『絵馬と脅迫状』/幻冬舎/1870円
【著者インタビュー】久坂部羊さん/『絵馬と脅迫状』/幻冬舎/1870円
【本の内容】
医師としての長い経験と知識が随所に生きた「爪の伸びた遺体」「闇の論文」「悪いのはわたしか」「絵馬」「貢献の病」「リアル若返りの泉」の6篇の短篇集。「爪の伸びた遺体」では、10日前に会ったばかりの幼なじみの親友、西条己一が自殺し、葬儀に行った時の違和感がこんなふうに綴られる。《己一の爪が二ミリ半ほども伸びているのだ。十日前に会ったとき、己一は爪を深爪なほどきれいに切りそろえていた。それが今、爪の先の白い部分が伸びている。(中略)こんなに伸びるわけはない》。では、横たわるのは果たして──。ブラックユーモアあり、ゾッとするものあり、読後感もさまざまに人間の本質をえぐる。
現場で感じたいろんな矛盾を軸にして小説を書いている
医師で作家でもある久坂部羊さん。最新刊は、医師や患者、研究者の視点から、なかなか表に出づらい医療の内実を描いた「病」をめぐる短篇集である。
「小説新潮の医療小説特集で依頼されてまず2つ短篇を書いて、もう3つほど書いたら1冊になると思っていたら、幻冬舎さんから執筆依頼をもらって、3篇を書きました」
最後の「リアル若返りの泉」を書きおろして、新刊には6篇が収められている。ホラー風味のものあり、ミステリーやシリアスな内幕ものも入っている。
巻頭の「爪の伸びた遺体」にはモデルがいるそう。
「学生時代に、早熟で変わった友だちがいたんです。とにかくハラハラドキドキさせられ、私自身ひどい目に遭いましたけど、若かりし頃の彼へのオマージュです。爪を短く整えるのも『コム・イル・フォ=品の良い』という言葉も、小説に書いたようにトルストイの『青年時代』に出てくるんですけど、その友だちも爪を短くしてまして。彼の思い出と、遺体の爪が伸びていたら不思議に思うんじゃないかというアイディアをもとに肉付けしていった小説です」
「闇の論文」は、地方大学の若手研究員が、生検(検査のため病変の一部を鉗子などで採取すること)ががんの転移を引き起こす可能性を実証してみせるが、医学界の闇に突き当たる話だ。
久坂部さんの医療小説は、医師を聖職者のように描くのではなく、医療従事者の本音やシステムの不備を描いてみせる。
「医療の裏面といいますか、日ごろ隠されている実態ですね。私は現場で知っていますから、そこで感じたいろんな矛盾を軸にして小説を書いています」
医療に対する期待値を下げたいのだと久坂部さんは言う。
──上げるのではなく、下げるのですか?
「世間一般の人が持っているお医者さんのイメージって、頼れるとか、信頼できる人であってほしい、というものだと思うんですけど、実際には勉強漬けで受験戦争を勝ち抜いてきた人が多いし、たとえ理想を胸に医者になっても現実の患者さんと家族の対応で心が折れる人や、自分の研究にしか興味がない人もいます。
そういう医者もいるんだってことを私は知ってほしいんです。等身大の医療ってよく言うんですけど、世間の期待値が高すぎると、医者の側も苦しくなる。期待値を下げることで、もっと風通しをよくしたい。メディアはいい話ばかり広めるか、医療ミスやひどすぎる医者の話を報じるだけで、プラスマイナス両方に現実と乖離している気がするんです」
身もふたもなく内実をさらけ出すことに対して、医療の側から反発が出たりはしないだろうか。
「どちらかというと『よく書いてくれた』『その通りだよ』と、肯定的にとらえてもらうことが多いです。医師会の集まりや、同級生の飲み会でも、そんなひどいこと書くなとか、講演で話すなとか言われることはありません。彼らだってみんな言いたいけど立場上言えないんですよ。患者さんや世間に向かって本音で話すと、批判されたり炎上したりするとわかっているので」
「悪いのはわたしか」は、新聞の人生相談の回答者である女性の精神科医に脅迫状が届く。
「新聞の人生相談をよく読んでいるんですけど、中にはひどい回答、溺れている犬を突き落とすようなのもあって、いつか小説にしようと切り抜いて取ってあったんです。それに、ホイットニー・ヒューストン主演の映画『ボディガード』のイメージも重なるように書いています」