国枝栄・調教師が「金子マジック」を思い知らされた出来事を振り返る
1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の牝馬三冠を育てた現役最多勝調教師・国枝栄氏が、2026年2月いっぱいで引退する。国枝調教師が華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、サラブレッドという動物の魅力を綴るコラム連載「人間万事塞翁が競馬」から、金子真人オーナーの魔法のような采配についてお届けする。
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国枝厩舎に2つのGI勝ちをもたらしてくれたブラックホークが引退した2001年は34勝をあげ、調教師リーディングの4位に浮上した。
この後もスムースバリトンやアパパネの母ソルティビッド、カイトヒルウインド、ブラックホーク産駒バルバロなど金子真人オーナーの他、社台レースホースやウイン、マイネルなどのクラブもいい馬を預けてくれて、毎年30勝以上勝てるようになってきた。
ブラックホークの母シルバーレーンはその後、新冠のパカパカファームが購入。金子オーナーがクロフネの父であるフレンチデピュティとの間に生まれた牝馬をセレクトセールで落札し、私の厩舎で預からせてもらうことになった。ブラックホークの10歳年下の半妹はピンクカメオと名付けられた。
2歳7月の新馬戦、10月の特別戦を勝って暮れの阪神ジュベナイルフィリーズに出走。ここでは牝馬ながら翌年のダービーを勝つウオッカの8着に敗れたが、年明けにオープンの菜の花賞を勝ってクラシックへの出走権を確保した。ブラックホークの半妹だけあって馬体にボリュームがあり、癖のない素直な馬だった。
桜花賞に向けて、かねてから考えていた栗東への“留学”を行なった。当時関東馬は関西馬に成績で大きく水を開けられており、その一因として栗東トレセンの坂路効果が大きいのではないかと考えていたのだ。桜花賞が阪神競馬場で行なわれることも鑑み、レースの4週間前に栗東に輸送して臨んだが14着。勝ったダイワスカーレットと2着ウオッカの力は抜けていた。
3歳牝馬の王道として次は2400mのオークス。そこへ向けて2000mのトライアルを使おうかなどと思っていたら、思いがけず金子オーナーから「(GIの)NHKマイルカップを使ってくれ」と言われた。