“ヤクザマンション”から見た景色
暴力団専門誌『実話時代』編集部を退社してフリーライターになった私が、ヤクザマンションの6階の部屋を借りたのは1999年である。当時、ヤクザマンションには警察が把握しているだけで36団体(二次、三次、四次団体を合わせて)もの暴力団組織が入居していた。住吉会、稲川会、東亜会(現・東声会)といった博徒系・愚連隊系組織、極東会をはじめとする多くのテキヤ組織に加え、日本最大の暴力団である山口組系列傘下事務所も数件あった。その他、非指定暴力団もおり、管理事務所の名簿を見ると、まるで暴力団カタログだった。
新宿・歌舞伎町の、それもヤクザマンションに好んで住もうという人間は限られる。実際、300戸近い物件のうち、およそ7割が暴力団関係者というのが当時の警察の見解だった。暴力団が楽に稼げる商売だった時代は終焉し、いまは反社会勢力とまでいわれる時代である。
「多少マシになったはずだが、重層的な又貸しで、他のマンションに入居するよりははるかに簡単だ。ここはヤクザの聖地みたいなもんでそう変わらないはず。それにヤクザがいなくなって、替わりに入ってくる住民だって普通のファミリーじゃないだろう」(前出の住民)
マンションが分譲されたのは、昭和55年(1980年)だった。分譲から間もなくして、深夜のエレベーターで若い女性が黒人の不良にレイプされ、エレベーターに監視カメラが設置された。それからほどなくして、今度は女性の半裸死体がみつかった。フリーの売春婦を買ったヤクザが支払いを渋り、「あんたも男を売る稼業なら金くらい払え」と罵られ、激高した挙げ句に殺害。死体を当マンションの階段に捨てたのだ。このときは通りがかったタクシー運転手が、たまたま「下半身が裸のマネキンらしきモノ」を運ぶ光景を目撃しており、すぐに逮捕された。防犯カメラは24時間フル稼働で敷地内部の様子を録画しており、これまで数回、凶悪事件の決定的証拠となっている。今回の事件でも詳細を記録しているだろう。
暴力団の事務所や拠点は、8階から下のワンルームエリアに多くあった。ヤクザマンション内にあるごく少数の一般家庭は9階から上のファミリータイプにあって、このエリアにも有名かつ大所帯の武闘派暴力団が入居していた。