1977年は国枝栄氏がトレセンに調教助手として入る前の年
1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の牝馬三冠を育てた現役最多勝調教師・国枝栄氏が、2026年2月いっぱいで引退する。国枝調教師が華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、有馬記念の思い出についてお届けする。
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12月28日はいよいよ暮れの大一番有馬記念。世間は大いに盛り上がるが、中山競馬場の2500mというのはチャンピオンを決めるレースとしては、枠順の有利不利もあるし、コーナーが6回もあってトリッキーなコースであることは否めない。だからこそ圧倒的人気馬が伏兵に出し抜かれたりすることもあれば、牝馬でも勝負になるということで馬券を買うファンからすれば夢があるのだろう。
国枝厩舎でも2007年にマツリダゴッホがメイショウサムソンやウオッカ、ダイワスカーレットなどを相手に単勝52倍の9番人気で勝っている。逆に2019年には1.5倍に支持されたアーモンドアイが、リスグラシューのダミアン・レーン騎手にマークされたために掛かってしまい9着に沈んだ。
私にとって最初の記憶は小学生の時のシンザン。直線ではテレビ画面から消えてしまうほど大外を回らされながら勝ったレースを覚えている。
高校生になった1971年はマイラーズカップを連覇していた牝馬トウメイが、当時3200mだった天皇賞(秋)に勝って出走することになった。ところが前日になってメジロアサマやアカネテンリュウなどの人気馬に馬インフルエンザが判明して出走取消、6頭だけになって優勝した。
