ライフ

【逆説の日本史】西園寺が阻もうとした日本的朱子学がもたらす「思想的潮流」

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立V」、「国際連盟への道3 その10」をお届けする(第1364回)。

 * * *
 老子の時代(紀元前!)の儒教は確かにまだ朱子学ほどヒステリックでは無いのだが、西園寺公望が第二教育勅語を「使って」消そうとした「毒素」は、すでに含まれていた。第二教育勅語で「人生ノ模範ヲ衰世逆境ノ士ニ取リ其危激ノ言行ニ倣ハントシ」(人生の模範を乱世や逆境に生きた人物に求め)と指摘されている部分である。なぜ儒教が「人生の模範を乱世や逆境に生きた人物に求め」るのか、なぜそれが「ダメ」なのか、それについて初めてきちんと説明したのは拙著『逆説の日本史 第七巻 中世王権編』においてだから、なんといまから四半世紀前の一九九八年(平成10)のことになる。単行本が出たのは翌九九年だが、『週刊ポスト』の連載として文章が掲載されたのはこの年、読者のなかにはまだ生まれていないか子供だった方もいるだろう。

 そこであらためて説明しよう。古くからの愛読者は「復習」のつもりで聞いていただきたい。そのことを述べたのは、前出の第七巻第二章「『太平記』に関する小論編」だ。それを読んでいただければ当時の国文学界の大御所と見られていた先生方でも、儒教あるいは朱子学(宋学)に対する理解がまったく不足していたことがわかる。もちろん彼らがそうなってしまったのは、日本歴史学界の三大欠陥の一つ「宗教の無視」が日本の歴史教育自体を歪めているからであり、国文学者の方々もその「誤った歴史教育の犠牲者」ではあるのだが、私に言わせればこの根深い「儒教に関する誤解」はなかなか根絶されない。私の力不足ももちろんあるが、ここのところが日本人にもっともわかりにくい部分だからだろう。逆に言えばここはまさに「日本史の急所」であり、ここさえ理解すれば「歴史開眼」できるほどのことなのである。

 わかりやすく説明しよう。

「現代でも『国のために命をささげる』と言う政治家はいる。しかし、その言葉が本当かどうかは、この国に戦争や内乱が起こらないとわからない、いわばその政治家が本当に命を投げ出したところで初めて『あの言葉に嘘はなかったんだ』とわかるわけだ」

 わざわざこの文章を「 」でくくったのは、引用だからである。しかし他著からの引用では無い。先に紹介した『逆説の日本史 第七巻 中世王権編』の八十二ページ(文庫版なら96ページ)からで、この説明が一番わかりやすいからだ。現在の視点で補足するなら、ウクライナの現状だろう。かの国にも戦争前には「私は戦争になったら祖国のために死ぬまで戦う」と豪語した政治家や軍人がいたに違いない。そして、残念ながらそのなかには戦争が始まると同時にさっさと逃亡した連中もいたに違いない。

 これはウクライナ国民の民度の問題では無く、人類の法則と言うべきものだ。人間は往々にして、安全なときは適当なことを言って人気を得ようとする動物だからである。しかし、現在のウクライナはロシアによる侵略戦争に抵抗中であり、それゆえに本当に国のために命を捧げる政治家や軍人とは誰か、区別がついている状態だと言える。

 問題は、それが国民にとって「おめでたい」状態であるかどうかだ。めでたいはずが無いのは誰でもわかる話で、いくら国家に忠実な政治家や軍人(昔はこれを「忠臣」と呼んだ)の区別がついたとしても、 戦争が続く限り多くの国民が殺され国土は破壊される。国民あるいは国家にとってもっとも望ましいのは、「戦争など起こらない」ことだ。

 しかし「人生の模範を乱世や逆境に生きた人物に求め」る儒教では、結局そうした事態つまり戦争が続くことを「奨励」しているも同然ではないか。だから老子は二千年以上も前に「国家昏乱して忠臣有り」と言った。敷衍すれば「忠臣がもてはやされるのは、国家が乱れているとき(人民が不幸なとき)ではないか。だからそれを理想とする儒教は間違っている」ということだ。

 老子は「六親和せずして孝慈有り」とも言った。前に私はこの「実例」として戯曲家ウィリアム・シェークスピアの『リア王』(黒澤明監督作品の『乱』はこの作品の翻案)を出したが、あのドラマにおいてリア王の末娘コーディリアは親孝行の手本である。中国では昔、これを「孝子」と呼んだ。コーディリアは確かに孝子の鑑だ。しかし、なぜその「区別」がついたのかと言えば、ファミリー全体が不幸になったからである。

関連記事

トピックス

今季から選手活動を休止することを発表したカーリング女子の本橋麻里(Xより)
《日本が変わってきてますね》ロコ・ソラーレ本橋麻里氏がSNSで参院選投票を促す理由 講演する機会が増えて…支持政党を「推し」と呼ぶ若者にも見解
NEWSポストセブン
白石隆浩死刑囚
《女性を家に連れ込むのが得意》座間9人殺害・白石死刑囚が明かしていた「金を奪って強引な性行為をしてから殺害」のスリル…あまりにも身勝手な主張【死刑執行】
NEWSポストセブン
失言後に記者会見を開いた自民党の鶴保庸介氏(時事通信フォト)
「運のいいことに…」「卒業証書チラ見せ」…失言や騒動で謝罪した政治家たちの実例に学ぶ“やっちゃいけない謝り方”
NEWSポストセブン
球種構成に明らかな変化が(時事通信フォト)
大谷翔平の前半戦の投球「直球が6割超」で見えた“最強の進化”、しかしメジャーでは“フォーシームが決め球”の選手はおらず、組み立てを試行錯誤している段階か
週刊ポスト
参議院選挙に向けてある動きが起こっている(時事通信フォト)
《“参政党ブーム”で割れる歌舞伎町》「俺は彼らに賭けますよ」(ホスト)vs.「トー横の希望と参政党は真逆の存在」(トー横キッズ)取材で見えた若者のリアルな政治意識とは
NEWSポストセブン
ベビーシッターに加えてチャイルドマインダーの資格も取得(横澤夏子公式インスタグラムより)
芸人・横澤夏子の「婚活」で学んだ“ママの人間関係構築術”「スーパー&パークを話のタネに」「LINE IDは減るもんじゃない」
NEWSポストセブン
LINEヤフー現役社員の木村絵里子さん
LINEヤフー現役社員がグラビア挑戦で美しいカラダを披露「上司や同僚も応援してくれています」
NEWSポストセブン
モンゴル滞在を終えて帰国された雅子さま(撮影/JMPA)
雅子さま、戦後80年の“かつてないほどの公務の連続”で体調は極限に近い状態か 夏の3度の静養に愛子さまが同行、スケジュールは美智子さまへの配慮も 
女性セブン
場所前には苦悩も明かしていた新横綱・大の里
新横綱・大の里、場所前に明かしていた苦悩と覚悟 苦手の名古屋場所は「唯一無二の横綱」への起点場所となるか
週刊ポスト
医療的ケア児の娘を殺害した母親の公判が行われた(左はイメージ/Getty、右は福岡地裁)
24時間介護が必要な「医療的ケア児の娘」を殺害…無理心中を計った母親の“心の線”を切った「夫の何気ない言葉」【判決・執行猶予付き懲役3年】
NEWSポストセブン
近況について語った渡邊渚さん(撮影/西條彰仁)
渡邊渚さんが綴る自身の「健康状態」の変化 PTSD発症から2年が経ち「生きることを選択できるようになってきた」
NEWSポストセブン
昨年12月23日、福島県喜多方市の山間部にある民家にクマが出現した(写真はイメージです)
《またもクレーム殺到》「クマを殺すな」「クマがいる土地に人間が住んでるんだ!」ヒグマ駆除後に北海道の役場に電話相次ぐ…猟友会は「ヒグマの肉食化が進んでいる」と警鐘
NEWSポストセブン