作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十六話「大日本帝国の理想と苦悩」、「大正デモクラシーの確立と展開 その1」をお届けする(第1466回)。
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事実上は「国際連盟設立準備総会」でもあったパリ講和会議が開かれたのは、一九一九年(大正8)一月十八日である。そして、この会議は本来の目的であった「第一次世界大戦の後始末」を行ないながら、同時並行で「国際連盟設立」を進めた。ここで大日本帝国は人類史上初の「人種差別撤廃条項」を「国連」の規約に盛り込むべきだと主張したのだが、オーストラリア、イギリスそしてアメリカの「アングロサクソン連合」に阻まれてうまくいかなかった。
しかし、逆に日本がもっとも望んでいた敗戦国ドイツの持っていた権益の承継については、紆余曲折はあったものの最終的には希望が認められた。その権益とは、中華民国山東省におけるものと、赤道以北のドイツ領諸島(サイパンなど。日本はのちにこれを南洋諸島と呼んだ)の領有である。このうち南洋諸島のほうは、日本が国連の委任を受けて統治するという形で同年五月七日にあっさり承認された。この島々には石油など価値の高い鉱物資源が無かったことも、日本の要求がすんなり認められた理由だろう。逆に日本はこれ以後、砂糖などの商品作物の栽培や漁場の開拓など、島々の発展につながる政策を実行する必要に迫られた。
一方、山東省権益継承は難航した。会議にも参加していた中華民国が、「権益は直接わが国に返還されるべきだ」と断固反対したからである。しかし日本も、青島攻略戦などで「血を流して」ドイツを追っ払ったという実績がある。ここは簡単に譲れない。この点では普段中国の肩を持つアメリカも、日本の支持に回った。
「国連準備総会」の議長として日本の人種差別撤廃提案を強引に葬ったアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンは、そうしたがゆえに逆に山東省権益問題では譲るべきだと考えたのだろう。「両方ともダメ」では、日本が席を立って退場し国際連盟に参加しないという態度を取る恐れがあるからだ。これも逆に言えば、日本が参加しない国際連盟など意味が無いとウィルソンは思っていたということで、列強の一角としての日本の存在感がそれだけ高まっていたということだ。だがじつに皮肉なことに、ウィルソンのアメリカはモンロー主義を国是とする議会の決定で国際連盟には最終的に参加しなかったのだが。
念のためだが、前章で詳しく述べたように日本は山東省権益問題を有利に解決するためにその取引材料として人種差別撤廃案を持ち出したのでは無い。そういうことを言うのは、日本をあくまで貶めようとする左翼歴史学者の陰謀である。たしかにウィルソンの思惑では「一つダメだと言ったから、一つ譲った」かもしれないが、日本の態度は「山東省権益問題」は「現実」、「人種差別撤廃案」は「理想」として出したもので、それぞれを取引材料にするという意識は当事者には無かった。
ただし、前に青島攻略戦の展望について欧米や中国のマスコミの論調を紹介したことがあるが、あのなかに「日本はとりあえず無条件で中国に権益を返し、外交関係を良好なものにしたほうがいい」という意見があったのを覚えておられるだろうか。