1945年8月、満洲国ハルビンに進駐するソ連軍。日本側の建物・施設などが次々に接収された(写真左=SPUTNIK/時事通信フォト。右は当時の宮川舩夫ハルビン総領事)
今年は「終戦80年」であると同時に、「日ソ戦争80年」の節目でもある。
1945(昭和20)年8月9日未明、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄して満洲へと攻め込んできた。半年前まで「日ソ関係は良好」と明言していたソ連外相からモスクワ駐在日本大使に「宣戦布告文」が手渡されたのは、その前日8日夜のこと。まさに現代のウクライナ侵攻にも通じるような“奇襲”だった。
戦後、満洲に関する記録や資料は多数発表されたが、現地で在留邦人の安全確保や避難のために奔走した外交官たちの奮闘の軌跡はあまり知られていない。最新刊『消された外交官 宮川舩夫(みやかわ・ふなお)』が話題のノンフィクション・ライター斎藤充功氏が、その舞台裏をレポートする。同書より抜粋・再構成。
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2022年2月に勃発したウクライナ侵攻で、ロシア軍は当初、作戦期間10日間の早期決着を目論んでいたとされる。侵略戦争は、往々にして「短期決戦」を企図して始まり、結果的に長期化・泥沼化することが多い。その数少ない“例外”が、1945年8月のソ連軍による「満洲侵攻」だった。
日本軍はすでに対米英戦で大幅に戦力を削られていた上、「日ソ中立条約」が継続(満了期限は翌1946年4月)している中で、不意打ちを仕掛けてきたソ連軍に対して、日本側はなす術もなく白旗を上げた。
当時、満洲国北部の要衝ハルビンで、在留邦人らの安全確保や避難のために奔走していたのが、宮川舩夫総領事をはじめとする在ハルビン日本総領事館の外交官たちだった。