少年犯罪の陰には家庭環境が影響していることも多いという(イメージ)
「シラフではない状態で女子高校生を凌辱したに違いない」──36年前に起きた、史上最悪の少年犯罪「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の報を聞き、 薬物依存症のリハビリを支援する施設「DARC」代表の近藤恒夫氏は、まずそう感じたという。
当時16~18歳の少年らが、性的暴行や凄惨な集団リンチにより殺害し、コンクリートに詰めて遺棄するというあまりに残虐な事件。この事件の背景には“シンナー依存による連帯”があったのではないか──。
少年犯罪を中心に40年以上ルポライター・ノンフィクション作家として活躍する藤井誠二氏が、「DARC」近藤氏への取材を通してたどり着いた “ある仮説”とは。著書『少年が人を殺した街を歩く 君たちはなぜ残酷になれたのか』(論創社)より一部抜粋して再構成。【全4回中の第4回。第1回から読む】
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クスリを離れるとバラバラ
「一見グループになっているけど、クスリを離れるとバラバラですよ。自分の世界にはいってるわけですから」と近藤氏は指摘する。輪姦の最中、その横でまるで自分には関係ないかのようにファミコンに興じていたタイプもいた。どうして、そこまで己を閉ざすことができるのか、僕は疑問だった。
少年たちが少女を監禁していた40日間の後半になると、頻繁にリンチを加えていく。その時期、彼らの意識は完全に倒錯していた。例えば、「オマエがいるから布団が汚れた」と因縁をつけてリンチが始まっていくのである。
「主犯格は完全に薬物依存になって、そういう状態になっていると思う。一人ひとりはそんなに凶悪な少年たちじゃないと思うんですよ。でも、クスリっていうのは人格をどんどん破壊していって、自己中心の人格を形成していく。自己中心にならないとそんなことできないでしょう。それがエスカレートしていって、そうするとなにがいちばん怖いかというと、自分の人生や命も大事にしなくなるし、他人の命も大事だってことがわからなくなる。生命に対する意識が破壊される」
女子高校生を監禁した少年たちは、さんざん凌辱した挙げ句、次第に彼女の存在を「お荷物」にしていく。だんだん近づかなくなっていき、衰弱しきった彼女を部屋に放置するようになっていく。互いに責任をおしつけあっていくのである。
「もう責任を取る能力がない。だんだん、女子高校生が邪魔になっていくわけでしょう。それは自分たちが自由を失っているわけだから、その子がいるだけで自分たちがその状況をコントロールしていかなくてはいけなくなる。そうすると、誰がやるとか、おれはいやだとか始まる」
近藤氏の論理は、僕がこの事件に対して抱いていた「疑問」のひとつをはからずも説明するものとなった。こうもシンナーなどの薬物は人間を変えてしまうのか。