2005年【岡田第一政権と鉄壁の「JFK」】岡田監督が“勝利の方程式”として抜擢したジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の「JFK」はリーグトップの防御率を誇った(時事通信フォト)
退任後の岡田氏は単なる評論家ではなく、オーナー付顧問として阪神のフロントに入っている。
「藤川監督としては、球団内の立場があるのだから、言いたいことがあるならマスコミにではなく、内々に伝えるべきだと考えていたといいます。そうしてキャンプの頃からOB、特に岡田さんと距離を置くようになった。
岡田さんは藤川監督が寄ってこないので、本人に届くようにさらに考えを公言する。一方の藤川監督は、岡田体制で不動の4番だった大山悠輔を5番に下げ、佐藤輝明を4番に据えるなど、自分が考える野球を貫いた。それが周囲にも“脱岡田”と映るわけです」(同前)
2年前にチームを38年ぶりの日本一に導いた岡田氏は重鎮中の重鎮だが、“脱岡田”の動きには球団側も同調したとある阪神OBは言う。
「そもそも球団が岡田さんをフロントに取り込んだのは、アドバイスをもらうためというより、その物言いを制御したかったのでしょう。だから岡田さんへのマスコミ取材のほとんどに球団がNGを出し、野球の中継解説くらいしか発信の場がない。岡田さんも察知してか、次第にグラウンドに姿を見せなくなった」
ただ、単に“岡田氏を遠ざけたい”というのが藤川監督の真意だったわけではない。
