しかし、中国にもこの時期になると新しい形のリーダーが生まれつつあった。日本だけで無く英米にとっても都合のいい、というか信頼できる中国人リーダーは、やはり孫文である。民主主義あるいは資本主義という西洋の価値観を身につけ、そうしたセンスを持つ中国人のリーダーであるからだ。

 しかし、孫文はインテリすぎて戦争には弱いという重大な欠点があった。逆に言えば、孫文の後継者のなかにその欠点を補う人間がいれば有力なリーダーになれるということである。この時期、そんな人間が頭角を現しつつあった。その名を蒋介石という。
まずは彼の経歴を紹介しよう。

〈蒋介石 しょうかいせき Chiang Chieh-shih
一八八七 – 一九七五
中国現代の軍人、政治家。名は中正、字が介石(中略)。二十歳で渡日、半年間余り東京の清華学校に学び、日露戦争勝利後の日本の空気にふれた。二十一歳のとき軍人となる志を立て、保定の「通国陸軍速成学堂」に入学、選ばれて翌年再び日本に赴き「振武学校」に入学、二年後(一九一〇年(明治四十三))卒業して新潟県高田の陸軍第十三師団野砲兵第十九連隊の士官候補生となった。なおこの間中国同盟会に加入し、一九一〇年東京で孫文に会ったといわれる。また長男の経国もこの年に生まれた。翌年辛亥革命が起ったため帰国、先鋒隊の指揮官の一人として杭州を占領、のちに上海軍第五大隊隊長となった。辛亥革命挫折後の行動には不明なことが多く、陳其美や孫文と関係を保ちながらも投機事業や雑誌の発行に関係し、しばしば日本にも渡っている。一九一八年には広東軍総司令部の作戦課主任となったが、実権はなかったといわれる。かれが孫文の信任を得たのは二二年の陳炯明の反乱のときで、母の葬儀から広州にとってかえし、永豊艦に避難した孫文を護衛した。翌年孫文は蒋介石を大本営参謀長に抜擢したが浙江人であったため広東では実力なく、同年八月本人の希望もあって「孫文博士ソ連訪問団」の団長として訪ソ、ソ連軍の武器・規律・組織を学ぶとともにブリッヘル将軍らと知りあった。二四年新設の黄埔軍官学校校長となり、翌年から卒業生を中心に広東軍の中核を形成、二五年孫文の死後両広を統一、二六年の中山艦事件後はソ連人顧問、中国共産党の幹部をも抑えて、国民革命軍の指導権を握った。二六年七月国民革命軍総司令となり北伐開始、急速に軍事力を強化するとともにソ連人顧問・中国共産党との矛盾も深めて二七年四月「反共政変」を起し、四年間にわたる国共合作を終了させた。しかし蒋介石の急激な台頭は国民党指導者たちの反発も買って一時下野、日本との連携を求めて田中義一首相と会見したがその目的を達し得ず、米・英との接近に傾斜した。なおこの年の十二月一日宋美齢(孫文夫人宋慶齢および宋子文の妹)と結婚した。軍事と経済に実力を持つ蒋介石は早くもこの年の末に復職、翌二八年一月再び国民革命軍総司令となり、四月北伐を再開、五月には済南に進んだが日本軍と衝突したためこれを回避し、七月北平(北京)を占領して北伐を完成させた。(以下略)〉
(『国史大辞典』吉川弘文館刊 項目執筆者宇野重昭)

 とりあえず彼の生涯の前半を紹介したが、このなかでもっとも重要なのは、「北伐」であろう。

「コミンテルン」を模範に

「北伐」とはなにか? 中国史では、一般的に南方から北方へ「攻め上る」ことを北伐という。首都の北京は「北」にあるが、漢民族の勢いが強く海に面した「南」は西洋文化の流入も早く開明的でもある。したがって、中国改革の「のろし」は「南」から上がることが多い。

 とくに一九二〇年代の「北伐」は、のちに「北伐」と言えばこれを指すというほど典型的なものになった。

 状況を整理しよう。辛亥革命の成功で中華民国臨時大総統に祀り上げられた孫文は、厳しく言えば「みこし」にすぎず、軍事力を持っていなかったため旧勢力である北洋軍閥を率いる袁世凱と妥協せざるを得なかった。しかし袁世凱は清朝こそ滅ぼし一度は中華民国を確立させたものの、孫文との約束を破って独裁政治に走り皇帝になろうとした。

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