米国のキッシンジャー国務長官と対談する田中角栄氏(時事通信フォト)
国民に夢を示した
田中さんは選挙の時だけでなく、全国各地で街頭演説をやった。大勢の聴衆が集まるわけですが、われわれ秘書官が用意した原稿は3分の1も使われない。ご自身の知識、ご自身の発想でしゃべり、それが的を射ていた。行く先々の地域のニーズが完璧に頭に入っていたからです。目白の田中邸には毎朝、政治家だけでなく、いろんな業界や市民が陳情に訪れていました。
そこでも田中さんは相手の要望を聞き流さず、どの業界や地域がどんな問題を抱えているか、何に困っているのか、ポイントを的確に把握、整理し頭に叩き込んでいた。
〈1993年の角栄の死は日本経済の「失われた30年」のはじまりと重なる。一億総中流は一時の夢と消え、日本社会は格差が広がり、少子高齢化で企業の国際競争力は低下した。高度成長期と全く違う社会・経済環境の中で、財源もない。角栄ならどこから手をつけるか〉
やはり20~40歳代の中堅世代、社会の実際の担い手が躍動できる状況を作り出していくことがポイントになったのでは。その世代が元気にならないと、日本は元気にならない。田中さんは25万都市構想で具体化しようとした職住近接の環境づくり等、社会を担う中堅世代が活躍できることを政策的に優先しようと考えていました。高齢化が進んだ現在はなおさらです。
財源については、「政策のアイデアが優れ、国民も“これで行こう”というムードになった時には、一つ負担が増えても、さほど重荷に感じないものだ」と田中さんが言ったことがある。
たとえば、田中さんが議員立法でつくったガソリン税、道路特定財源ですね。当時の日本の交通インフラの中心は鉄道で、道路はガタガタ。これではダメだ、一刻も早くやらなきゃいけないと、ガソリンから税を取って有料道路に優先的にお金を使う仕組みをつくった。
あの時、道路は無料公開の原則があるとの反対論もあったが、田中さんは「インフラからも料金を取ってやっているケースがある」とヨーロッパの例を挙げ、「2つの地域を結ぶ1本目は無料道路、料金を払いたくない人はその道路を使えばいい。2本目、3本目の道路は有料にしても何の問題もない」と。それは説得力ありますよ。まさに政治家の議論の原点でしたね。おかげでそれまで数百億円単位だった道路予算が、その後、数兆円規模へと二桁増えた。
ビジョンに説得力があれば、国民に負担してもらうことは可能なんです。
〈角栄は『日本列島改造論』の結びで目指す日本人のライフスタイルをこう描いている。『二十代、三十代の働きざかりは職住接近の高層アパートに、四十代近くになれば、田園に家を持ち、年老いた親を引き取り、週末には家族連れで近くの山、川、海にドライブを楽しみ、あるいは、日曜大工、日曜農業にいそしむであろう』。国民に具体的な「将来の夢」を示すことができた政治家だった〉
田中さんは課題に対して逃げるのではなく、全力投球した。われわれにも、「受験秀才は、難しい問題は避けて易しい問題から解き、残った時間で難問に挑戦する。点数を上げて合格するためにはそれでいい。しかし、社会人になったらそうはいかない。難しい問題に直面しても避けて通れないし、対応していかなくてはならない。だから受験秀才ではいかんよ」と仰った。政策を担うわれわれ官僚に対する忠告であったと思います。
【プロフィール】
小長啓一(こなが・けいいち)/1930年岡山県生まれ。元秘書官。岡山大学法文学部卒業。1953年、通商産業省(現・経産省)入省。1971年、田中角栄大臣の秘書官となり「日本列島改造論」の作成に参画。退官後はアラビア石油社長などを歴任し、2007年に弁護士登録。現在に至る。
※週刊ポスト2023年12月22日号
