「大きな病気を乗り越えた中尾さんは、その後“終活”を始めました。生前には遺言書を作り、2009年には自宅マンションの権利を志乃さんに生前贈与しています。2013年にはお墓を建立し、沖縄に所有していた別荘や千葉のアトリエも処分しました。このほか都内の自宅にあった本や洋服、そして自ら描いた絵画も断捨離したそうです。そのときに、400本あった“ねじねじ”も半分に減らしました。人付き合いも整理して、夫婦の時間をより大切にするようになったそうです」(同前)
「どの墓も立っているから、横にしてやろう」そんな中尾さんの思いがあった
直近で断ることが増えていた「終活」取材
中尾さんが暮らしていた都内の自宅マンションの住人はこう語る。
「上野の『不忍池(しのばずのいけ)』を夫婦で散歩している姿をよく見かけました。上野の美術館や近辺のデパートでも買い物などを楽しまれていました。でも、最近はあまり見かけることがなくなり、心配していました」
俳優人生60年の中で、中尾さんはこれまで多くの先輩俳優や盟友の最期を見送ってきた。
「勝新太郎さん、伊丹十三さん、長門裕之さん、立川談志さん、松方弘樹さん、市原悦子さん、偉大な功績を残した俳優たちの葬儀には、亡き人を偲んでいる中尾さんの姿がありました。80代となり、最近は表舞台に立つ機会も減り、“終活”についての取材も断っていたようです。
それでも今年3月下旬には『木更津市の人に見てほしい』と、集めた美術品を地元に寄贈して元気な姿を見せていたのですが……、本当に残念です」(映画関係者)
夫婦には子どもがいなかった。生前、中尾さんは「親戚が困らないように」と東京・谷中に自ら設計した墓を建てている。中尾さんは愛する妻より先に深い眠りについた。