「母は烈火の如く怒り平手で打たれた」
子供たちの成長を見守る時間は西城さんにとって何よりの宝物だった、その一方で、病魔は確実に西城さんの体を蝕んでいった。
「幼い頃から父がリハビリをしている光景はわが家では当たり前で、あまり病気という感覚はありませんでした。でも、ぼくが小学校高学年になった頃にふと思ったんです。リハビリって病気を治すためにやるはずなのに、具合はよくならず、むしろ悪化している。これはおかしいぞって。右半身の麻痺は残ったまま。ぼくが中学校に入学したぐらいには、呂律が回らなくなり、救急病院に運ばれることも増えていきました」
思春期を迎えた慎之介さんは、父の姿に戸惑った。
「足を引きずって歩く父の姿を、友達に見られたくないって思ってしまったんです。中学1年の保護者参観日の前日、母に“恥ずかしいから、パパは学校に来ないで”って言ったんです。母は烈火の如く怒り、平手で打たれました。
このやり取りはリビングで休んでいた父にも聞こえていたはずですが、ずっと黙っていました。聞こえていないフリをしていたんです。必死に病気と闘い、リハビリに励んでいた父に、ぼくはなんてひどいことを言ってしまったのか。いまでも後悔の思いが消えません」
別れが訪れたのは、慎之介さんが中学3年生になった2018年。4月25日の夜7時頃、西城さんは家族で夕食を囲んでいる最中、突然意識を失い救急車で搬送された。慎之介さんはサッカーの練習中だった。
「母が泣きながら“パパが倒れた”と電話をかけてきて、急いで病院に向かいました。母も姉も弟も取り乱していましたが、ぼくは妙に冷静でした。その頃、父の症状は相当悪く、“来るべきときが来たんだ”という気持ちでした。父がいなくなったら、ぼくらの生活はお金はどうなるんだろう? サッカーをやめて働こうか、などと漠然と今後を心配し始めていました」
5月16日、西城さんは急性心不全でこの世を去った。悲嘆にくれる家族のなかで、慎之介さんは毅然と振る舞い続けた。
「どこかで長男だからちゃんとしなきゃという思いもあったけど、それよりも当時のぼくは思春期まっ只中で、人前で泣くなんてカッコ悪いと思っていました。その気持ちは告別式でも同じだったのですが、いざ父が眠る棺の中に花を入れていたら、急に涙がボロボロ出てきて、全然止まらなくなったんです。
父のファンやマスコミも大勢いて、いちばん涙を見せたくない場面なのに、誰よりも号泣してしまった。そんなぼくの様子に家族も驚いていました」
(後編へ続く)
※女性セブン2023年12月14日号