのか? なぜ、それが好ましくないのか?
じつは、このことはすでに二十年近く前にこの『逆説の日本史』(第7巻「中世王権編」)で述べている。このこと、つまり「人生の模範を乱世や逆境に生きた人物に求める」ことを歴史上最初に論理的に批判したのは、老子である。彼は正確な生没年は不詳だが中国の春秋戦国時代の人だから、秦の始皇帝の中国統一以前に生きていた、いまから二千年以上前の哲学者だ。朱子学が生まれたのはずっと後だが、その源流である儒教はすでに広く知られていた。そして、その儒教を徹底的に批判したのが老子であり、その思想を受け継いだのが荘子だ。彼らの主張を一言で言えば、「儒教の理想は間違っている。そんな理想を実現しようとすれば人民は大きな不幸に苦しむことになる」である。
しかし、この段階では儒教はまだ朱子学というヒステリックなものにはなっていない。朱子学にくらべれば、孔子・孟子ははるかに「牧歌的」な教えだ。それなのに、なぜそれが人民を不幸にするのか?
(文中敬称略。第1365回へ続く)
※週刊ポスト2022年12月23日号