黒田博樹一覧/2ページ

【黒田博樹】に関するニュースを集めたページです。

広島カープ 1億円選手5人に増えるもハングリー精神健在
広島カープ 1億円選手5人に増えるもハングリー精神健在
 昨シーズン25年ぶりのセ・リーグ優勝に沸いた広島カープ。精神的支柱であった黒田博樹が引退した2017年シーズンには不安もありそうだが……。 しかし、OB会長の安仁屋宗八氏は「去年だって前田健太(28、現・ドジャース)の15勝の穴をジョンソン(32)と野村(祐輔、27)が埋めた。今度は大瀬良大地(25)や福井優也(28)、岡田明丈(23)がなんぼでも埋めますよ!」と余裕綽々だ。 今オフは菊池涼介(26)が6000万円増の1億4500万円でサインするなど、昨季は2人だけだった“日本人1億円プレーヤー”が5人に増えた。「黒田の年俸6億円を再配分した格好ですが、カープは伝統的に選手の年俸には渋い。実際、今も複数年契約は外国人のジョンソンとエルドレッド(36)だけ。今季の働き次第で大幅ダウンもあるとわかっているから、選手はみんな必死で頑張りますよ」(地元紙記者) 伝統のハングリー精神が、連覇へのカギになりそうだ。撮影■山崎力夫※週刊ポスト2017年1月13・20日号
2017.01.06 07:00
週刊ポスト
7回裏の攻撃前に歌う
広島東洋カープと松田オーナー家の幸福な関係
 実はいまなお日本の上場企業の約4割が、創業家が大株主であり続ける「ファミリー企業」である。ただし、いつまでも創業家が経営に関与するとは限らない。多くが企業が設立した財団の理事長や関連会社社長などに就くなか、“新天地”で意外な成功を収めているのが自動車のマツダ創業家・松田家である。「リーグ優勝は四半世紀ぶりで、すごく追い詰められている気持ちだった。ひょっとしたら、優勝できないのかとも思った。感激したのは選手の成長。この1年間で、戦いを通じて成長してくれた。うれしいし、誇らしい」(毎日新聞11月6日付朝刊) こう語る広島東洋カープのオーナー・松田元(はじめ)氏の曾祖父は、マツダの創業者・松田重次郎氏である。祖父・恒次氏、父・耕平氏も社長を務め、元氏もマツダに入社した。が、父・耕平氏が1977年、業績悪化の責任を取り社長を退くと、その5年後に元氏もマツダを去った。持ち株比率も低下し、創業家のマツダへの影響力はなくなった。 元氏がマツダ退職後に就いたのが、カープの取締役だった。その後、オーナーになり現在に至るまで35年にわたってカープの経営に携わっている。元デイリースポーツ編集局長の平井隆司氏がカープと松田家の関係を解説する。「プロ野球が2リーグに分裂した1950年を前に、全国各地から新球団が名乗りを上げたが、広島には一社で球団を支えられる大企業がなかった。そこで、地元財界、市民、県民が一体となって市民球団として誕生したのがカープです。マツダ創業者の重次郎氏も創設に尽力しました。 その後、球団経営が悪化するとマツダの出資が増え、1968年にはマツダ社長だった恒次氏が個人で筆頭株主となり、初代オーナーになりました。このときに広島“東洋”カープと改名。マツダの当時の社名、東洋工業のことです。 それ以降、実際には松田家の私有球団だが、あくまで市民球団というイメージを守っていることで、ファンの間でもオーナー一族の人気が高い。一方、マツダスタジアムについては広島市が建設し、命名権をマツダが買って付けたものですが、これは創業家に対する敬意の表われだそうです」 元氏はとにかく野球好きで、毎日のように球団事務所に顔を出し、二軍の試合にまで視察に訪れ、選手の契約更改にまで目を光らせているという。「広島は親会社がなく独立採算制のため、黒田博樹に6億円の年俸を払うなど本来なら考えられない。しかし、メジャーの22億円を蹴って広島に戻るという男気にオーナーが感動したから実現した。そうした熱い姿勢が広島を強くしたのではないか」(同前) 現在は甥の一宏氏がオーナー代行を務める。グッズ開発やスタジアムのイベント強化などでカープ人気上昇に成果を上げ、将来、オーナーになることが確実視されている。 松田家は「マツダ創業家」から、「カープ創業家」に見事に“転身”したのである。※週刊ポスト2017年1月1・6日号
2016.12.22 11:00
週刊ポスト
今季引退の広島・倉義和 黒田博樹が激怒した事件
今季引退の広島・倉義和 黒田博樹が激怒した事件
 160kmの豪速球を投げるわけでも、本塁打王を取ったわけでもない。それでも球史に残る活躍を見せた“地味にスゴイ”引退選手が、現役生活を締めくくるインタビューに答えた。彼らの心を揺さぶった一球とは。広島一筋19年の名捕手・倉義和(41)は、今シーズンより前に引退する可能性があったことを明かした。「2、3年前からチームの戦力になれず引退を意識していました。今年まで踏みとどまったのは、“黒田(博樹)さんが広島に戻ってくるかもしれない。黒田さんの球をもう一度受けたい”という思いがあったからです」 一学年上の黒田とは入団当初から兄弟のような仲で、メジャーに移籍するまで「黒田専属捕手」として長い間バッテリーを組み、広島の低迷期を支えてきた。黒田の信頼を得るようになったのは、2005年の春季キャンプでの“事件”がきっかけだった。「投手の球を良い音を出してキャッチするのが捕手の仕事の一つ。その時、僕は新しいミットを使っていたため、上手く音を出せなかったんです。それに気づいた黒田さんから“俺でミットを作るな(慣らすな)!”と怒られました。しばらくは、いくら謝っても口を利いてくれなかった。この一件で野球に対する考えの甘さに気づかされ、練習から必死に励むようになりました」 ストイックな黒田に食らいついたことで信頼を獲得していった。その後、メジャーに移籍する高橋建(2009年メッツへ)からも専属捕手に指名された。高校時代には大家友和(1999年横浜からレッドソックスへ)とバッテリーを組んでいたこともあり、「メジャー養成捕手」と称された。 忘れられない1球も、やはりメジャーに移籍した前田健太(2016年ドジャースへ)と組んだ時のものだった。2011年10月25日のヤクルトとの最終戦で、9回裏1死までノーヒットノーランを続けていたが、次の打者に投じた2球目を痛打され記録を阻止されると、連打を許しサヨナラ負けを喫したのである。「あの日のマエケンは絶好調で、自信を持って要求したスライダーを打たれてしまった。悔しさだけが残った試合でしたが、翌年4月6日のDeNA戦で同じ場面がやってきた。この日のマエケンも絶好調だったので、信じて投げさせた。無事にノーヒットノーランを達成できた時は、嬉しさよりも安堵感が勝りました(笑い)」 広島のエースの球を受け続けた19年間で、チームを取り巻く環境の変化も目の当たりにしてきた。「特にファンの変化は大きい。かつての市民球場は狭いし、ミスすればバックネット裏から野太い声で“ヘタクソが!”“やめてまえ!”とヤジが飛ぶ。心が折れそうになりながら球を受けていました。今はカープ女子なんかもいて、黄色い声援がスタジアムを包んでくれている。昔は球場で女子アナを見たこともなかったのに、今や結婚した選手もいますから(笑い)」 プロ野球の栄枯盛衰を知るレジェンドが、また一人球界を去った──。【プロフィール】くら・よしかず/1975年京都府生まれ。1998年、京都産業大学からドラフト5位で広島に入団。2008年からの2年間は選手会長を務め、2016年は二軍バッテリーコーチを兼務。通算成績は1564打数339安打、打率.217、打点126、本塁打23。撮影■杉原照夫※週刊ポスト2016年12月2日号
2016.11.26 07:00
週刊ポスト
プロ野球選手年俸 12分割して振り込むサラリーマン化進む
プロ野球選手年俸 12分割して振り込むサラリーマン化進む
 スター選手なら億単位の年俸を手にできるプロ野球の世界。しかし、成績次第で翌年の収入が大きく浮き沈みし、前年の収入をもとに算出される税金に苦しめられることも。そのため、様々な方法で税金対策をしているが、行き過ぎた節税が球界の不祥事となったこともある。1997年には名古屋のコンサルタントらが、プロ野球選手19人に架空の顧問料を申告させた脱税疑惑が発覚。10選手に有罪判決が下り、3~8週間の出場停止と制裁金のコミッショナー処分を受けた。 それだけ選手にとって「税金」が悩ましい問題ということでもある。球団サイドも様々な“ケア”をするようになってきた。明治大学から1985年にドラフト1位でヤクルトに入団した広澤克実氏が解説する。「かつては選手の年俸を10等分し、球団との契約期間にあたる2~11月の各月に振り込むのが普通でしたが、最近は12等分して毎月の振り込みにすることが多くなった。収入が平準化されたほうが、一気に使い込んでしまうことが減るという気遣いです。“サラリーマン化”しているともいえるでしょう。 また、高額年俸選手には、前年の所得額をベースに所得税を先払いする予定納税を勧めることも多い。そうしておくと年俸が急に下がった時にはむしろ確定申告で還付を受けられるわけです」 近年は選手が資産管理やマネジメントを行なう個人会社を設立し、CM契約料などは法人のほうで受け取るスタイルも少なくない。「本人や妻が役員報酬を分散して受け取るかたちにすると、選手個人の収入にするよりも税制上のメリットが大きい」(球団関係者)というのである。 そうなると今オフで一番気になるのは、球界最高年俸6億円から現役引退の道を選んだ広島・黒田博樹(41)の税金問題である。広澤氏はこういう。「億プレーヤーになれば、さすがに稼いだ金をすべて使い切るなんてできませんよ(笑い)。6億円ももらっていれば税金について相談できる専門家やこれまでの蓄えもあるでしょう。心配はありません」 年俸が6億円からいきなりゼロになっても税金に困らない──それはそれでスターの証ということか。※週刊ポスト2016年11月25日号
2016.11.17 07:00
週刊ポスト
日本シリーズ激闘の6日間 勝敗を分けた指揮官の「信じ方」
日本シリーズ激闘の6日間 勝敗を分けた指揮官の「信じ方」
 男気・黒田博樹の現役引退表明──。今年の日本シリーズは、このニュースから始まった。黒田が今季限りでユニフォームを脱ぐと発表したのは、シリーズ開幕4日前のこと。このタイミングでの会見となった背景には、同僚・新井貴浩の進言があった。「カープファンの皆さんに、黒田さんの最後の登板を目に焼き付けてほしかった」。新井は進言の理由をこう語る。だが“広島の象徴”の引退決断は、同時にカープナインに強い結束力をもたらした。黒田さんに男の花道を──。「チームがギュッと締まった。そういう雰囲気になりましたね」(新井) 一つにまとまった広島は勢いに乗り、第1、2戦を連勝。赤色で埋め尽くされた地元・マツダスタジアムは熱狂の渦に包まれた。 シリーズ全体を通して印象に残ったのは、25年ぶりに日本シリーズに臨んだ広島ファンだ。その熱気は凄まじかった。第3~5戦が行なわれた札幌ドームでも、スタンドの4分の1ほどを赤い軍団が占めていた。「マツダスタジアムのチケットが取れなかった」30代自営業の男性は、仕事を休んで札幌に来たという。ほかにも「(2人の)子供の学校を休ませた」という4人家族もいたし、生後2か月の乳児を抱えたカープ女子ママもいた。 札幌在住の主婦は、「北広島出身の旦那の影響で、家族揃って広島ファン」だと教えてくれた。北広島市は札幌市の南東に隣接する北海道の街。明治時代に広島県人が集団移住した土地だ。「今までは周囲に(カープファンだと)言い辛かったけれど、今年は堂々と公表できる」と、優勝を喜んでいた。 すすきのでは、赤いユニフォーム姿が、街を闊歩する様子をたびたび目にした。札幌のタクシー運転手は、「こんなの阪神ファンと広島ファンだけですよ」と苦笑いする。 第1、2戦にも、札幌から日本ハムファンが駆け付けていたはずだが、そういえば広島の繁華街である八丁堀や流川では、ファイターズのユニフォームはほとんど見かけなかった。シリーズ開幕前、両チームは育成を重視する点でカラーが似ていると評されたが、ファン気質はかなり対照的だった。 さて、黒田効果と熱烈なファンの後押しで連勝という最高の滑り出しをした広島だが、第3戦でその勢いを自ら手放してしまう。1点リードの8回裏。1死二塁で大谷翔平を打席に迎えたとき、広島ベンチは敬遠を指示。次打者の4番・中田翔と勝負したが、裏目に出て逆転二塁打を浴びてしまう。 逆転のランナーを自ら塁上に送ったこと。守備固めしなかったこと。広島の失着はいくつかあったが、最大の間違いは第1、2戦でブレーキになっていた相手4番打者を目覚めさせたことだろう。結局、試合は延長戦にもつれ込み、10回裏2死二塁の場面で、今度は大谷と勝負をしてサヨナラ打を浴びた。采配のチグハグさは否めない。 広島は失った勢いを取り戻せず、日本ハムが10年ぶりの日本一に輝いた。◆勝敗を分けた指揮官の「信じ方」 振り返ると6戦とも、どう勝敗が転ぶかわからない白熱した試合だった。巷でも「何年かぶりに見応えのあるシリーズだった」という声をよく聞く。 ただ野球のレベルという意味では、エラーや凡ミスが目立ち、高水準の内容とは言い難かったのも事実。だがこれは、両チームともベストな状態でなかっただけに仕方ない面もある。 以前はリーグ優勝から一定期間を置いたタイミングで、「最高の舞台で最高の試合を」という日本シリーズが行なわれていたが、CS制度が導入されてからは、戦いながら頂点を目指すサバイバルの色合いが濃くなっている。 実際、広島はCSで本来なら4番に座るべきルナが離脱したことが最後まで響いた。日本シリーズでは、松山竜平、新井、エルドレッドが務めたが、4番として3人合わせて僅か1打点しかマークしていない。 一方の日本ハムは、クローザーのマーティンを欠いていたが、中継ぎ陣が交代で奮闘しカバーした。大谷という切り札を持っていたとはいえ、選手のやりくりは、広島・緒方孝市監督よりも、日本ハム・栗山英樹監督の方が、完全に上手だった。 第5戦で、シリーズ史上2人目のサヨナラ満塁本塁打を放った西川遥輝について、栗山監督は試合後にこう語っている。西川はその打席まで、20打数2安打と不調に陥っていた。「状態の良い選手を起用するのが短期決戦での鉄則。でも、遥輝は状態が悪い時でも足を使えるという彼の良さをシーズンで作り上げた。そういう方向性がはっきりしているからこそ、信じて起用できる。試合後に冗談で『代打を出される』と思っていたなんて言っていたけれど、こちらにはそんな気は微塵もない。彼以上に、彼の持っている良さを信じているんだから」 ただ、栗山監督はやみくもに選手の能力を信じたわけではない。第3戦まで1番で起用していた西川を、第4戦から2番で起用していた。「2番打者には、バントでランナーを進めたり、(相手投手に)球数を投げさせたり、いろいろな役目がある。調子が悪くても彼がやるべきこと、彼にしかできないことがある。(2番起用は)そういうメッセージ」 第5戦で日本ハムは、正捕手の大野奨太に代えて市川友也を先発させた。通常、1カード3連戦で行なわれるレギュラーシーズンでは、捕手は1戦目と3戦目で反対のリードをすることがある。ただ、「4連戦、5連戦には慣れていなくて、裏の裏が表になったり、混乱する恐れがある」(栗山監督)。だから1試合だけ、大野を休ませたのだ。西川の2番起用にしろ、捕手の交代にしろ、選手の普段の力を信頼した上での短期決戦向き用兵だった。 一方、広島の緒方監督は、シーズン中の野球を型通りにやることにこだわってしまった。その最たる例が、第6戦、8回に6失点を喫したセットアッパーのジャクソンの起用法だ。 緒方監督は試合後、「ピンチでもシーズン中は切り抜けてくれていた」と語った。確かにその通りだ。ジャクソンがいなければ広島のリーグ優勝はなかった。ただその実力を信じるからこそ、体調など、100%の能力を発揮できる舞台を整える配慮が必要だった。 優勝を決めた後、最後に栗山監督はこう語ってスタジアムを去った。「野球って、チームって、生き物。どんどん変化していく。指揮官として、そこを間違わないようにしないといけない。この日本シリーズでは、そのことを最後まで学んだ」 選手を“信頼”し実力を引き出せた栗山監督と、選手の過去の実績を“信用”し切ってしまった緒方監督。選手の信じ方の違いが勝敗を分けた。●文/田中周治(スポーツジャーナリスト) ●撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2016年11月18日号
2016.11.08 11:00
週刊ポスト
三浦大輔 「他球団なら200勝?」の問いに「それはない」
三浦大輔 「他球団なら200勝?」の問いに「それはない」
 横浜一筋25年。大洋ホエールズ時代、そして1998年の日本一を知る最後の選手だった「ハマの番長」こと三浦大輔投手(42)が現役生活に別れを告げた。四半世紀にわたる「横浜愛」は美談として語られがちだが、投げても投げても勝ち星がつかない弱小球団に対して憤懣やる方ない思いを抱いた時期もあったという。 横浜は監督の入れ替わりも激しかった。三浦が在籍した25年間で、代行監督も含めて13人もの指揮官が誕生している。ちなみに同時期の巨人は5人である。「そんなにいましたか?(笑い)まァ、大事なのは選手ですよ。僕は監督が誰になっても使ってもらえる投手になろうと頑張ってきましたから。 僕が残留を決めた後も、そう簡単にチームは変わらなかった。谷繁(元信/2002年にFAで中日へ)さんの後にレギュラー捕手になった鶴岡(一成/2008年にトレードで巨人へ)、相川(亮二/2009年にFAでヤクルトへ)までいなくなり、バッテリーがなかなか機能しなかったのも事実。ただ、彼らが移籍したことで若手が伸びて、チーム全体の底上げができたとも言えます。その間、ファンからは“横浜高校より弱い”とヤジられたこともあったけど、着実にチームは進歩していたんです」 その言葉通り、今季の横浜はCS初出場を決め、ファーストステージで巨人を撃破。広島と日本シリーズ進出を争うまでに成長した。 その広島には、三浦と同年代の黒田博樹がいる。2人は万年Bクラスのチームで孤軍奮闘してきた生え抜き投手として、比較されることも多い。「彼はメジャーで素晴らしい成績を残している。確かに比べられることも多いけど、僕よりも上の投手ですよ。そもそも僕は他の投手と比較するのが好きじゃない。自分が決めた道を自分の責任で突き進む。それだけです」 プロで積み重ねた勝ち星は172(184敗)。もし2008年のFA宣言時に阪神に移籍していたら、200勝を達成して名球会入りできたのではないか、という声もある。「“たられば”は嫌い(笑い)。でも、それはないですよ。他球団に移籍していたら、もっと早く引退していた可能性もありますから。横浜にいたから25年間も投げられたんです。引退セレモニーの時、ファンの歓声を聞いて体が震えた。僕は横浜を愛していましたけど、それ以上に、横浜に、ファンに愛されていたんだと感じました。ファンがいたからこそ、ここまで投げられた。あの時、横浜に残って本当によかったと思っています」 今季の横浜は、チケットが取れないほどの人気球団に生まれ変わった。「出て行きたい球団」とも呼ばれた状況から、三浦が目指す「入りたい球団」へ──。その変化を見届けて、“番長”は25年間守り続けたマウンドを去る。撮影■ヤナガワゴーッ!※週刊ポスト2016年10月28日号
2016.10.20 07:00
週刊ポスト
大谷翔平 巨人のコスト感なら10億払ってもいい
大谷翔平 巨人のコスト感なら10億払ってもいい
 11.5ゲーム差を引っくり返した北海道日本ハムの史上稀に見る逆転劇の立役者は、二刀流で投打に大活躍した大谷翔平(22)であるのは間違いないだろう。こんな活躍の仕方をした選手はこれまでにいないため、来季の年俸がどうなるのか、予想もつかない。 今季年俸2億円の大谷は、140イニングを投げて10勝4敗、防御率1.86。打者としては104試合に出場して104安打を放ち、打率.322、22本塁打、67打点の成績を残した。阪神タイガース元球団社長の野崎勝義氏からは、4億円でも安いという声も聞こえるなか、では、一体いくらが大谷の“適正年俸”なのか。『プロ野球なんでもランキング』の著者・広尾晃氏が作成した、各球団の高額年俸選手のコストパフォーマンスの一覧を参考に考えてみよう(大谷は「投手で1億」「野手で1億」で計算)。◆高額年俸選手「コスパ」一覧【主な投手編】1アウト当たりのコスト大谷翔平(日本ハム、22):23.81万円涌井秀章(ロッテ、30):38.87万円メンドーサ(日本ハム、32):50.38万円マイコラス(巨人、28):87.27万円内海哲也(巨人、34):124.22万円松坂大輔(ソフトバンク、36):13333.33万円【主な打者編】1塁打当たりのコスト大谷翔平(日本ハム、22):52.63万円山田哲人(ヤクルト、24):75.34万円松田宣浩(ソフトバンク、33):85.94万円坂本勇人(巨人、27):92.25万円村田修一(巨人、35):112.36万円ゴームズ(楽天、35):1250万円「投手・大谷が1アウトを取るのにかかった金額は23万円。打者・大谷は1塁打に対して52万円がかかった計算になります。 ランキング化すると大谷のコスパの良さがよくわかる。広島25年ぶりの優勝を支えた黒田博樹(41)は1アウトに131万円がかかっているし、2年連続『トリプル・スリー』のヤクルト・山田哲人(24)も1塁打あたりのコストは75万円。他球団で活躍した選手と比べても、大谷の割安感は飛び抜けている」(広尾氏) ちなみに、今季最終戦で1イニングだけ投げたソフトバンク・松坂大輔(36)は、1アウトに1億3333万円がかかった計算だ。「投手としても打者としても、他球団の2億円超えクラスと比べて倍以上コスパがいいと考えると、投手2億円、打者2億円の4億円でも安い。巨人の選手のコスト感を見ると、10億円払ってもいいくらいです」(広尾氏) 実績のあるベテランが割高になりがちとはいえ、決して大げさな数字とはいえなそうだ。たとえば、今オフにFA権を獲得するオリックスの糸井嘉男(35)について、「『4年20億円』といった複数年の条件を出す球団が出てくるのでは」(球団関係者)とみられているが、その糸井の成績を見ると、.306、17本塁打、70打点で、「打者・大谷」とほとんど変わらない。 つまり、「打者・大谷だけで、『4年20億=年俸5億』の価値があるとさえいえる」(同前)のだ。 もちろんこれは、“そのくらいもらっておかしくない活躍をした”という話だ。当然ながら、球団側には他の事情も出てくる。「巨人の年俸総額が事実上、青天井なのに対して、日ハムの場合は総額25億円あたりがリミットといわれている。チームが優勝したわけだから、他の選手も年俸アップを期待している。大谷ばかりを厚遇すれば、チーム内の不協和音につながるでしょう。球団側は将来の大谷のポスティングの際の移籍金を見込んで、多少は総額のキャップを緩めるかもしれないが、それにも限度がある。ダルビッシュ有の日ハム5年目(2億7000万円)は超えるとして、どこで線を引くかは難しい」(スポーツ紙デスク) ポストシーズンの結果とともに、今オフの大谷の契約更改が楽しみだ。撮影■山崎力夫※週刊ポスト2016年10月28日号
2016.10.19 07:00
週刊ポスト
広島の名スカウトの視点 「大事なのは母と祖母の運動神経」
広島の名スカウトの視点 「大事なのは母と祖母の運動神経」
 今季25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島のスカウト部門を束ねる苑田聡彦(71)。カープ優勝の立役者となった黒田博樹のほか、金本知憲、江藤智、大竹寛など多くの名選手のスカウトに成功してきた。 苑田は統括部長の立場となった現在も生活拠点は東京に置き、会議のたびに広島に赴いている。気になる選手を「必ず自分の目で確かめる」ためだ。 現在のスカウティングの現場は、「セイバーメトリクス」(※)に代表されるような数字、データを駆使して選手を評価するのが主流である。だが苑田はその流れに真っ向から抗い続けている。【※注:野球を統計学的に分析し、その指標によって選手を評価する指標。メジャーではオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMが導入し、弱小だったチームを強豪に成長させたことで知られる】 例えば2006年、米国人のマーティ・ブラウンがカープの監督に就任した際、球団の至る所にメジャー流が導入され、スカウトにも膨大な量のデータが渡されたが、苑田はその資料にまったく目を通さなかった。「数字はアテにならないことが多い。代表的なのは野手でよく話題にされる高校通算本塁打数。公式戦が行なわれるような規格の球場で強豪校としか練習試合をしなかった、桑田(真澄)&清原(和博)のKKコンビがいたころのPL学園ならまだ参考になったが、今は両翼70メートルしかないような狭いグラウンドで週に4~5試合もして、本数が増えているだけの選手もいる。数字を全否定するわけではないが、比較しても仕方ないのもわかるでしょう?」 そんな「徹底した現場主義」の苑田が、よく口にする言葉がある。「今の若いスカウトは、制約が多くてかわいそうだ」──。 2004年、プロ球団が入団前のアマ選手へ金銭を渡す、いわゆる「栄養費問題」が明るみに出た。結果、スカウトに関するルールが厳格化され、選手に接触することさえも困難になった。「今は監督同席じゃないと高校生と話すらできない。昔は気軽に自宅を訪れることができたんだけどね。そこでお母さんやお婆ちゃんと話せば、その選手がどんな性格かわかった。プロの世界で真面目に努力できるか。不真面目だと周りにも悪影響が出るから。それに大事なのは母と祖母の運動神経が良いかどうか。あくまで個人的な経験則だけれど、子供の運動能力は男系よりも女系の影響が強いように思う」 苑田は今でも、部下たちには「自分が惚れたら何回でも何十回でも通え」と言ってあるという。「自分もそうやってきましたから。通いに通い詰めて、くじで引き当てた選手に『カープに入団するのは運命だと思いました』と言わせる。それがスカウトをやっていて一番嬉しい瞬間でしょうね」 職人スカウトは、これからもデータに抗う現場主義を貫いていく。◆そのだ・としひこ/1945年、福岡県生まれ。1964年、三池工高卒業後に広島カープに入団。当初は外野手だったが、山本浩二の入団に伴い内野手へ転向。以降は、どこでも守れるスーパーサブとしてチームに貢献した。1977年の現役引退後は、スカウトとして球団に残り、のちに球団の顔となる名選手を多数発掘する。2006年にスカウト部長に就任。現在はスカウト統括部長を務める。撮影■藤岡雅樹 取材・文■田中周治※週刊ポスト2016年9月30日号
2016.09.22 16:00
週刊ポスト
広島・苑田スカウト 無名の黒田博樹を見出した日を振り返る
広島・苑田スカウト 無名の黒田博樹を見出した日を振り返る
「選手を見るポイントは佇まい……つまりバランスの良さです。歩き方、走り方、キャッチボールを見れば、大体わかるもんですよ」 広島のスカウト部門を束ねる苑田聡彦(71)は、「プロ野球界最後の職人スカウト」と呼ばれる大ベテラン。「上手い選手はユニフォームの着こなしが格好いい」が口ぐせだ。自身も広島の内野手だった苑田は1977年に引退後、先代オーナーの松田耕平から東日本担当スカウトを拝命。それから約40年間、スカウト畑を歩み続けている。 スカウト業の醍醐味は、「磨けば光る原石」を発掘することにある。「実際に自分の目で確認して判断することが大切。部下に『見てほしい選手がいる』と言われて視察したときに、『あの選手です』と教えられるような選手はダメ。こちらが見てすぐに『あの選手だろ?』とわかるような選手がプロの世界で活躍できている」 25年ぶりのカープ優勝の立役者・黒田博樹も、そうして苑田に見出された原石の1人だった。 苑田が初めて黒田を目にしたのは、彼が専修大学2年生のとき。別の選手を視察するために訪れた練習場で、一瞬にして目を奪われたという。「大学関係者にすぐに尋ねたけれど、黒田という名前を聞いてもピンとこなかった。『父親が南海の外野手』と説明を受けて、ようやくあの黒田(一博)さんの息子なんだと理解した程度。後で調べたら、上宮高校では3番手か4番手の投手で、スカウトリストにも載っていないような存在だった」 当時、専修大は東都リーグの二部に所属。黒田には公式戦の登板経験もなかった。だが、そんな投手に一目ぼれした苑田はグラウンドに通い続けた。「並のピッチャーなら、前の打席でインコースを打たれたバッターに対して、次の打席はアウトコースで勝負することが多い。でも黒田は絶対に逃げずに同じコースで勝負に行った。『打てるものなら打ってみろ!』という気概のある投手は、プロでも絶対に成功する」 苑田は黒田の他にも、金本知憲、江藤智、大竹寛など多くの名選手のスカウトに成功してきた。ただ、その一方では苦い経験もある。実は岩隈久志(シアトル・マリナーズ投手)を指名直前で他球団にさらわれていた。「堀越高時代の岩隈は、まだ無名だったけれどスケールの大きさを感じさせるピッチャーだった。学校に確認したら『プロのスカウトはどこも来ていない』と。すぐにオーナーに直談判して、順位は最後だけれど指名OKの許可を取った。ところが近鉄に5位で指名されて……。あの時は悔しかったなァ」◆そのだ・としひこ/1945年、福岡県生まれ。1964年、三池工高卒業後に広島カープに入団。当初は外野手だったが、山本浩二の入団に伴い内野手へ転向。以降は、どこでも守れるスーパーサブとしてチームに貢献した。1977年の現役引退後は、スカウトとして球団に残り、のちに球団の顔となる名選手を多数発掘する。2006年にスカウト部長に就任。現在はスカウト統括部長を務める。撮影■藤岡雅樹 取材・文■田中周治※週刊ポスト2016年9月30日号
2016.09.20 07:00
週刊ポスト
広島・黒田博樹が男気の末に見せた涙をアメリカも賞賛
広島・黒田博樹が男気の末に見せた涙をアメリカも賞賛
 他の誰も演じることのできないドラマ、だった。広島カープ25年ぶりのリーグ優勝に貢献したエースについて、MLBに詳しいスポーツジャーナリストの古内義明氏が述懐する。 * * * 何かを成し遂げた男の涙は、素敵すぎる。 四半世紀ぶりのリーグ優勝が決まって、3塁側ベンチから一番最後に出てきた黒田博樹が、歓喜の輪に加わった。同じように古巣に戻ってきた新井貴浩と抱擁した瞬間から、黒田の涙が止まらなくなった。 2006年シーズン最終戦。メジャーか、カープ残留か、で揺れ動く黒田に対して、広島市民球場のライトスタンドに上がった横断幕にはこう書かれていた。「我々は共に闘ってきた 今までもこれからも・・・ 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる カープのエース 黒田博樹」 メジャーでは西のドジャース、東のヤンキースという名門球団で投げた。勝利に飢えたファン、そして辛辣なメディアが手ぐすねを引いて待っていたが、黒田の安定した働きぶりはすぐに彼らの心をつかんだ。それは工場で黙々と働く労働者にたとえて、「まるでブルーカラーのような働きぶり」と評価された。大金をもらい、成績も残さず、文句ばかり言う選手とは正反対の準備を怠らないベテランの姿勢は首脳陣から「お手本」として受け入れられた。 メジャー最終年。7年間で白星を79勝も積み重ねた男の評価はうなぎ登りだった。メジャーの晩年は、オフに1年契約を結び、「いつ辞めてもいい」を繰り返す完全燃焼スタイルを貫いていた。 ヤンキースから再契約を熱望され、パドレスからは1800万ドル(約21億円)もの巨額オファーが提示された。お金か、それとも、生き様か。プロであれば、揺れ動いて当然。この答えに、正解はない。 毎年シーズンオフになると、巨額なマネーが飛び交うメジャーのストーブリーグで、自分に対する正当な評価、つまり、より高額な年俸を選ぶのは当たり前のセオリーだ。だから、5分の1以下の年俸提示を選んだ黒田の決断は、「unbelievable!(あり得ない!)」と、メジャー関係者から驚きの声をもって受け取られた。 ヤンキースを選ばなかった男。「黒田ロス」はその後も続いた。アメリカで最も権威のある雑誌「スポーツイラストレイテッド」(電子版)は、「メジャー史上最高の投手・黒田、サヨナラ!」の見出しをつけた。 黒田は4億円で、古巣・広島に8年ぶりの復帰を決めた。「野球人生最後の決断」という言葉を残した、その決断は“男気”と形容された。 今年7月23日の阪神戦。5安打無失点で日米通算200勝を達成した黒田。「まさかこういう日が来るとは思っていなかった。アメリカに行った時から、マツダスタジアムでこういう日を迎えるのは想像していなかった。最高の雰囲気の中で、最高のファン、最高のチームメイトと共に、この節目の記録を達成出来たのが本当に嬉しい。自分自身感動しています」 と涙をそっと拭った。 黒田の座右の銘は、西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節「耐雪梅花麗(苦しまずして栄光なし)」である。これは、言葉の壁を越えて、ヤンキースのクラブハウスでも浸透した。41歳にして優勝決定試合の勝利投手は史上最年長。それはまさに座右の銘を地で行くような苦難の道を経て、たどり着いた栄冠だった。 日本中の話題をさらったカープ優勝の数時間後、アメリカの全国紙『USAトゥデイ』(電子版)は、「ヤンキースからの大型契約を断って、古巣・広島に復帰したクロダが25年ぶりの優勝に貢献した!」と報じた。緒方監督の次に、号泣しながらチームメイトから胴上げされた黒田。その姿を、広島ファンのみならず、アメリカの野球ファンもきっと祝福しているはずだ。
2016.09.12 16:00
NEWSポストセブン
首位独走・広島ファンがおびえる「週ベの呪い」
首位独走・広島ファンがおびえる「週ベの呪い」
 6月15日、広島の主砲エルドレッドが右太ももの不調で戦線を離脱した。広島ファンたちは「やっぱり『週ベ』の呪いだ……」と青ざめたという。同日発売の『週刊ベースボール』で、〈ビッグレッドマシンガンの閃光〉と銘打たれた広島カープの大特集が展開されていたのだ。 ディープなプロ野球ファンの間で「週ベの呪い」はつとに有名だ。「表紙や特集で取り上げられたチームや選手は急激に調子を崩す」というジンクスである。 広島には昨シーズンも「週ベの呪い」が直撃した。昨年4月13日号に黒田博樹が表紙の広島カープ大特集が掲載されると、次の登板で黒田は負け投手になり、Vのカギを握ると名指しされた長距離砲グスマンは夏場まで絶不調に。「今年こそ優勝」と下馬評の高かったカープは、シーズン終了まで低迷を続けた。「週ベの呪い」は広島だけに留まらない。 昨年5月11日号で「強竜復活」のテーマで中日を特集すると、エース・吉見一起がケガで離脱してチームはズルズル後退。6月8日号、交流戦スタートのタイミングで横浜DeNAの中畑清・監督が表紙に取り上げられると、交流戦から泥沼の12連敗。9月14日号では、優勝争い真っただ中の阪神を特集したが、直後に阪神は失速してCS進出も危ぶまれる状況に陥った。 今年になっても呪いは続く。4月11日号の開幕特集では金本知憲・新監督の「超変革」阪神が表紙になったものの、4月中旬からの連敗でBクラスへ転落。巨人も5月2日号で高橋由伸・新監督が表紙になった途端、それまでの首位からBクラスへと沈んだ。 個人にも魔の手は及ぶ。4月18日号の「新人特集」では、取り上げられた4人がすべて憂き目を見た。 オリックスのドラフト1位、吉田正尚は、堂々の開幕一軍だったのに4月24日には腰椎椎間板症で登録抹消。横山弘樹、岡田明丈(ともに広島)、桜井俊貴(巨人)はいずれも5月までに二軍降格した。 25年ぶりのリーグ優勝がかかった広島ファンにとって、この“呪力”は気が気ではないようだ。「去年のこともあるし、週ベの記者さんはもう広島に取材に来ないでほしい(笑い)。2位の巨人とゲーム差はありますが、優勝マジックが出るまでは不安で仕方がありません。巨人に11.5ゲーム差をひっくり返された1996年の『メークドラマ』のトラウマが蘇ってきています」(カープファンの60代男性) ペナントレース以上に、今後の週ベの特集ラインアップから目が離せない。※週刊ポスト2016年7月8日号
2016.06.28 07:00
週刊ポスト
広島・新井貴浩について達川光男氏「ポカだらけでも憎めない」
広島・新井貴浩について達川光男氏「ポカだらけでも憎めない」
 甲子園の虎ファンにとっては巨人の選手は毎度ヤジを浴びせられる存在である。だが、それ以上に手ひどく「ヤジのターゲット」にされてきたのが、2014年シーズンまで阪神に所属し、4月26日に2000本安打を達成した広島・新井貴浩(39)である。 2007年オフに広島から阪神への移籍会見で「辛いです……カープが大好きだから」と語ったことから「辛い(つらい)サン」というニックネームで呼ばれてきた新井サン。新人時代から、プレーが雑な新井サンには「粗ゐサン」という呼び名もあった。 1998年ドラフト6位で広島に入団した当時の監督だった達川光男氏(野球評論家)が証言する。「打撃は可能性を感じたが、駒澤大学時代からDH(指名打者)じゃけぇね。実際守備はド下手で、プロで守る場所はないと思った。 アイツの1年目で忘れられんのは9月21日の中日戦よ。無死満塁で相手打者がピッチャーゴロを打って、1-2-3のダブルプレーになった。さァ2死二・三塁じゃと思ったら、なんとファーストの新井がチェンジと勘違いして1塁コーチにボールをトス。その間に、ランナー2人がホームイン。さすがに頭を抱えたね。 新井が一塁走者の時、フェンス際のホームランを外野フライと勘違いして、バッターランナーに追い抜かれてホームラン取り消しという大ポカもありましたわ」 大打者の道を歩み始めてからも“粗ゐスタイル”は変わらない。2011年、阪神で打点王を獲得するも、失策王、併殺打王にも輝いた。翌シーズンのキャンプでは、金本知憲作成の「祝三冠王Tシャツ」が話題になった。 それでも新井サンは憎めない「愛されキャラ」であり続ける。「黒田博樹投手がイタズラでバッグに消火器を入れたところ、新井選手は“なんか重い”といいながらそのまま持って帰った」(スポーツ紙記者)という伝説があるほどだ。「ポカだらけでも憎めないのは、それが怠慢ではなく一生懸命のポカだからだね。同期のドラフト1位の東出輝裕が100回やればできるプレーを、アイツは1000回やってかろうじてできるようになる超不器用。それでも1000回の努力を続けたから大成した。まァ、とはいえ新井が2008年にゴールデングラブ賞を取ったことだけは信じられません(笑い)」(達川氏)※週刊ポスト2016年5月20日号
2016.05.13 07:00
週刊ポスト
いまだ人気の高い「スポーツ切手」 五郎丸、柳田らも登場
いまだ人気の高い「スポーツ切手」 五郎丸、柳田らも登場
 日本で切手が発売されたのは145年前のこと。長きにわたる歴史の中で、初めてスポーツ選手が絵柄に採用されたのは69年前、主役は第2回国体記念切手の選手たちだった。昭和の時代は切手収集が趣味という子供も多く、友達同士でコレクションケースに多くの記念切手を見せ合う風景もよく見られた。 そして今、メールやSNSでのやりとりが広く利用される時代となり、切手を使う機会は少なくなっているが、スポーツ切手の人気はいまだに高い。昨年には広島の黒田博樹投手、羽生結弦選手らの切手が発売されたほか、つい最近でもトリプルスリーを達成したソフトバンクの柳田悠岐選手や、ラグビーW杯で世界を沸かせた五郎丸歩選手の切手が新たに登場。時代の寵児となったアスリートの切手はコンスタントに発売されているのだ。 一方で面白いのが「復刻版」。16年前には力道山、双葉山、織田幹雄の切手が発売されるなど、昭和のスターが再び絵柄に採用されるというケースも増えている。 ここ数年に発売されたものはもちろん、かなり昔のものでも切手ショップやオークションなどで手に入りやすいスポーツ切手。ご贔屓の選手を探してコレクションしてみてはいかがか。写真■(c)FIELD OF DREAMS photographer:中條未来(SCOPE)※週刊ポスト2016年2月19日号
2016.02.09 07:00
週刊ポスト
パドレス SB松田宣浩獲得で日ハム大谷翔平獲りの地ならしか
パドレス SB松田宣浩獲得で日ハム大谷翔平獲りの地ならしか
 2014年もプロ野球界では様々な事件が起きた。その表も裏も知り尽くす記者たちが、自身の取材メモの中から門外不出のネタを明かす。まずは盛り上がりを見せる選手の移籍市場から披露しよう。スポーツ紙セ・リーグ担当記者A:今年の移籍市場の目玉は広島のマエケン(前田健太)。でもメジャーでの評価は正直微妙です。侍ジャパンの一員として参加した「プレミア12」には大挙してMLBのスカウトが視察に訪れていたが、話を聞くと「大谷(翔平・日本ハム)以外に興味はない」といっていました。ウィンターミーティングでは皆、「マエダはすごい選手だ」といっていましたが、リップサービスです。スポーツ紙パ・リーグ担当記者B:球場には懐かしい顔もありましたね。元広島、楽天監督のブラウン氏。現在はワシントン・ナショナルズの環太平洋地域コーディネーターを務めている。日本の野球とMLBもだいぶ近くなったなと感じましたよ。しかしマエケンからすれば、ずっと言い続けていたメジャー挑戦がようやく叶いましたね。 球団側としても2017年に獲得する海外FAよりは、移籍金の入るポスティングで行ってもらったほうがありがたい。ポスティング制度は2013年に突然上限額が決められるなど、MLBの都合でシステムが変わってきたから、現行制度も来年まで続いているかわからない。今なら最大で移籍金の約20億円が入る。スポーツ紙遊軍記者C:時を同じくして黒田博樹が現役続行を決めた。来季の年俸は5億円超、広島としては過去最高額。「男気」なんて格好良いことをいわれていますが、黒田はMLB時代は「タフ・ネゴシエーター(粘り強い交渉人)」と呼ばれ、高額契約を勝ち取ることに定評があった。日本に戻ってきてからもその評判通りで、“マエケンマネー”は黒田に吸われる形になりそう。スポーツジャーナリストD:移籍のもう1人の目玉はソフトバンク(SB)の松田宣浩。10日にはサンディエゴ・パドレスがオファーすると報じられました。ただこれはパドレスの「大谷獲り」戦略の布石ではないかといわれています。 実は今、パドレスは日本戦略に躍起になっている。サンディエゴには2012年からJALの直行便が就航しているが、今までパドレスには日本人客を呼べる日本人選手がいなかった(2008年に所属していた井口資仁が最後)。そのためまず人気の高い松田を呼んで地ならしをし、最終的に大谷を狙うというわけ。B:パドレスは日本ハムとの距離を縮めていますからね。昨年から金子誠コーチを臨時コーチとして受け入れているほか、来年には日本ハムがアリゾナのパドレス施設でキャンプをする。同球団の海外キャンプは約30年ぶりです。これはパドレスの副社長が、日本ハムの吉村浩GMの元上司だった関係で実現したとされる。C:こうした背景を知ってか知らずか、松田はMLB行きにどこまで本気か不明です。MLBでの日本人内野手の評価は極端に低いし、SBに残れば引退後まで約束されたようなもの。それでもFA宣言したのは日本の代理人の報酬のためではないかといわれています。 松田の代理人は球界では珍しい女性弁護士で、夫は松中信彦の代理人弁護士。松中が今季限りで自由契約になったこともあり、世話になっている代理人のため、収入確保を狙ってFAしたのではといわれている。A:松田はプレミア12の米国戦で満塁弾を放った。MLB移籍へ向けての猛アピールになったと思っていたんですが、そういう見方もあるんですね(笑い)。※週刊ポスト2015年12月25日号
2015.12.14 16:00
週刊ポスト
広島ファン 「隙あらば野間」など緒方孝市監督の迷采配嘆く
広島ファン 「隙あらば野間」など緒方孝市監督の迷采配嘆く
 大リーグで活躍していた黒田博樹の復帰から始まった広島東洋カープの2015年シーズンは、ファンにとっては忘れられない思い出の連続だった。とくに9月12日の阪神戦が忘れられない。延長12回に田中広輔が放った打球が三塁打と誤審され“幻のホームラン”(試合は引き分けで終了)。この試合に勝っていれば、勝率でCS進出が決まっていた。 カープ芸人「ザ・ギース」の尾関高文氏はこう語る。「悔やんでも悔やみきれない。頭では仕方がないとは思っているんですがね。ただ一方で、大事なところで勝ちきれなかったのは事実です」 OBの安仁屋宗八氏も、「ここ一番で弱かったね。プレッシャーに弱いというか、得点圏で打てなかったな」と頷いていた。 一方でファンは、就任1年目の緒方孝市監督に大きな不満を抱いている。「12球団の愚将ランキングをやれば1位間違いなし」(30代男性) 理由は数々の迷采配だ。代表的なのはファンの間で「隙あらば野間」といわれる、新人・野間峻祥(たかよし)の重用。どんなに失敗しても、自分の若手時代の背番号を与えた野間を“隙あらば”投入し続け、127試合に起用。野間がスタメンの時の勝率は3割2分に落ち込んだ。「しかも監督はシーズン最終戦でCSを逃した時、大ブーイングの中挨拶もなく逃げた。“現役時代より足が速い”なんていわれました」(同前) 来季は評価を覆せるか。※週刊ポスト2015年11月13日号
2015.11.08 16:00
週刊ポスト

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