作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十五話「大日本帝国の確立X」、「ベルサイユ体制と国際連盟 その13」をお届けする(第1464回)。
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前回までに、「あの戦争」を「太平洋戦争」と呼ぶのはきわめて不正確で、しかも日本でそれがあたり前になってしまったのはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の洗脳工作であることを説明した。おそらく、これに異論を唱える人はいないだろう。私の言ういわゆる左翼歴史学者も、「『太平洋戦争』では不正確」ということは認めている。
だからと言って、当時の呼称である「大東亜戦争」では無く「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきだという主張は、まさに日本の歴史そして日本人の「宗教」を知らない噴飯物の態度であるということも、前回述べた。なぜ彼らの主張が噴飯物、つまり「あまりにばかばかしくて食べたご飯を吐き出して大笑いしてしまうようなこと」なのかは、前回の記述を見ていただきたい。
私もノンフィクション作家として歴史を記述するようになって四十年になるが、私がノンフィクションとしての処女作『言霊』(祥伝社刊)を発表したころは、ほとんどすべての日本人の深層心理に言霊信仰が存在するという自覚が無く、そのためとくに左翼歴史学者にはさんざん悪口を言われた。
豊臣秀吉が遂行した「文禄の役」「慶長の役」は「朝鮮侵略」と言え、というのが彼らの主張で、実態としてはそうであったとしても当時は「唐入り」と呼んでいたのだから、その表現を尊重し分析の段階で侵略かどうかを決定するのが歴史を研究するものとしての正しい態度だと思うのだが、そういう態度を示すと「良心が無い」とか「右翼(=悪人)」などと言われた。
最近はNHKの歴史ドラマでもようやく正しい歴史用語である「唐入り」を使うようになったし、昔の東映時代劇ではあたり前だったが、差別語追放運動の煽りを受け使われなくなっていた「不浄役人」という言葉も復活した。武士たちは浪人といえども奉行所の役人、つまり与力や同心をこう呼んだ。理由は言霊信仰と同じく日本人の心を支配しているケガレ信仰(正確にはケガレ忌避信仰)である。
日本人は「罪」や「死」をケガレと考え、その一方でケガレをあらゆる不幸の根源と考える。だから、それにかかわる軍事警察部門を天皇家はいち早く放棄し、その結果それを「拾い上げた」武士たちが幕府政治という形の軍事政権で日本を支配した。しかし武士たちは、天皇家を滅ぼそうとはしなかった。天皇はもっともケガレ無き至高の存在だから、「祀り上げる」他は無かったのだ。
そして、本来は戦士として流血や死を厭わない彼ら武士も長い泰平の時代が続くと「ケガレ忌避信仰」に影響されて、同じ武士のはずなのに犯人逮捕や処刑といった刑事警察部門を担当する武士たちを差別するようになった。
直接罪人を捕らえる与力、同心は江戸町奉行の部下であり町奉行は旗本だから、間接的には将軍の家来ということになる。しかし与力、同心は臨時雇いという形であった。自分の息子を後継者に選ぶことはできるが、それは旗本が息子に地位を継がせる権利を持っているのとはまったく違い、雇用形態はあくまで一代限りということだった。犯人逮捕などで「罪」というケガレに触れる「賎業」だったからである。
しかし、浪人は歴とした藩士と違い、いわば失業者であるから町方役人でも捕らえることができた。だから彼らは同心に捕まりそうになると、プライドにかけて「不浄(=ケガレた)役人の縄目を受けるか!」と叫び「縄目の恥」という言葉も使った。
また、町人、浪人、農民など江戸町奉行の管轄にある人々の死刑執行、つまり斬首については山田浅右衛門(世襲名)が代々担当したが、この山田浅右衛門も旗本では無かった。それどころか身分は浪人で、町奉行所のその都度の発注によって、いわば「外注業者」として死刑執行を担当していたのである。現代なら法務省所属の死刑執行担当官であり歴とした公務員であるはずだが、江戸幕府は彼を正式なメンバーとしては認めていなかったのである。