救いとなったのは家族の存在だった(右・夫の誠さん)
東海林さんは殺人事件の被害者の肉親に事件直後にマイクを向け、話を聞いたこともある。世間にはそれを批判する声もあったが、彼女には「伝えなければいけない」という信念があった。
「事件が起きてすぐは、遺族は激しい怒りや悔しさが燃え上がっています。ところが、裁判までは何か月もかかり、その間に『しかたがない』とその怒りや悔しさの衝動が静まります。だから、その頃に遺族の声を聞いても本当の苦しみは伝わらなくなってしまうんです。
事件直後だからこそ出てくる怒りや悲しみを、私たちは聞くべきだと思う。だから、現場で現実を見ていない人に何を言われても、私は構わない」
東海林さんの言葉に力がこもる。大変な取材の連続だったが、救いとなったのは家族の存在。東海林さんは当時、夫と1男1女の4人家族で暮らしていた。
「外でどんなにひどい事件の取材をしても、家に帰ってドアを開けたら、そこは別世界。ご飯を急いで作らなきゃならなかったり、子どもに『お母さん、明日、これを学校に持っていかなきゃいけないんだけど』って言われたりする普通の家庭だから(笑)。おかげで、気持ちが切り替えられました」
子どもたちは東海林さんの仕事をどう見ていたのだろうか。
「いっさい何も言わなかった。学校で友だちに何か言われた、とかも聞いたことがない。もし、『そろそろやめて』とかって言われたら、続けられなかった。子どもたちは私の仕事を、たぶん認めてくれていたのだと思う」
当時は少数派の“働く母親”だった東海林さん。その背中を見て育った子どもたちは、きっと誇らしく思っていたにちがいない。