国民に笑いを届け続けた稀代のコント師・志村けんさん(共同通信)
かつて数々の伝説級のコントを思案したコメディアンが、多忙ななかで束の間のひと時を過ごしたその場所には今、「売物件」の看板が1本、寂しく立っていた。
ザ・ドリフターズのメンバーとして46年間、国民に笑いを届け続けた稀代のコント師・志村けんさん(享年70)。彼が愛した東京・三鷹の自宅は取り壊され、更地に整備された。近隣住人が語る。
「志村さんが亡くなって5年間ほどは空き家となっていましたが、今年3月頃に解体工事が始まり、わずかな期間で豪邸が跡形もなく無くなってしまいました。生前は自宅前に愛車のロールスロイスが送迎で止まっていて、やっぱり芸能人はすごいなと思いましたが、会うと気さくに挨拶してくれる庶民的な方で地元でも愛されていました」
生前、志村さんが生活していた邸宅は、近くを神田川や玉川上水が流れる緑豊かな三鷹に建てられた。芸能プロ関係者が振り返る。
「1987年当時、自宅は3億円御殿とも言われ、アメリカの音楽文化を好んでいた志村さんのこだわりが詰まったピンク色のアメリカンスタイルでした。都心で仕事をしている志村さんにとって決して交通の便がよくないこの地をあえて選んだのは、『8時だョ!全員集合』の公開収録がたびたび行われた思い出の三鷹市公会堂が近く、地元の東村山まで車で行きやすい距離だったのが理由だったそうです。志村さんは事務所兼マンションがある麻布十番で朝まで深酒しても、よほど三鷹の家の居心地がよかったのか、ほとんど自宅に帰っていたそうです」