16人の専門家が選ぶ「最低の軍人」たち(1~5位)
3位は参謀の辻政信・陸軍大佐。関東軍に派遣されるとノモンハン事件の拡大を工作、マレー作戦で無謀な作戦計画を立て、フィリピンでは米軍捕虜への「バターン死の行進」などにも関与したとされるが、終戦直前、軍を離脱して逃亡。戦後は国会議員となるが海外で失踪した。
「最も悪質な現場無視の参謀」(ノンフィクションライター、将口泰浩氏)
「無責任な戦争指導を行なった陸軍軍人の代表の1人」(井上氏)
そしてワースト4位に入ったのが真珠湾攻撃を成功させた連合艦隊司令長官の山本五十六・海軍元帥だ。一般的には「日米開戦に反対した名将」と見られているが、専門家たちの評価は厳しい。
陸上自衛隊小平学校副校長を務めた安全保障の専門家、矢野義昭・軍事アナリストの山本評だ。
「西太平洋で待ち構え、遠路やって来る敵を叩く迎撃作戦が日露戦争以来の海軍の伝統的作戦だったが、山本大将は独断専行で真珠湾攻撃を立案・実行した。当時、7割以上の米国民は開戦反対だったのに、これでリメンバー・パールハーバーだと米国世論を日米開戦に傾かせた。ルーズベルトの術中にはまり、米国参戦を招いて戦争を拡大させることになった」
5位は米内光政・海軍大将。海軍大臣時代には日独伊三国同盟に反対したが、支那事変では戦争を拡大。40年に首相に就任するも半年で総辞職。その後も海軍大臣などを歴任した海軍の大立者。戦犯には問われなかった。
「日中戦争、日米開戦から敗戦まで軍の要職にありながら、戦争を拡大させた」(兵法研究家の家村和幸・元陸自二佐)
