朝4時、朝食、午前9時、昼食、夕食の1日5回も服薬
電車に乗れない
ちょうどこの頃、自宅で食事中に茶碗を取ろうとした僕の左手が小刻みに震えました。
「お願いだから病院に行って」
妻にそう強く言われて受診すると3日間の精密検査の末に診断された病名はやはりパーキンソン病。覚悟はしていました。
〈パーキンソン病は神経伝達物質の「ドパミン」が徐々に減ることで発症し、数年かけて進行する。いずれ自力歩行が困難になり、認知症を合併するケースも多い。進行を止める治療法が確立されていない難病である。〉
主治医の指示でドパミン受容体を刺激する薬「ドパミンアゴニスト」の服用が始まりました。最初は「ミラペックス」という薬を1日1錠(0.375mg)。これを140日かけて4倍(1.5mg)に。さらに脳内でドパミンを分解する酵素の働きを阻害する薬「エフピー」、貼り薬タイプの「ニュープロパッチ」と、薬は増えていく一方です。
治療開始から1年半ほど落ち着いた症状が続き、迎えた2018年4月、夕刊の一面コラム「素粒子」を執筆することに。しかし直後に症状が悪化。当時のメモにはこうあります。
〈朝食後、新聞を読んでいるときめまい、吐き気。会社休む〉
電車やバスなど交通機関を使うと過呼吸を起こし、通勤途中で引き返すことが続きました。
最初の一歩が踏み出せない「すくみ足」になり、トイレや風呂などの狭い空間に入ることができない。一度座ると立てないのです。食事も取れず、体重が10kg以上減りました。
苦しい時期を支えてくれたのが妻の俊美です。「素粒子」は夕刊なので出社は早朝。妻は通勤定期を買い、毎朝、始発に近い電車で会社に向かう僕に付き添ってくれた。会社に到着すると彼女は近くで時間をつぶし、僕が仕事を終えると一緒に帰宅する。妻が映画館に入った瞬間に僕が「SOSコール」をして、チケット代が無駄になったこともあったかな。
俊美は介護の基礎的な知識やスキルを学ぶために介護職員初任者研修を受講し、体がこわばり動けなくなった僕に手を貸し続けてくれました。
2018年6月、効果は高いが、長く使うと運動合併症を起こす恐れがあるドパミン補充薬「レボドパ」の処方を主治医にお願いしました。リスクはありますが、全ては「素粒子」を書くためでした。
当時、妻のメモにはこうあります。
〈夜、寝返りが打てなくなる〉〈夜寝ていて死ぬように思う〉