娘である坂本美雨
争いの種をなくしておきたい
坂本さんは2021年末から、病気への向き合い方も変えていた。
「度重なる手術を乗り越えてもなお闘病を続けなくてはならないとわかり、延命治療は望まず、がんそのものを受け入れるほかないと考えを改めたのだそうです。この頃から闘病生活についても“がんと生きる”と表現するようになりました」(前出・音楽関係者)
病魔と向き合うなかで最後まで気にかけていたのが、A子さんと4人の子供たちのことだった。A子さんとの間に生まれた空音央は現在、映像作家として活動しており、坂本さんのほかの子供たちとも良好な関係を築いているという。年末にはそれぞれの家族が集まり、坂本さんやA子さんと食卓を囲むのが恒例となっていたそうだ。
還暦を迎えた際のインタビューでは子供たちへの唯一の願いを明かしている。
《子どもたちに望むのは、私が死んだあともケンカせずに仲良くしてほしいということ。私の場合、子どもが四人いますが、それぞれの母親が三人。(中略)でも特殊な状態ではあるので、特に仲良くしてほしいという思いが強いんです。(中略)だから私は、供養料を納めて、資産もなるべく使い切って、争いの種をなくした状態で死にたいと思っています》(『文藝春秋』2012年2月号)
さらにA子さんとのけじめも思い描いていたという。
「事実婚ですが、35年ほどと3人の“妻”の中で最も長く一緒にいたのはA子さんになります。10年近くにわたる闘病生活を支えてくれたA子さんを信頼しきっていて、残された時間を意識するようになった頃から、相続でトラブルが起こらないようにと入籍を考えるようになったそうです。
長く暮らしてきたニューヨークではなく東京にもA子さんのために自宅を構えようという計画もあった。少なくとも自分の死後、A子さんが困ることのないよう、遺言のようなものはしっかり残しているはずです。ほかの家族たちもそれを望んでいました」(前出・坂本さんの知人)
坂本さんはA子さんへの「愛情」をさまざまな形で残していたようだ。生前、坂本さんは「Ars longa, vita brevis」(芸術は永く、人生は短い)というラテン語の一節を好んだ。坂本さんが生み出した音楽同様、彼がA子さんや子供たちに奏でた愛も永遠のものになるだろう。
※女性セブン2023年4月20日号
