1986年の映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でマドンナ役を演じた
──「男はつらいよ」のマドンナでは、それまでの役柄と違った演技をされていましたが、なかなか役作りも大変だったんじゃないでしょうか?
そうですね。頂いた役が、福岡の炭鉱の町で、旅芸人の家に生まれる女の子でした。バイクに乗るシーンがあるんですが、それは山田洋次監督が私風にアレンジした設定でした。そういう設定はありがたかったのですが、一言一句、言い方とかを結構山田洋次監督から現場で「こういう風に言ってみて」「こういう風にしましょう」とか、言われました。一応、今まで私がやった役は基本、アクションがベースにあったりしたのですが、「可愛い女性」いわゆるマドンナっていう女性を監督は非常に求められました。私もそうなりたいと思っていましたが、山田洋次監督のイメージ通りのマドンナにはへだたりがありましたね。寅さんに自分の生い立ちを言うシーンで、「田川に生まれて、旅芸人の家を継いだんですけど、もう父親は死んじゃって……」と悲しい部分を言うところは何回何回もリハーサルされたのは覚えています。長渕剛さんとの共演シーンや掛け合いは、ほとんど指摘されなかったですね。
──渥美清さんとの思い出はなにか覚えてらっしゃいますか?
渥美清さんって肺が1つないのご存知ですか? あ、今は公表されているんですね。松竹の撮影所のセットの中に、和室の部屋があって、撮影の合間に横になられるんですよ。当時まだ公表されてないし、SNSとかもなく、自分にそんな話していただいていいんですかと思ったのはすごい印象に残っています。すごく物静かな方でとても気さくで、自然体な方でした。
撮影当時、渥美清さんは57~58才くらいですかね。今でこそ58才って若いですけど、当時はやっぱり美空ひばりさんが53才で亡くなられる、石原裕次郎さんも52才で亡くなられた、みたいな印象があったので、私は当時、ものすごく年上のベテラン大俳優の方という感じを受けていました。
でもやっぱり渥美清さんのリアクションとか、間は素晴らしかった。芝居だったり、リアクションだったり、ちょっとした間が素敵でした。山田洋次監督とのコンビネーションは絶妙で、人間の温かみ、素朴さ、いさぎ良さ、ほのぼのとした柔らかさ、全てが表現された素晴らしい作品でした。
「音楽が溢れる」家庭にしたかった
──出演した際の反響はありましたか?
もう、これが私の映画の最後の出演作品なんですよ。この後引退しちゃうから。引退するつもりもなかったのに。もう記念の青春メモリアル映画です。
──引退したのはどうして?
引退はするつもりも全くなくて。この作品公開の翌年1987年に結婚して、そのあと長女と長男を年子で続けて出産しました。もうその子たちをおいて現場に出ていくようなことが、まず自分の中にできなくなった。1日2日で終わる単発のお仕事ならやれたかもしれませんがそれでは自分の中で納得がいかなかったです。いままで本当に大きな役を頂いていたし、そういうしっかりと集中して作品に入るようなものだと、子育てとか一切忘れて没入しないとできないぐらいのことだから、出来ないと判断しました。だから休止という感じでした。