教皇が決まらなかった時は、バチカンのシスティーナ礼拝堂の煙突から黒い煙が出される(Getty Images)
「辞任要求」に「生前退位」も
イタリアには、「教皇としてコンクラーベに入る者は、枢機卿のまま出てくる」という格言がある。下馬評が高い人は選ばれにくいという意味だが、人気者の足をすくうのは、やはりスキャンダルだ。
「アメリカ人初の教皇になる」と公言する野心家として知られたのが、1984年にボストン大司教に任命されたバーナード・ロウ枢機卿だった。
黒いスータンを身につけて発する雄弁は映画俳優のようでもあり、国内の司教団のみならず、その影響力は米国の政界中枢にも及ぶとされた。
だが、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世が2005年に亡くなるよりも前の2002年に、地元紙『ボストングローブ』が、かねてから疑惑がささやかれていた神父による小児性虐待に関する調査報道を始めると、名声は地に堕ちた。
ロウ枢機卿は30年にわたり児童への性加害を続けた神父の問題性を上長として知りながら、各地の教会を転々と異動させるばかりで、内密に被害者と和解して事態を隠蔽していたことが明らかになった。
強い非難を浴びてボストン大司教を退き、身を隠すようにイタリアの教会へ転出。その後、2005年の教皇選挙に参加はしたが、「アメリカ人初の教皇」の夢は果たすべくもなかった。
映画でも「アフリカ初の枢機卿」として有力候補に浮上する黒人枢機卿に女性スキャンダルが表面化するが、内部情報の流出による転落劇は、現実が下敷きになったシナリオにも見える。
そうして2005年の教皇選挙で選ばれたのがドイツ出身のベネディクト16世だったが、在任中には欧米をはじめ世界各国でカトリック聖職者による性虐待事件が相次いで発覚する。ベネディクト16世に対しても、教皇になる前、性虐待の告発を受け取ったのに何もしなかった、という訴えが飛び出した。
指導力を失った教皇は2013年、85歳という年齢を理由に600年ぶりという異例の生前退位を選んだ。 その時に教会刷新のバトンを受け取ったのがこの4月に亡くなった教皇フランシスコだが、やはり内部から批判の矛先を向けられたことがある。
