おそらく読者の中には、両親などから「あなたは世界一かしこい」「誰よりもかわいい」と言って大切に育てられた方がいるでしょう。乳児の世界は狭く、親と自分しかいないので、親にそう言われると鵜呑みにしてしまいます。
そこでは「自分が一番だ」と思い込んでいますが、その後、幼稚園や保育園、続く学校生活で、他の子どもに出会います。そして、「自分は決して一番ではない」「カッコいい人がこんなにいるんだ」と自分の正しいランクづけを知ります。
ところがマッチングアプリは、そうやって一度でき上がったはずの現実認識をぶち壊します。
「やっぱり私ってけっこうすごいかも」
「そうよ、これくらいの理想の相手を求めたっておかしくないんだ」
と乳児の頃の世界に戻ってしまいやすくなるのです。
それは、交際相手にも同じことがいえます。たとえば学校のサークルや会社などに属していると、参考になるようなお手本、ロールモデルをたくさん目にすることができます。
すごく外見がよくて頭もいい女性が、意外にも地味だけど堅実な相手とお付き合いしているのを見たりすると、「そうか、誰もが理想の王子様みたいな人と、結婚するわけじゃないんだ」「彼女でも選ぶのはこういう人なのか」と学習することができ、「じゃあ私も、今の彼氏とけっこうお似合いかもしれないな」と自分を相対化して納得したり、受け入れたりすることができるのです。
「それって妥協じゃないの」と言う方もいるかもしれませんが、こうやって「ほどほどでOK」と受け入れることは、人生をうまく生き抜く1つの知恵でもあるのです。
「いや、もっとすごい人がいい!」
マッチングアプリでは、現実を参考にする、という場面はまず訪れません。基本的に1対1のやり取りで相手を選ぶ。その繰り返し。そうなると自分の価値観がずれていっても修正するチャンスが失われ、いつの間にか自分の判断が絶対的になるのです。
だからこそ、ハッと気づいたときにはわがままになり、傲慢さが出てきてしまうのでしょう。
私から見れば、それは「子ども時代にワーッと泣けば誰かが相手をしてくれる、まるで自分が王様・女王様だった時代」に心理的には戻ってしまうのと同じだと考えます。自分のなつかしい過去に戻るのと同じなので、ついわがままで傍若無人な振る舞いをしてしまうのです。
しかも、「この人がいい! いや、もっとすごい人がいい!」と実際は「幼児性が出た自分が選ぶ」という形であっても、マッチングアプリの世界では1対1なので、それらをまわりからとがめられることはありません。
つまり、社会性がシャットアウトされた自分ファーストな世界が広がっているのです。だからこそ、「自我理想」も強化され、現実離れした人を平気で追い求めてしまうのでしょう。
繰り返しますが、いったんこういう状況に陥ると、「これはおかしい」と自分でなかなか気づくことができません。話を聞かせてくれた30代後半の女性もまさに典型例でした。
それもまた、マッチングアプリの怖さだと感じています。
(第3回に続く)
香山リカ著『マッチングアプリ依存症』(内外出版社)
