昭和21年、巡幸に熱狂する市民とともに(写真/共同通信社)
象徴としての「見え方」
戦後の昭和天皇像は、メディアが一方的に作ったのではなく、ある種、宮内庁側との共同作業によるものと言える。
1975年、日本記者クラブとの初の記者会見で「テレビは色々見てはいますが、放送会社の競争がはなはだ激しいので、今どういう番組を見ているかということには答えられません」と発言したのは、自分の言葉がメディアでどのように伝えられるかを熟知していたからこそ発せられた、ユニークな答えだった。
昭和天皇は皇太子時代から欧州外遊などで注目されてメディアに露出しており、自分がどう描かれるかの重要性を強く意識していた。
初代宮内庁長官・田島道治氏の『昭和天皇拝謁記』には、昭和天皇が新聞各紙を細かく読み比べ、文体から執筆記者を言い当てたり、娘の孝宮の結婚報道では「誰が情報源か」を分析していたりした様子が記されている。
想像以上に緻密にメディアをチェックし、自身の象徴天皇としての見え方も相当気にかけていたことは確かだ。自分の言葉が必ず報道されることを意識し、見出しやエピソードになるような話し方をされていたことが窺える。
昭和天皇は戦争責任という問題を最後まで抱え続けた存在でもあったため、あえてお茶目な「人間」としてのエピソードを見せ、戦時中の軍事的な天皇像を払拭し続ける必要があったのだろう。
※週刊ポスト2026年1月16・23日号
