解散を発表したTOKIO(HPより)
元TOKIOの山口達也さんが強制わいせつの容疑で書類送検された時の謝罪会見では、「僕は山口を見捨てることはできません」と彼に寄り添うようなコメントをしたこともある。テレビの向こうに見える彼の姿は、ハラスメントのとは程遠いものだった。それだけにコンプライアンス違反という言葉とのギャップは大きく、それが何を指すのかやはり気になってしまうのだ。
人には曖昧を嫌い、不確実な状況を避けようとする「曖昧さ回避」という傾向があるといわれる。曖昧な状況は人をモヤモヤさせ。ストレスを感じさせる。先が読めない、予測ができない状況は人を不安にさせ、その状況から早く抜け出したい、すっきりしたいと思う。その根本には、新型コロナウイルスが世界を震撼させた時のように、予測のできない曖昧な状況にはリスクが伴い危険だという感覚があるからだ。
国分さんのコンプライアンス違反は危険ではないが、視聴者の中にはモヤモヤしたストレスは残ってしまう。さらに解決しない問題や中途半端な状況は、人々の記憶に残りやすく、尾を引いてしまうのだ。
わかりやすい例が先日あった。「山尾ショック」である。議員として活躍していた山尾志桜里氏に出た不倫疑惑だ。当時、会見を開いたものの一方的に謝罪しただけで、質問を受け付けず、メディアや世間にモヤモヤを残したままにした山尾氏。議員を辞職し、今回、国民民主党から公認を受け出馬会見を開いたものの、再び疑惑に対して説明を求められたが、それについて一切答えることはなかった。世間もメディアも彼女の疑惑を忘れていなかった。その態度に批判や非難が集中し、国民民主党は公認を取り消した。
ネットやメディアでは、国分さんに対して”記者会見を開くべきだ””説明責任がある”という声が多い。しかし謝罪会見を開いたとしても、違反の内容を明らかにできなければ、山尾氏のようにさらに傷口を広げることになる。いつどのような形で真実を語るのか。彼の復帰がうまくいくかどうかは、再びカメラの前に立った時に彼が何を語るのかにかかっている。
