死ぬこと以外考えられない
2017年から2年間、叡敦さんには支援者の助力を得て脱出していた時期があった。その際、医師から複雑性PTSDと診断される。だが、強姦罪で刑事告訴したA氏が不起訴となったことに「これが仏さまの答えなのだ」と絶望し、A氏やB氏の説得に応じて寺に戻ってしまう。その後は、PTSDを嘲けるように「ぴーすけ」とも呼ばれたと叡敦さんは話した。
彼女は苦しい思いを日記に書きつけていた。
〈お札を和室で書いている時、Aは「一ぺん 叡敦をこわさないかなんだ(中略)」と まだ この段になってもAは自分のしたことの罪をいい事でもしたかのようにこう定している〉(2021年1月14日)
〈加害者に気持ちを壊される日々が続き、死ぬこと以外に何も考えられない〉(同5月20日)
〈Aは、自分が、私をだましておいて 自分が、お金をと出して、私を助けたと言うつくり話しをしているのである。信者はそれを信じているから、悪者は、私にされているのである。ここには、私の身かたの人間はいないのである。助けてほしい。だれも、いない〉(同5月23日)
しかし、味方はいた。2023年1月、叡敦さんの夫と姉夫婦が高松のホテルまで叡敦さんに会いにきた。「死ぬ前に一度だけ」というつもりで寺から抜け出てきた叡敦さんを3人は徹夜で説得。「地獄に落ちる」とパニックに陥る本人を抱きかかえるように寺から連れ帰った。
壮絶な訴えだ。1月31日の会見直前、A氏に電話で質問をぶつけると、宗門の聞き取りが終わるまで答えないという姿勢だったが、こうも応じた。
──叡敦さんに新聞やテレビを見せなかった?
「そんなことはありません。本人の態度があれしていたのをちょっと控えて派手なことはやめましょう、とかね……」