「早朝から夜遅くまで駆け回って、睡眠時間も少なかったけれど『しんどい』とは思わなかった」
なぜ東海林さんは現場にこだわったのか
約3000件の事件を取材したという東海林さんにとって、心に残るのは少年事件だという。たとえば、1980年に起きた「神奈川金属バット両親殺害事件」。現場は神奈川県川崎市の新興住宅街。そのなかの一軒家で一緒に暮らすエリートの両親を、浪人中だった息子が金属バットで殺めてしまうという事件で、当時多くのメディアが取材をした。
「すぐに現場に駆けつけたらまだ規制線が張られる前。だから、現場となった自宅のすぐそばまで近寄って見ることができたんです。事件があったと思われる2階の部屋を見上げると、水玉模様のカーテンがかかっていて……よく見たら水玉模様じゃなくて血しぶきだったんです」
ハッと気付いたがあまりに生々しく、コメントすることは避けたという。
「でも、怖いとは思いませんでした。淡々と伝える新聞やニュースで見聞きするのと、実際に現場を見るのでは、ものすごく落差がある。これはもっと深く伝えなければいけない、私の使命だ、と思いました。
当時は早朝から夜遅くまで駆け回って、睡眠時間も少なかったけれど『しんどい』とは思わなかった。『ほかの人に負けたくない!』という気持ちが強かったのだと思う。緊張感が幸いしたのか、風邪も一度もひかなかった。我ながらよくやったと思うわね(笑)」
