今年2月に直腸がんが見つかり10カ月に及ぶ闘病生活を語ったラモス瑠偉氏
「今年2月に直腸がんが見つかり、お医者さんからは『ステージ3です』と告知を受けました。まさか自分がこの病にかかるなんて……本当にショックで頭が真っ白になりました」──長年、日本のサッカー界をけん引してきたラモス瑠偉氏(68)は今、人生最大の“敵”と闘っている。20歳でブラジルから来日し、酷使し続けた体は悲鳴を上げていた。25回の放射線治療に抗がん剤投与、7時間30分の大手術。ラモス氏がNEWSポストセブンの取材に、10カ月に及んだ闘病生活のすべてを語った──。【前後編の前編】
1977年にブラジルから来日し、日本でのサッカーキャリアを読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ1969)でスタートさせたラモス氏。1989年に日本国籍を取得後、日本代表の中心的な選手として華麗なプレーで多くのサポーターを魅了した。1993年には「ドーハの悲劇」と語り継がれているFIFAワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選でプレーするなど、日本サッカー界の礎を築いた。
現役引退後は、ビーチサッカー日本代表監督やヴェルディ、FC岐阜などでも監督を務め、現在はユース選手の育成やタレント業、『PAGODE DO RAMOS』(パゴッジ・ド・ラモス)を結成し音楽活動を行うなど、活躍の場を広げている。そんな彼に異変が起きたのは昨年末のことだった。
2016年に脳梗塞で倒れたこともあるラモス氏は2019年まで毎年欠かさず人間ドックを行っていたが、コロナ過などもあり、約6年ぶりに病院を訪れたことで病気が発覚した。
「予兆などは本当になくて……昨年の12月ごろに少し便が出にくいなと感じてはいました。そんなときに仲間と会い、60歳を過ぎて前立腺の病にかかる人が増えているという話を聞き、そういった症状になっているのかもしれないと感じ、今年の1月に病院で検査を受けました。
前立腺に問題があると思っていたら、いきなりの『がん告知』。死ぬのであれば違うことで死ぬと思っていたので、本当にまさか……という気持ちでした」
告知があったのは2月10日で、実は前日2月9日はラモス氏の誕生日。350人ぐらいの前でライブを終えたばかりだった。「本当に、凄いプレゼントを貰ってしまったなと……つくづく思いました」と、苦笑いを浮かべた。
