静岡県伊東市議会の調査特別委員会(百条委員会)で証言する田久保真紀市長(中央)。8月13日午前、同市議会(時事通信フォト)
議長らへの卒業証書のチラ見せには、「チラ見せといった事実はない」「19.2秒見せた」と主張。時間については録音記録から「ストップウォッチで計りました」と答えた。真の論点は卒業証書が偽造かどうかであり、チラ見せだったかは問題ではない。だが彼女は背筋を伸ばして主張し、自分の言い分が正しかったと数字を用いて強調。どの質問でも論点をすり替えていくが、そのすべてが見破られていき、彼女の主張は成り立たない。
卒業証書のコピーや卒業アルバムを見せられ、所持品と同じかと問われても「比べるものをもっていないが、特に問題はない」という曖昧に返答。残念ながらこの質問は、それが所持品と同じか否かを答えさせるには適切ではない。百条委員会の後、明確に答えなかった理由を「推測ではなく事実として話ができるものを話した」と説明したことでもわかる。実際、比較するものが手元になかったのだ。
ソフィストと対峙する時は質問の仕方を考えなければならない。穴があれば彼らはそれを見逃さず、すり抜けていく。どれもこれも質疑応答がかみ合わず、誰の目にも論点のすり替えとすぐわかる。詭弁のテクニックを使いまくった田久保市長だがその手法はあまりにお粗末だ。
翌日、田久保氏はまたも詭弁を使った。懲りない人だ。百条委員会での発言に対し、議会に抗議文を提出したのだ。委員である四宮市議が、田久保氏の主張が正当ならなぜ東洋大学の責任を追及しないのかという話の流れで、”東洋大学は悪の組織”という表現をした。ソフィストと対峙する人は、言葉の使い方や表現に注意しなければならない。彼らは形勢が不利な場合、反撃する側に回るため、相手の揚げ足を取れるような発言を狙う。使われるのは”感情への訴えかけ”というテクニック。論点とはずれたところで怒りや悲しみを訴え、相手の感情を混乱させ攻勢に回る。だがそもそも彼女が卒業証書なるものを提出すれば済む話だと誰もが気付く時点で、この詭弁は通用しない。
ソフィストは相手が気が付かないうちに自分の主張を通し、見破られないよう感情をゆさぶったりするため、相手はいつの間にかソフィストの言い分にはまってしまう。有権者の心を自身の言葉でいかに動かすことが資質の1つとして求められる政治家にとって、必要なテクニックかもしれない。だが田久保市長の詭弁はどれもバレバレで、大義もない。下手な詭弁が悪目立ちする市長を前に、伊東市議会はこれからどうするのだろうか。