2000年のシドニー五輪がキャリアのひとつの転機だったという(本人提供)
倍率2500倍を突破「就活で一度も落ちたことがない」
──1998年のフジテレビ入社。当時の就活は厳しかったのではないでしょうか?
「本当にめちゃめちゃ厳しくて。就職活動をしたのは1997年だったんですけど、就職協定っていうのが急に廃止になったんですよ。それで就活生は『え? どうなるの』って感じでカオスな状態でした。その時にテレビ局が初めに内定を出していて、アナウンサー職がその中でもいちばん早かった。だから、みんなとりあえずエントリーシートを出したんです。1万人受けて4人内定とかだったんで、倍率は2500倍くらいでしたね」
──それはすごいですね。どうして採用されたのだと思いますか?
「実力試しで受けたとかじゃなくて、本当にアナウンサーになりたかったんで。そこの部分のアドバンテージが大きかったのかなとは思っています。実は僕、就活で一度も落ちたことがないんです。フジテレビと日テレとTBSをアナウンサー職で出して、すべて最終の役員面接まで行きました。でもその時は、その3局が役員面接を全部同じ日にぶつけたんです。それでフジテレビを選びました。スポーツに関わる仕事がしたいと面接では伝えていました」
