国民に元気な姿を見せられることに強いご覚悟を持っておられるのでは(2025年1月2日、東京・千代田区。撮影/黒石あみ)
戦争の記憶を忘れないというメッセージ
上皇さまはいま、慎重にかつての日常を取り戻そうとされている。
「日課としていた美智子さまと行う朝夕の散歩は距離を短縮され、心臓に負担のかかる階段の昇降を避けた生活を送られています。また、上皇さまの隣にはいつも美智子さまが付き添われ侍医も待機しています。しかし、快復のペースが思わしくない場合には、軽井沢行きも断念せざるを得ないでしょう」(皇室記者)
標高が高く、真夏でも30℃を超えることが少ない軽井沢は、古くから避暑地として多くの著名人に愛されてきた。上皇さまと美智子さまにとっては夏のご静養の場であり、運命の出会いを果たした場でもある。
「おふたりが初めて出会われたのが軽井沢のテニスコートでした。ご成婚後も皇太子時代は毎年のように滞在され、友人の別荘にお出かけになることもありました」(前出・皇室記者)
また、先の大戦の記憶を深く刻んだ土地もある。大日向開拓地だ。ここは戦時中、長野から旧満州に渡り、終戦後の混乱のなか日本に引き揚げた人たちが入植し、人力で原野を開墾した地区である。
「上皇ご夫妻は軽井沢を訪れると必ずといっていいほどこの開拓地を訪問され、さらにこの地で報道陣の取材に応じられ、“戦争の記憶を忘れない”というメッセージを発してきました。ご自身の訪問が報道されることで、戦争や戦争によって苦労した人たちの存在を若い世代に伝えたいとお考えなのでしょう。
ただ、コロナ禍では足を運ぶことが叶わず、’23年に4年ぶりにようやく同地に立つことができたときには、畑の作物の育ち具合に変化はないかといつもよりじっくりと眺められていました」(前出・皇室記者)
いまや戦争の犠牲になった土地や被災地に足を運ぶ祈りの旅は、皇室における活動の柱のひとつだ。
「祈りの旅に注力し、確立されたのが上皇ご夫妻でした。しかも今年は終戦から80年という節目の年ですから、なおさら大日向開拓地で慰霊の時間を持ちたいとお考えだったはずです。しかし上皇さまに無理を強いることはできません。上皇さまの体調の一日も早い快復を願うとともに、いざというときは冷静な判断を下す心づもりをされていることでしょう」(前出・皇室記者)
美智子さまの葛藤は続く。
※女性セブン2025年8月14日号