1973年、V9を達成。日本一になり場内一周をする巨人ナイン
守備のほうが好きだった
長嶋氏には天覧試合でのサヨナラ本塁打など勝負強い打撃のイメージがあるが、筆者のインタビューでは「自分としては守備のほうが好きだったんです」と明かしている。打撃が一瞬の動きである一方、守備は自分の考えや工夫を体現しやすく、ファンを楽しませられるのだという。そして、「ゴロには15種類あるんですよ。それぞれにグラブの出し方が違うんです」と言って、身振りを交えて嬉しそうに説明をした。
そうした「守備」のこだわりをめぐる証言もある。訃報を受け、V9前半の投手陣を支えた“エースのジョー”こと城之内邦雄氏に話を聞くと、印象に残るエピソードとしてキャンプでの長嶋氏の個人ノックを挙げた。
「ノックが始まるとファンだけでなく、他の選手も集まってくる。長嶋さんは立教大時代に砂押(邦信)監督からもの凄くノックで鍛えられたといいますが、それが独特なんですよ。通常、ノックで捕球するとボールを後ろのカゴに入れるところ、飛び込んで捕球しても必ずファーストやセカンドに投げる動作までやる。長嶋さんにとってはゴロを捕球してアウトにするまでが練習。それもとにかく捕球して素早く送球する。さらに送球の際に手を“ヒラヒラ”とさせるパフォーマンスを見せたりするから、ファンは大喜び。ノッカーと長嶋さん、見ているファンが一体になっていたよね」
奇をてらうばかりではなかった。1958年に長嶋氏が入団後、9年にわたって三遊間を組んだ広岡達朗氏は、長嶋氏の「守備の基礎」を高く評価する。
「サードの守備を見て立教大の砂押さんがよく鍛えたなと思いました。常にゴロに対して直角にグローブを出して、基本通りやる。これは私も大いに参考にさせてもらった。
ただ、当時の内野で大変だったのはファーストのワンちゃん(王貞治)ですよ(苦笑)。バントシフトなどのサインなどに対し、ワンちゃんは忠実に守るが、長嶋はサインを覚えないから本能に任せて動く。これをフォローしながら送球を受けることになるわけだから」
こうした「ミスタープロ野球」の姿を語れる証言者は、悲しいことに減っている。拙著には長嶋氏のほかに18人が登場するが、金田氏、野村氏、吉田氏らもすでに亡くなった。そうしたなか、拙著を「あの9年間」の記録として手に取ってもらえれば、取材者としてこのうえない幸せである。
【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材し、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープ記事で話題を集める。新著『巨人V9の真実』(小学館新書)が話題に。
※週刊ポスト2025年8月15・22日号