当時、広域指定暴力団の幹部だったA氏と三原じゅん子氏のツーショット
忘年会にゲスト参加し『セクシー・ナイト』を披露
A氏との接点がこれだけであれば、“コンペの参加者に求められて写真を撮らせただけ。どんな人物か知らなかった”という言い訳が成り立つかもしれないが、接点はゴルフだけではなかったとの証言もある。
その年の暮れに三原氏は、A氏が実質的に取り仕切り、暴力団関係者が多く参加する茨城の祭礼関係の集まりである忘年会にもゲストとして参加したという。
忘年会は高級ホテルを貸し切って行なわれ、参加者は500~600人。大物芸能人も参加していたとされる。忘年会出席者の証言だ。
「三原さんはA氏の関係者らと一緒に舞台に近い前方から3列目のテーブルに座っていたと思います。忘年会には一般の人も参加していましたが、前方のテーブルはみんなその筋の人だったから、さすがに空気はわかったはずです。宴会の終わり頃、三原さんは周りから促されて、ちょっと嫌そうに舞台に上がって代表曲の『セクシー・ナイト』を披露して喝采を浴びていました。会を仕切っていたのはA氏ですが、この忘年会も、A氏と懇意にしていたB氏が三原さんを呼んだと聞いています。当時、三原さんに主催者側が30万円のギャラを取っ払いで払ったという話もありました」
ゴルフコンペ後のツーショット写真に続き、A氏主催の忘年会で持ち歌まで披露したのであれば、三原氏は暴力団関係者との交流であるとどこまで認識していたのか。
A氏にゴルフコンペや忘年会への三原氏参加の経緯を取材すると、「B氏のことはもちろん知っています。毎年、忘年会に芸能人を呼んでいたのも事実です。ですが、毎年たくさんの芸能人がゲストに来ていたので、三原さんが参加したかどうかはハッキリとは覚えていません」と語った。
* * *
第3回記事では、三原氏を広域指定暴力団の幹部だったA氏が参加したゴルフコンペと忘年会に誘ったとされる芸能関係者B氏に話を聞くとともに、三原氏の事務所からの回答を報じている。
(第3回に続く)
※週刊ポスト2025年8月15・22日号