歴史学界は「閉鎖社会」
彼らの根拠は次のようなものだ。
〈「帰化」という語は、もともと古代中国の中華思想に基づき、周辺の異民族が中国帝王の王化を慕って帰順し、その国家的秩序に従うことを意味したが、7世紀末~8世紀に中国の国家制度に倣って律令(りつりょう)国家を樹立した日本の支配層は、同時にそのような中華思想も受容して、それ以前に海外から日本に移住してきた人々をすべて天皇の徳を慕って「帰化」したものとみなした。すなわち、古代の渡来者を一括して「帰化人」と称するのは律令国家支配層の歴史観に基づく見方であって、7世紀以前の日本列島にまだ帰化すべき国家の確立していない段階の渡来者に用いる歴史用語としてはふさわしくない。〉
(『日本大百科全書〈ニッポニカ〉』小学館刊 「渡来人」の項より抜粋。項目執筆者菊地照夫」)
ここで項目執筆者が展開している論理がいかに奇妙なものか、私のこれまでの記述を思い出していただければ明白だろう。「7世紀末~8世紀に中国の国家制度に倣って律令国家を樹立した日本の支配層は、同時にそのような中華思想も受容して、それ以前に海外から日本に移住してきた人々をすべて天皇の徳を慕って『帰化』したものとみなした」というのは、ご本人の歴史分析である。学説と呼ぼうか。
それはどんなものであれ、主張するのは自由である。しかし、だからと言って、当時使われていた言葉を「言葉狩り」する必要がどこにあるのか? たとえば、この「菊地学説」とは反対の立場を取るのが前出の『世界大百科事典』の項目執筆者であり、引用部分に続くところでこう述べている。
〈帰化の語はもとは中華思想から出た語であるが、日本では中国の慣例に従ってこの語を用いていたにすぎず、とくに王化を強調する意図があったわけではない。〉
王化というのは、「王者の仁徳により万民を感化し世の中をよくすること(『デジタル大辞泉』小学館)」であり、それをとくに「強調する意図があったわけではない」というのだから、これは菊地学説とは反対の立場である。これを項目執筆者の名を取って関学説と呼ぼうか。
では、ここで私が菊地学説の立場に立って関学説を論破しようとしたら、どのような論理を展開するだろうか。次のようになるだろう。
「あなたは海外から移住してきた人間に対し、当時の日本の支配層は王化を望んでいたのでは無いと主張するが、ならばなぜ単なる渡来人などと言わず、わざわざ帰化人という言葉で彼らを呼んだのか」