松本明子一覧

【松本明子】に関するニュースを集めたページです。

アイドルたちの浮き沈みを見る
高田文夫氏が見るデビュー40周年アイドルたちの明暗
 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、アイドル黄金時代にデビューした大スターたちの明暗についてお届けする。 * * *“ドルチェ&ガッバーナ”の歌詞が果してNHKの紅白歌合戦で歌えるのか、歌えないのか。瑛人は香水をつけて出るのか、出ないのか。歌業界がここへ来て何かとかまびすしい(「やかましい」の意。ただこの「かまびすしい」という言いまわしを一度使ってみたかっただけ)。 17日のスポーツ紙一面にはドーンと「近藤真彦 活動自粛」が躍る。本屋をのぞいたらこの日発売の週刊誌がズラリとみんな表紙がマッチ、マッチ。『週刊朝日』に『サンデー毎日』おまけに『アエラ』までがマッチ。“マッチ一本火事の元、火遊び注意”である。ちょうどデビュー40周年ツアーなどで大キャンペーンの時期だったのだろう。全誌マヌケな作りとなってしまった。逆に言えばそのタイミングを文春はねらったのかもしれない。「ギンギラギン」ではあったが「さりげなく」とはいかない近藤、テレビ、ラジオで流されるのは『愚か者』ばかり。 同じデビュー40周年の松田聖子が、記念アルバム『SEIKO MATSUDA2020』を出したので聞いている。『赤いスイートピー イングリッシュバージョン』にご機嫌。それにあの大瀧詠一との幻のデュエット『いちご畑でFUN×4』。40年間ずっとトップを走り続けた人の凄みを感じる。 40年前といえば“漫才ブーム”が起きてビートたけしが世に出て、私も少し仕事が忙しくなった頃である。そんな頃から活躍していた桑田佳祐がこの度とんでもない楽曲を坂本冬美に提供。“歌謡サスペンス”と呼ぶらしい『ブッダのように私は死んだ』。ドロドロとした怨念と“みたらし団子”のトロ味。怨念抱いた女がそこにオンネン(上方の噺家か!?)。これも紅白で身悶えて歌って欲しいな。あぁ紅白の構成の仕事来ねぇかな(私は若い頃3年ほど台本を書いた事がある)。 さぁそこでマッチ・聖子の「40年」の少しあとにデビューした、言わば“アイドル不毛時代”の人達の話題である。コロナでステイホームの中、松本明子が「アイドルうたつなぎ」なる動画を投稿。デビュー同期の連中やら仲間と次々。しまいには芸人から町の人へまでつながってヤレヤレ。そこでこの度ライブをやる事に。『黄金の80年代アイドルうたつなぎ~うれしなつかし胸キュンコンサート~』だそうで出演は松本明子、布川敏和、浅香唯、森尾由美、西村知美。歌となつかしのトーク。 2021年1月16日(土)昼と夜、かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホール、チケット発売中らしい。可愛いアイドル時代を描いたのも、当欄イラストの佐野クン。イラスト/佐野文二郎※週刊ポスト2020年12月11日号
2020.12.02 19:00
週刊ポスト
イッセー尾形 奇妙奇天烈で曖昧模糊、負けず嫌いで人見知り
イッセー尾形 奇妙奇天烈で曖昧模糊、負けず嫌いで人見知り
 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、日本の一人芝居の第一人者、イッセー尾形との四半世紀にも及ぶ新春コンサートとその魅力についてお送りする。 * * * 不思議な人である。奇妙奇天烈な男である。曖昧模糊とした俳優である。その癖、その役作りは職人芸を越えた宮大工のような神神しさである。役になりきる一歩手前は“イッセー尾形”。毎年「ラジオビバリー昼ズ」一発目の生放送の日に勝手に色んな楽器をスタジオに持ち込んでは自由に“新春コンサート”をやり、なにごとも無かったかのように帰って行く。こんな事がすでに25年も続いている。押し込み強盗ならぬ、押し込みコンサートである(意外にリスナーには変に喜ばれたりしているからシャクだ)。 ここ数年は楽器の種類もなくなったのか、暮れに毎年、勝手に書いたぶ厚いラジオドラマの脚本が届く。フリートークをやったり歌の時間があったりするから、せいぜいラジオドラマに使える時間は20分だと言ってあるのに、読めば45分もあろうかという台本である。「馬の歩くパッカパカの効果音、お椀で」。などと書いてある。終戦直後のラジオか!? 三谷幸喜の『ラヂオの時間』か。 今年は「古銭形(こぜにがた)平次捕物帖」みたいな時代劇で私が古銭形、女房役が松本明子、干支にちなんでネズミ小僧がイッセーだった。「私のネズミ小僧は良かったんだけど……高田さんがな……。」など私に対しては負けず嫌いなのだ。 デビューからずっと演出家の森田雄三氏と二人三脚で“ひとり芝居”を極めてきたが、森田氏も亡くなり、今は他人とからまなければいけないと、様々なドラマ、映画に積極的に出演して相当いい味。行く現場、行く現場で初めて共演する人も多いので共演者達からもこの年齢になって珍しがられるとか。 不思議な事もあるもので、一年前。いつも定期的に診てもらってる日大病院を終え、カミさんと近くの天ぷら屋で昼食。昼過ぎなので大変な混みよう。つき当たりの一番奥に、二人がけのテーブルが二つある小さな小さな小部屋。注文してビールなど呑んでいると、我々の様な初老の夫婦が「ここしか空いてなくてどうぞ」と言われ席へつくや、いきなり「アーーッ」。イッセー夫婦なのだ。「なにやってんすか」ときかれたので「日大病院帰り」と言うと、イッセーニヤリ笑い「私も医者帰りだけど、東大病院帰り」。勝ち誇ったかのよう。やっぱり負けず嫌いなのだ。 暮れに見た映画『漫画誕生』。日本人初の漫画家といわれる変人・北沢楽天役がドンピシャだった。春には埼玉、大阪、東京でぜいたくな三人芝居「ART」。人見知りイッセーにからむのは小日向文世、大泉洋。楽しみ。※週刊ポスト2020年1月31日号
2020.01.22 16:00
週刊ポスト
電波少年、ASAYAN、ねるとん… 平成前半に終わった名物番組の思い出
電波少年、ASAYAN、ねるとん… 平成前半に終わった名物番組の思い出
 平成という時代で大きく変わったのが、テレビの立ち位置。平成前半まではテレビが娯楽の王様でしたが、2000年代に入ってインターネットとスマートフォンが一気に普及し、猛烈に進化を遂げたことで、一気にテレビ離れが進みました。今回は、テレビがまだまだ“王様”だった平成前半に終焉を迎えた長寿番組について、ライターの金子則男氏が振り返ります。【東京フレンドパークII(TBS系):1994~2011年】 関口宏の司会のもと、ゲストが色々なゲームに挑戦する「フレンドパーク」。壁に貼り付く「ウォールクラッシュ」やホンジャマカと対戦する「ハイパーホッケー」が印象に残るアトラクションでしょう。家族で見るのにピッタリな番組は20年近く続き、関口宏は前身番組の『関口宏の東京フレンドパーク』(1992~1993年)、さらにその前の『クイズ100人に聞きました』(1979~1992年)と合わせると、合計30年以上も「TBS月曜19時の顔」を務めました。【どっちの料理ショー(日本テレビ系):1997~2006年】 三宅裕司率いる「三宅チーム」と、関口宏率いる「関口チーム」が、それぞれ1つの料理を素材から料理法までこだわり抜いて作り、出演者がどちらを食べたいかを決める番組。「ローストビーフvs北京ダック」「天丼vs親子丼」「回鍋肉vs麻婆豆腐」「カレーライスvsラーメン」「しょうが焼きvsハンバーグ」など、数々の名勝負が繰り広げられました。【電波少年シリーズ(日本テレビ系):1992~2003年】 平成のテレビ史を振り返る上で、決して避けることが出来ないこの番組。番組名はコロコロと変わりましたが、基本的には「芸人が無理な指令に挑戦する」というものでした。人気番組という枠を超えて社会現象になった「猿岩石ユーラシア横断ヒッチハイクの旅」、“坂本ちゃん”が東大を目指す「東大一直線」、懸賞品だけで生活する“なすび”の「懸賞生活」、さらに「松村邦洋vs渋谷のチーマー」「松本明子vsアラファト議長」など、伝説は数え切れません。【ASAYAN(テレビ東京系):1992~2002年】 番組スタート時は『浅草橋ヤング洋品店』という番組名だったものの、途中からバラエティ色が一気に強くなり、やがてオーディション番組へと変貌。中でも話題をさらったのがモーニング娘。でした。もともとは「女性ロックヴォーカリストオーディション」を行い、合格したのは平家みちよでしたが、それに漏れた5人(中澤裕子、飯田圭織、石黒彩、安倍なつみ、福田明日香)が集められ、モーニング娘。へと発展。国民的人気グループになりました。その他、鈴木あみ(現・鈴木亜美)、CHEMISTRYなどもこの番組出身です。【マジカル頭脳パワー(日本テレビ系):1990~1999年】「頭脳パワー」という番組名どおり、知識よりもひらめきや頭の柔らかさが要求されたクイズ番組。「マ~ジ~カ~ル~バ~ナ~ナ♪ バナナと言ったら?」というフレーズが今も頭に残っている人は多いでしょう。司会は板東英二、アシスタント(マジカルオペレーター)は永井美奈子アナが長い間担当していました。【料理の鉄人(フジテレビ系):1993~1999年】 1990年代、一時代を築いたのがこの番組。道場六三郎、陳建一、坂井宏行、中村孝明ら和・洋・中の鉄人がゲストシェフと特定の食材で料理の腕を競うというもので、見事な料理はもちろんのこと、ケレン味たっぷりの鹿賀丈史の振る舞い、審査員・岸朝子の「美味しゅうございました」なども印象に残りました。【スーパージョッキー(日本テレビ系):1983~1999年】 日曜の昼下がり、ひたすらバカバカしさを追求したこの番組。ビートたけし司会のもと、たけし軍団のメンバーが体を張った企画に挑戦する「THEガンバルマン」、熱湯風呂に入った時間だけ告知できる「熱湯コマーシャル」など、名企画は数知れませんでした。【天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ系):1985~1996年】 いま思えば、番組名に「天才・たけし」と付けるセンスもスゴいですが、天才という言葉が決して大げさに感じられないほど次々とヒット企画を連発したこの番組。「勉強して東大に入ろうね会」「ダンス甲子園」「早朝バズーカ」「勇気を出してはじめての告白」「江ノ島元気が出るハウス」、後の世界チャンピオンを生んだ「ボクシング予備校」など、その後のバラエティ番組で、似たような企画が何度も焼き直しされていることが、この番組の偉大さを証明しています。【ねるとん紅鯨団(フジテレビ系):1987~1994年】 素人いじりには定評があるとんねるずが、その才能を遺憾なく発揮したのが「ねるとん」。番組内容は「集団お見合いパーティー」で、「貴さーーんチェック!」「ご対面」「ツーショット」「告白タイム」「ちょっと待った!」など、決まりきった展開ながら爆発的な人気を博し、一時期は今で言うところの婚活パーティーが「ねるとんパーティー」と呼ばれていました。【アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ系)1977~1992年】「ウルトラクイズ」といえば、「お笑いウルトラクイズ」を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、本家はこちら。その名の通り、アメリカ大陸を横断しながらクイズをやろうという年1回放送のスケールの大きな番組で、「史上最大」のキャッチフレーズは伊達ではありませんでした。成田空港のじゃんけん大会、機内ペーパークイズ、どろんこクイズ、ニューヨークでの決勝戦など、「知力・体力・時の運」が要求されたこの番組。1998年に1度だけ復活しましたが、その後、復活していません。
2019.04.28 15:00
マネーポストWEB
森尾由美や松本明子、83年組アイドルの水着写真を一挙公開
森尾由美や松本明子、83年組アイドルの水着写真を一挙公開
 1年上のスターがそろった世代と比較され“不作”と評された1983年デビューのアイドルたち。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成した。メンバーは、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、徳丸純子、松本明子、森尾由美の7人。 アイドル時代に撮影された、木元ゆうこ、小林千絵、徳丸純子、松本明子、森尾由美の貴重な水着写真をお届けする。まずは森尾由美から。 バラエティや映画で幅広く活躍する松本明子の貴重なグラビアを紹介。 現在はタレントとして活躍しながら映画解説本なども執筆する小林千絵。 木元ゆうこは1992年に引退するも2014年に再デビューした。 徳丸純子は現在シアトル在住。◆7人のライブ『35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち「お神セブン」と申します~』が博品館劇場(東京・銀座)にて2日限定で開催。11月19日(月)19時開演、20日(火)14時開演/19時開演。※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.20 07:00
週刊ポスト
不作の83年組アイドル 水泳大会はワイプに小さく映るだけ
不作の83年組アイドル 水泳大会はワイプに小さく映るだけ
 多くのスターを輩出した1年上の代「花の82年組」に隠れて“不作”と評された83年デビューのアイドルたち。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成した。シアトル在住のメンバー・徳丸純子を除いた6人、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、松本明子、森尾由美が集まり、アイドル時代の思い出について語り合った。大沢:そろそろ振り返る? アイドル時代のこと。松本:そうだね。まあ最近は「不作だった」なんて笑って言えるけど、デビューしたら成功すると思ってたのに、ずっと鳴かず飛ばずで……。あの不安なムードは今も忘れられないよ。森尾:そうね。デビューして半年経った頃には、私たちは“厳しい世代”なんだなって実感があった。レコードの売り上げやオリコンの順位がデビュー曲から悪くて、音楽番組に呼ばれることも滅多になかったし。小林:まあ、82年組の早見優ちゃんや中森明菜ちゃん、小泉今日子ちゃん、堀ちえみちゃんなんかはデビュー直後から人気だったし、そこからどんどん人気も過熱してた。そんな中で私たちの出る幕なんて最初からなかった、みたいな感じで。木元:アイドル雑誌や週刊誌でも82年組は次々と表紙を飾っていたのに、83年組は誰も表紙を飾れなかったもんね。森尾:そうそう! 特に強烈に印象に残っているのが、『日本テレビ音楽祭』でデビュー2年目の歌手を対象にした“金の鳩賞”の時だよね(*)。「今年の受賞者は……該当者なし!」って発表されたときはもう(笑い)。あれはつらかったなー。【*1983年の受賞者は中森明菜、シブがき隊で、1984年の最優秀新人賞は岡田有希子、吉川晃司、トップアイドル賞に小泉今日子や吉川晃司が選ばれる中、金の鳩賞は「該当者なし」であった】小林:「アイドル水泳大会」でも、売れてない状況を否が応にも感じさせられた。83年組が歌うシーンは大体ポロリのある騎馬戦の時で、みんな歌なんか聴いてないわけですよ。松本:しかも私たちが歌ってる画面は右側のワイプ部分に小さく映ってるだけ。完全に騎馬戦を盛り上げるためのBGMで。桑田:誰も見ていないのにたくましく歌ってたよね。82年組の皆さんは、ちゃんとしたステージがあって羨ましかったなぁ。◆7人のライブ『35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち「お神セブン」と申します~』が博品館劇場(東京・銀座)にて2日限定で開催。11月19日(月)19時開演、20日(火)14時開演/19時開演。※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.19 07:00
週刊ポスト
83年組の松本明子、煙モクモクで歌うアイドル妄想実現したい
83年組の松本明子、煙モクモクで歌うアイドル妄想実現したい
 1年上の「花の82年組」に隠れて“不作”と評された83年デビューのアイドルたち。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成した。シアトル在住のメンバー・徳丸純子を除いた6人、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、松本明子、森尾由美が集まって語り合った座談会から、11月に東京・博品館劇場で開く2日間限定のライブへの意気込みと期待についてお届けする。大沢:だけど、本当によくライブまでこぎつけたよね。ゆうこなんて26年もブランクがあったけど、みんなで集まるようになってから活動再開したしね。木元:うん。実はみんなと再会する5年くらい前から悩んでたけど、刺激を受けたことでようやく決心できて。大沢:靖子も、シアトルの純子だって歌手活動を再開し始めた。森尾:「大器晩成」と言ってもらえるように頑張らなきゃね。松本:何よりこうしてもう50歳のおばちゃんになってもライブをさせていただける機会があることに感謝ですよ。今回はデビュー当時からのファンの方たちのために、当時着ていた衣装でステージに立つしね。桑田:私は衣装を実家で大事に保管してましたから。シミ抜きもちゃんとして準備万端です。大沢:まあ、昔の衣装が着られるというのがすごいことですよ。小林:私はダイエットを頑張らないと着られないから焦ってる。松本:あとライブでは当時できなかった“たくさんのドライアイスで白い煙がモクモクと出ている中で歌う”演出を実現させたい。胸に秘めたアイドル妄想も実現させるつもりですよ。森尾:それいいね。私たちが明子の背後でドライアイスを団扇でパタパタさせて煙をいっぱい出してあげるよ(笑い)。大沢:そこまで手作り感!木元:とにかく笑いあり、涙あり、懐かしさありでみんなに精一杯楽しんでほしいよね。小林:そうだね。当時のファンの方だけでなくお子さん連れでも来てほしい!松本:当時は「83年組が好きなんて恥ずかしい」って風潮があったみたいだけど、ぜひ恥ずかしがらずに来てください!◆7人のライブ『35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち「お神セブン」と申します~』が博品館劇場(東京・銀座)にて2日限定で開催。11月19日(月)19時開演、20日(火)14時開演/19時開演。※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.18 07:00
週刊ポスト
83年アイドル「お神セブン」のラストピース 徳丸純子の手紙
83年アイドル「お神セブン」のラストピース 徳丸純子の手紙
「花の82年組」に隠れて“不作”と評された1983年デビューのアイドルたち。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成した。メンバーは、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、徳丸純子、松本明子、森尾由美の7人。シアトル在住のため、日本在住の6人が集まった座談会に参加できなかった徳丸から、メンバーや11月に開催する2日間限定ライブへの想いについて綴った手紙をお届けする。 * * * 結婚を機に、7年前からシアトルに移住しました。今回のイベントは7人が再会した頃から「35周年は何かできたらいいね」と話して決めましたが、1人だけ遠くに住んでいるので正直不安でした。 ですが、便利な時代になったおかげで簡単に連絡が取れるのでありがたいですね。時差があるので情報が遅れてしまうこともありますが、そういう時は逸美がフォローしてくれるので助かってます。いつの間にか私の担当(?)になってくれているので、みんなも安心してくれています。 逸美とは長い付き合いなので、かゆい所に手が届くし、気持ちも察してくれるありがたい存在です。とはいえアイドル時代はこの6人とはお仕事で会うだけだったので、一緒にライブをやることになるなんて想像もできませんでした。 当時は他事務所のアイドルと友達になってはいけない空気がありました。逸美と由美は明大中野高校で一緒だったので、時々学校で会いましたけど深い仲にはなれなかった。この歳になって仲良くなれたのは本当に嬉しいですね。「あの頃、こんな話をして打ち解けたかったなあ」と、まるで青春時代に戻ったかのような清々しい気持ちになります。 今回のライブは何度も話し合い、「無理かも……」という雰囲気を乗り越えて実現させたイベント。“不作”と呼ばれた私たちを応援してくれた「ファン感謝デー」にしますので、ぜひいらしてください!◆7人のライブ『35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち「お神セブン」と申します~』が博品館劇場(東京・銀座)にて2日限定で開催。11月19日(月)19時開演、20日(火)14時開演/19時開演。※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.16 16:00
週刊ポスト
83年アイドル、森尾・松本・大沢・木元・桑田・小林座談会
83年アイドル、森尾・松本・大沢・木元・桑田・小林座談会
 多くのスターを輩出した1年上の代「花の82年組」に隠れて“不作”と評された83年デビューのアイドルたち。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成した。シアトル在住のメンバー・徳丸純子を除いた6人、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、松本明子、森尾由美が集まり、アイドル時代に水泳大会で歌ってもワイプ部分に小さく映るだけだったことを語りあったあと、アイドル内格差についての思い出も語り合った。小林:私は「水泳大会で絶対に勝って目立とう」と思って、息継ぎもせずにクロールで25メートルを泳いだの。必死の思いで1位になって水中から顔を上げたら、褒められるどころか「お前が勝つなよ」「抜いちゃダメだろうが」って厳しい視線が集中してた。森尾:あの時の会場は「82年組を抜かすな」「83年組は忖度せよ」って暗黙の了解的な空気が漂ってた気がする。大沢:そうだよね! 確か雑誌なんかでも徐々に「不作の83年組」なんて書かれ始めた頃でさ。森尾:確か83年はワインも不作の年で、それを引き合いに出して書かれた記事もあったような。松本:ワインの不作はうちらのせいじゃない(笑い)! でもマネージャーが気を遣ってそういう雑誌を見せないようにしていたのにも、薄々気付いていて。申し訳なかったなぁ。小林:しかも後輩の「84年組」には人気がある子が多かったから、下からの突き上げも相当なプレッシャーだったよね。桑田:岡田有希子ちゃんに菊池桃子ちゃん、荻野目洋子ちゃんと次々と個性的なアイドルたちが出てきたもんね。小林:私の事務所の後輩にはチェッカーズがいてさ~。デビュー当時の彼らなんて、田舎臭い男の子たちだったんだよ。私の方が先輩だったから、「千絵さん、千絵さん」なんて慕ってくれててさ。「みんな頑張ってね!」なんて励ましてたんだけど、あっという間に抜かれて大スターになっちゃって。桑田:でも同じ事務所の大御所の先輩方はとても優しくしてくれた印象が強い。特に松田聖子さんは、当時15歳だった私に楽屋でメイクしてくれて。私には濃く感じたんだけど、実際にカメラに映った自分の姿を見ると、キマッてるの。やっぱり聖子さんはセルフプロデュース能力も優れているんだなあと。木元:私は中森明菜さんに特別な思い出がある。『8時だョ!全員集合』の撮影現場で明菜さんと隣になった時、初めての生放送で緊張していたら、「そんなに後ろにいたら映らないから、もっと前に出な」って前に押し出してくださって。大沢:人気絶頂の先輩方は、性格も本当に優しかったよね。寮で一緒だった(榊原)郁恵さんにはよくしてもらったな。◆83年組の中にも“温度差”大沢:でも私たち同期の中にも温度差はあった。私と明子と千絵ちゃんはアイドル志願して芸能界入りしたけど、由美ちゃんとゆうこはスカウトだからね。木元:そうね。頼まれて芸能界入りしたんだから「賞が取れて当然だ」って思ってたし、取れなくても「そういうもんなんだ」くらいにしか思わなかった。森尾:うん。悔しいとかって感情もなかったなぁ。芸能界は「売り出し方が大事」って感じてたから、デビューから出鼻をくじかれた私は“王道路線”じゃ無理なんだろうなあと。松本:なんて冷静な! 私はそんな冷めた考えはできなかったよ。故郷に錦を飾るまで田舎に帰れない気持ちで、なんとかして売れたいと家でひとり何度泣いたことか。売れたくて売れたくて、必死でどんな仕事も受けたし。小林:そうだよね。私は逆立ちして歩けたから“逆立ちができるアイドル”として夏の暑い日にビルの屋上で逆立ち歩きさせられたの! 掌を火傷しながらやったのに、テレビには脚しか映らなかった(笑い)。桑田:私もリサイクルが得意ってことで「私のリサイクル法」みたいな囲み記事を作ってもらったり。それも当時は大きな事務所に入っていたから義理でいただけた仕事のようなもので。小林:でも、それが後に「自虐ネタ」として活きたし、何より私たちがアイドルの中でバラエティでもお仕事をもらえる“元祖バラドル”という道を切り開いたわけで。松本:そう言ってもらえると格好いいけど……。生き延びるために必死で、放送禁止用語(*)まで言っちゃったしね(一同、爆笑)。【*『オールナイトフジ』『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』の10周年記念合同生番組で、片岡鶴太郎と笑福亭鶴光からそそのかされて、女性器の名前を3回叫んだ事件。その後、松本は2年間“干された”状態になった】◆7人のライブ『35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち「お神セブン」と申します~』が博品館劇場(東京・銀座)にて2日限定で開催。11月19日(月)19時開演、20日(火)14時開演/19時開演。撮影■井上たろう※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.16 07:00
週刊ポスト
83年組アイドルで結成「お神セブン」 ライブ実現への道
83年組アイドルで結成「お神セブン」 ライブ実現への道
「花の82年組」と呼ばれ、多くのスターを輩出した1年上の代に隠れて“不作”と評された1983年デビューのアイドルたち。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成した。シアトル在住のメンバー・徳丸純子を除いた6人、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、松本明子、森尾由美が集まって、11月に開く2日間限定ライブ開催への道のりについて語り合った。桑田:純子が単独ライブをした時に、「このメンバーでライブをしたい」って話になったんだよね。松本:そうだ、その時に「私たち7人で何かするなら、やっぱりよく復活ライブの会場になる博品館劇場だよね?」って話して盛り上がった。森尾:でもまぁ、夢みたいな話で。本格的に動き出したのは去年10月頃かな。いっちゃん(大沢逸美)がメンバーの本気度を探るためのアンケートを取ったんだよね(笑い)。それで昔から親交のあったフジテレビのプロデューサーの三宅恵介さん(*)に相談しに行って。【*『オレたちひょうきん族』以降、40年以上にわたりバラエティ番組制作一筋のテレビプロデューサー。特に森尾由美とは『はやく起きた朝は…』のプロデューサーとして長年の付き合いとなる】松本:こういう計画的な話は森尾Pと大沢相談役がいないと何も始まらないんですよ。小林:ほんとそう。お神セブンという呼び名も逸美ちゃんが考えてくれたしね。AKB48の“神セブン”という語源と、再会が“神がかってた”こと、そしてもういい歳だから“女将”をモジッて“お神セブン”って!森尾:けどね、私が三宅さんに話を持っていったのは実現させるためじゃなくて「失敗するからやめなさい」って反対してほしかったからだよ。松本:えー! なんで?森尾:だって準備も大変だし、リスクも負いたくないじゃない!大沢:私も実現するためには相当な覚悟が必要だと思った。だからこそ三宅さんが「とても素敵なステージになるよ。これはセットはいらないね。君たちがセットだから」と言ってくれた時は嬉しかったし、「よし、やるぞ!」って力強く思えたな。森尾:うん。自信がついたよね。それに今回はアイドル時代と違って用意された舞台ではなくみんなで手作りする舞台だから、余計に気合いが入った。大沢:「やろうか」って話が出た段階で明子がいきなり博品館に電話しちゃうし。松本:そうそう、「松本ですー、今年の年末は空いてませんか?」って(一同爆笑)。そしたらピンポイントで11月19日と20日が空いてるから、じゃあもう会場を押さえちゃおうと。森尾:しかもチラシも、「デビュー曲のジャケット写真を使いたいけど、権利関係が複雑そうだからイラストがイイよね、あ、イラストレーター知ってるから、聞いてみようか?」って、パッパと決めちゃって。松本:私は『電波少年』(日本テレビ系)なんかでアポなしが身についてるから(笑い)。木元:ちなみにチラシの素敵な文章は逸美ちゃんが書いてくれました。ほんと、こんな経験はアイドル時代はなかったよねー。桑田:とにかく当時は涙ぐましい出来事ばかりだったから。◆7人のライブ『35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち「お神セブン」と申します~』が博品館劇場(東京・銀座)にて2日限定で開催。11月19日(月)19時開演、20日(火)14時開演/19時開演。撮影■井上たろう※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.14 07:00
週刊ポスト
かゆみの原因は重度の糖尿病だった
不作・83年組アイドル大好きだった当時の少年が語る魅力
 1年上の「花の82年組」に隠れて“不作”と評された1983年デビューのアイドルたち。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成した。メンバーは、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、徳丸純子、松本明子、森尾由美の7人。当時は83年組が好きなんて恥ずかしいという風潮があったというが、実は彼女たちの大ファンだったという3人に、その魅力を語ってもらった。●井口昇(映画監督) 1980年代初頭にリーゼント風の髪型と媚びない笑顔、鋭い目付きの大沢逸美さんが登場した時、僕の中のアイドル像が破壊されました。35周年記念で「僕らを叱りそうなアイドル」というツンデレの先駆者として銅像を立ててほしいです。(井口監督の映画『ゴーストスクワッド』のDVDが11月28日発売予定)●北川昌弘(アイドル評論家) 1980年初頭のアイドルは「レコードを売る」ために水着撮影をしました。ですが森尾由美さんは、『週刊少年マガジン』が選んだ「マガジンメイト」として、アイドルがグラビアをやる潮流を作った。その水着姿は先駆者として実に眩しかったですね。●森永卓郎(経済アナリスト) 松本明子さんが好きでしたね。デビュー当時はセクシーな雰囲気のアイドルという強烈な印象があった。若いのに熟女感があって、なんか良い意味でズレてたんです。今も仕事でよくご一緒しますが、非常に気遣いのある熟女さんです(笑い)。※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.12 16:00
週刊ポスト
83年デビューアイドル7人 再会のタイミングが神ってた
83年デビューアイドル7人 再会のタイミングが神ってた
 小泉今日子、中森明菜、三田寛子など1982年にデビューしたアイドルは「花の82年組」と呼ばれたが、翌1983年デビューのアイドルたちは“不作”と評され、苦難の芸能人生を送ってきた。彼女たちが35年の時を経て再び集結し、「お神セブン」なるグループを結成、11月には2日間限定のライブを開く。アメリカ・シアトル在住のメンバー・徳丸純子を除いた6人、大沢逸美、木元ゆうこ、桑田靖子、小林千絵、松本明子、森尾由美が集まって語り合った。大沢:「再び集まろう!」となったキッカケは、私が何年か前に番組の企画で「同期に会いたい」と言ったことで、明子や靖子、千絵ちゃんと30年ぶりに再会したことだったよね。松本:うん。逸美ちゃんにだけ知らされてないサプライズ対面の企画だった。桑田:私はその頃、長らく休んでいた芸能活動を再開し始めた頃だったなぁ。みんなとの再会は本当に久しぶりで楽しかった。話が尽きなくて連絡先も交換したけど、実は内心、「社交辞令だろうし次はないだろうな」って思ってたの。小林:なんでよ(笑い)。でも実際にその時から、会う頻度が増えていったよね。大沢:うん。再会直後に靖子の単独ライブがあった時も、このメンバーでお花を出したもんね。木元:私は結婚してアメリカに移住した(徳丸)純子と大阪で再会してたの。それで逸美ちゃんに「いま純子といるよ~」って電話したんだよね。大沢:そうだったねー。さらに同時期、私と由美も偶然バラエティ番組で共演してさ。森尾:それぞれが次々と再会していく感じが、まさに神がかってたよね。で、その後、初めて7人で揃ってランチをした。木元:ランチなのに5時間も話し込んだよね。松本:初めて集合した時はみんな号泣、号泣だった(笑い)。森尾:千絵ちゃんの旦那さんがその感動の再会シーンをずっとビデオで撮ってくれててさ。小林:あれは宝物だよね~。森尾:うん。あれはライブで流して皆にも見せたいな。◆7人のライブ『35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち「お神セブン」と申します~』が博品館劇場(東京・銀座)にて2日限定で開催。11月19日(月)19時開演、20日(火)14時開演/19時開演。撮影■井上たろう※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.12 07:00
週刊ポスト
ガンダムファンにはおなじみ 歌手・森口博子の実力
ガンダムファンにはおなじみ 歌手・森口博子の実力
 放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、バラエティーだけではない、歌手・森口博子の実力を考察。 * * * ディナーショーの人気度や料金ランキングが取りざたされる時期がやってきた。今年の目玉はなんといっても中森明菜で、「声も全盛期に戻った」とも報じられている。つまり体調がいいので“ドタキャン”の心配もなくなったということだ。 彼女は小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美ら、大手芸能プロダクションやレコード会社が「聖子に続け!」とばかりにイチオシを揃えた「花の82年デビュー組」の一人。前年10月にデビューしていた松本伊代も、この中に含まれている。 新人賞は熾烈な争いで、デビューの年、中森明菜だけが無冠に終わっている。その後の歌手人生において、本当に色々なことがあった彼女だが、松田聖子と共に、いまも歌い続けている数少ない“アイドル”の一人だ。 その「82年組」に「追いつき、追い越せ」でデビューした女性アイドルは、なぜか「バラドル」として活躍する者が多い。「おニャン子クラブ」の台頭で、音楽ランキングの主役は彼女たちになり、その一方で、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)での素のトークがファンや視聴者にウケるように…。 果たして、アイドルとしてデビューしたのに曲があまり売れなかったり、歌える場が少なかったりした松本明子、井森美幸、山瀬まみ、松居直美、島崎和歌子、そして森口博子らがバラドルとして活躍するようになったのだ。彼女たちの多くはなぜかモノマネが上手いという特徴もある。 なかでも森口は、モノマネも器用にこなし、バラエティー番組の中での“なりきり”ぶりに人気が集まった。その証拠に、彼女はあのSMAPと共に人気番組『夢がMORIMORI』(同)に出演していた。このタイトルは、森脇健児、森口博子、そしてSMAPの森且行の頭文字からなり、『SMAP×SMAP』がスタートする前まで、SMAPが「バラエティーのいろは」を叩き込まれた番組と言える。 つまり森口博子はSMAPにとって、「バラエティーの姉さん」的存在だった。バラドルの女性たちがそうであったように、SMAPも歌番組の激減により、バラエティーに活路を見出さざるを得なかったアイドル。なんとか爪跡を遺そうと必死に頑張っていた彼らに、森口はバラエティーのスピードや緩急、恥ずかしがらずにやり抜くことなどを身をもって教えていたのだと思われる。「でも、彼らがアラフォーになってから御一緒したら、『森口さん、大丈夫ですか?』『もうちょっとですよ』などと、私の身体を気遣ってくれたり、労わってくれたりする言葉をかけてくれて…。月日を感じました」と森口は言う。そして「彼らは大丈夫」「尊敬している」とも。もっとも近くでSMAPを見てきた森口だからこその言葉だと思った。 さて、件のバラドルたちの中で、唯一、真摯に歌手活動を続けているのが森口博子だ。2000年代に入っても、8枚のシングルと3枚のアルバムを出しているし、今年9月に発売された『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』でも、森口は『大阪の女』で参加している。また、『アニー』をはじめとするミュージカル出演や、ジャズクラブでのライブも行っていて、今年2月、老舗のジャズクラブ『銀座Swing』に出演した際も、大人の佇まいと歌声で多くの観客を魅了した。 その森口が11月16日、新曲をリリースした。11月19日から全国15館で限定2週間、イベント上映される『機動戦士ガンダム ORIGIN IV』の主題歌『宇宙(そら)の彼方で』を16日にリリース。そのミュージックビデオが『GYAO!映像デイリーランキング』で1位を獲得したのである。 森口とガンダムの関係は深く、長い。1985年、森口のデビュー曲が『機動戦士ガンダム』の主題歌、『水の星へ愛をこめて』だった。「その後も、20代、30代、40代と節目節目でガンダムを歌わせていただいているんです」と言うが、91年に大ヒットし、『NHK紅白歌合戦』に出場するきっかけにもなった『ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~』までは泣かず飛ばずで、「事務所からリストラ宣告をされた」こともあったそうだ。 それから数年後、赤文字系雑誌の美容ページで、森口の“人生折れ線グラフ”と髪型の変遷を見た記憶がある。「グラフが下降しっぱなしだった頃は、ずっと三つ編みにして、帽子をかぶって、なんとか多くのみなさんに顔を覚えていただこうと必死だった」と森口は振り返る。 果たして、「またガンダムを歌いたいなぁ」と思っていた今年、ガンダムの製作会社で主題歌を誰に歌わせるかという会議が行われ、その内の一人が森口の名前を出したところ、「満場一致で決まったと聞いて涙が出ました」と森口は目を潤ませた。 それは森口のファンの総意でもあったそうで、「ファンのみなさんの多くがTwitterやブログなどで願ってくださっていたことが叶ったんです」と、またさらに目を潤ませた。 歌手活動の一方で、タレントとしてバラエティー番組に出演し、CMでは『命の母A』のキャラクターとして“更年期トーク”を繰り広げている森口博子は独身を貫き、今年48歳になった。 歌番組は相変わらず少ないし、CDも売れなくなって久しいが、地道に歌手活動を続け、新曲をリリースし、MVが話題になり、映像デイリーチャートで1位に…。これは森口にとって、大きな勲章になったことだろう。 間近で会うと、相変わらずスリムで美肌でチャーミングで「奇跡の48歳」と言っていい森口が伸びのある声で歌い上げる『宇宙の彼方で』は、ガンダムのファンや製作者を含めた人々、森口ファン、そして森口博子本人にとって、また忘れられない一曲になったに違いない。
2016.11.19 07:00
NEWSポストセブン
松山あるある 「『坊っちゃん』にはちょっと迷惑してる」
松山あるある 「『坊っちゃん』にはちょっと迷惑してる」
「四国No.1都市はどこなのか?」──四国人なら一度は考えるのがこの問題だ。その候補地として激しく争うのが松山と高松。2つの街の“あるある”を比べてみよう。【松山】人口51万5092人面積429.37平方km主な出身有名人:友近(お笑い芸人)、光宗薫(元AKB48)・「知り合いが“友近”の友達」率が異常に高い お笑い芸人の友近の出身地だが、やたらと「友近の友達」につながる人が多い。・『坊っちゃん』にはちょっと迷惑している 夏目漱石はリスペクトして いるが、『坊っちゃん』の せいで松山が田舎と誤解されるのは嫌だ。・「ポンジュースご飯」という幻の給食メニューがある「みかんご飯」「オレンジピラフ」とも言うが、ポンジュースで炊いたご飯が一部の学校で本当に出ていた。味については賛否両論。恐怖の思い出として語る人もいる。【高松】人口42万943人面積375.41平方km主な出身有名人:南原清隆(ウッチャンナンチャン)、 松本明子(タレント)・大阪のラジオが聞けるんです! なにかと本州の文化に近いことが誇りになっている。・セブン-イレブン、スターバックス、ニトリ…「四国初出店」はいつも高松から 単に「本州に一番近いからだろう」というツッコミは野暮。・住所「うどん県」で年賀状が届くと自慢はするが、いざ届くとイラっとする 郵便番号さえ合っていれば「うどん県」でも郵便物が届く。が、他県の人からやたら「うどん県ね」という態度を取られることに内心イラついている。イラスト■福島モンタ※週刊ポスト2016年11月11日号
2016.11.05 07:00
週刊ポスト
デビュー31年井森美幸 常に笑い優先する元祖バラドルの力量
デビュー31年井森美幸 常に笑い優先する元祖バラドルの力量
 4月21日にデビュー31周年を迎えたタレントの井森美幸(47)だが、浮き沈みの激しい芸能界にいながらこれといった低迷期もなく、“元祖バラドル”として息の長い活躍を続けている。次々に競争相手が現れる中、彼女が生き残ってこられたのはなぜか。 テレビウォッチャーでもある漫画家のカトリーヌあやこさんはこう語る。「井森さんがデビューした1985年というのは、“花の82年組”と呼ばれた中森明菜さん(50)や小泉今日子さん(50)らがまだ人気絶頂の頃でした。さらにこの年には、おニャン子クラブもデビューしています。激戦の時代を生き抜く中で、場の空気を読む力が養われたのだと思います。それが現在のバラエティー番組の出演時にも活かされています。 たとえば『ヒルナンデス!』の人気コーナーとなっている3色ショッピングでも、他の人はいい感じのファッションを狙っているのに、井森さんだけは違います。B系ファッションをしたときにはエミネムとかけて『イモネム』、ヒョウ柄を揃えたときにはビヨンセとかけて『イモンセ』というふうにキャラを作るなど、完全にネタに徹しています」(カトリーヌあやこさん・以下「」内同) 常に笑いを優先する姿勢が、バラエティー番組で重宝されることにつながっているようだ。しかし、井森以外の元祖バラドルたちも、決して笑いを取りに行かないわけではなかった。森口博子(47)や松本明子(50)、山瀬まみ(46)、島崎和歌子(43)らと井森には、どういった違いがあるのか。「他のバラドルたちは、面白いことをやろうとしても『自分が美しく見られたい』という欲求を完全には捨てきっていません。でも井森さんはそれを簡単に捨てることができるので、ダサいことでも平気でやってのけます。こびて色気を見せるようなこともしないので、女性ウケもいい。 周りからのツッコミやいじりに怒るようなこともなく、芸人たちからの信頼も厚いように思います。ホリプロのオーディションで披露したレオタード姿でのダンスシーンがテレビでネタにされたり、有吉弘行さん(41)や山里亮太さん(39)などからおばさん呼ばわりされたりするのも、定番ネタになっています」 もちろん双方に信頼関係があるから成り立つことだが、井森になら何を言っても大丈夫そうな雰囲気はある。有吉は昨年、ツイッターに「完璧なおばさん。見事なおばさん」というコメントとともに井森の写真をツイッター上に投稿した。山里に至っては、「下仁田ネギババア」(※井森は群馬県下仁田町出身)と呼んだことも…。 どの芸人ともうまく絡む井森だが、山里とは特に仲がよいようだ。山里は加藤浩次(46)やオードリー若林正恭(37)、さらには双方のマネジャーから、井森との結婚をすすめられたとラジオのレギュラー番組で明かしている。「井森さんは必死に若作りをしているように見えないのに、よく見たら美人。それでいて性格も良さそう。島崎和歌子さんのようにお酒を飲むわけでもない。いい奥さんになれそうなのに、人のよさゆえ、求められたら何でも答えちゃうところが、婚期を逃した原因かもしれません(笑い)。 デビュー当時、『井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません』というキャッチフレーズで売り出していたことも、『いまだに誰のものでもありません』とネタに変えていますが、いい結婚をしてもらいたいですね」 平愛梨(31)や小島瑠璃子(22)といった若手タレントらが尊敬する先輩として井森の名を挙げるなど、今や井森は後輩タレントから目標とされる存在だ。後輩たちが婚期を逃さない程度に、立派な見本になってもらいたい気がするが果たして…。
2016.04.24 07:00
NEWSポストセブン
春野恵子 電波少年の東大企画で2回脱走してた過去を告白
春野恵子 電波少年の東大企画で2回脱走してた過去を告白
 1990年代の人気番組『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)の企画「電波少年的東大一直線」で、東大卒の家庭教師・ケイコ先生としてブレイクした春野恵子。当時、お笑い芸人・坂本ちゃんを、日本大学文理学部などに合格させた。そこに至るまでの8か月間には、知られざる秘話があった。現在は浪曲師として活動する春野に、当時を振り返ってもらった。――『電波少年』出演のきっかけから教えてください。春野:事務所に入ったばかりの頃、日本テレビの新番組だと言われてオーディションに行ったんです。でも、どんな番組かわからなくて…。面接だけで終わって、1か月を過ぎても結果が伝えられなかったので、落ちたのかなと思っていました。 そんな時に、「『電波少年』の観覧に行くから」と突然マネジャーに言われて。家族で旅行に行く予定だったので、私は旅行には後から行くことにして観覧に行ったら、『ダース・ベイダーのテーマ』が流れてTプロデューサーに連れて行かれたって感じですね(苦笑)。――室井滋さんに促されて。春野:産休の松本明子さんの代わりに室井滋さんが司会をされていて、「坂本ちゃんが東大に向けて勉強しているんだけども、一人じゃ進まないなあ。この中に東大の人はいませんかね?」っていきなり言い出して。 私は嫌だったんですけど、隣のマネジャーに手を挙げさせられたんですね。私が『電波少年』に出ると思わなかったのでそのときは、ひたすら笑っていました。びっくりすると、人って笑うのかなって思いましたね。―― 一切、説明もなかった?春野:ありません。四谷のマンションに連れて行かれて、「やりますか、やりませんか?」と。――断らなかったんですね。春野:はい。「ヤラセかな、1週間に1回くらい収録に行けばいいかな」と思っちゃったんですね。そうしたら8か月間、マンションに閉じ込められました。――ガチだったんですね。つらかった?春野:つらい時もありましたよ。辞めたいなとか、おうち帰りたいなとか。当時付き合っていた彼氏もいたので、彼氏に彼女ができちゃう夢を見て、泣きながら目を覚ますこともありました。 部屋にはスタッフの連絡用の携帯が置いてあったんです。スタッフさんにしか使えないように4ケタの暗証番号が設定されていました。それを寝る時にこっそりベッドに持ち込んで、0000、0001、0002…って延々。家族に電話できないかなって、必死に試したりして。 ある日、坂本ちゃんが鳴った携帯に出て「ケイコー、お母さんからよ」って、私を呼んだんです。スタッフさんの計らいで母と話せるのかなと思って出たらスタッフさんで。その瞬間、すっごい泣いちゃって。驚いた坂本ちゃんが慌てて「ごめんごめん、冗談だったのに」なんてこともありましたね。――8か月会えなくて、彼氏とはどうなりましたか?春野:企画が終わって会いに行ったら、もう新しい彼女ができていました。初めて付き合った彼氏だったのに…。――食事はどうしていたんですか?春野:朝昼晩のテストで80点取れないともらえないので、ほぼ、1日1食。お腹が空いていたので、あじのひものは骨まで全部食べていたし、付け合わせのソースをなめたりしていました。企画が終わったら10kgくらい痩せたので、それは嬉しかったです。――外にも出られないし大変ですよね。春野:実は、2回脱走して、家に帰ったことがあるんです。計画的犯行です。何曜日は一番怖いスタッフさんがお休みだなとか、スタッフさんの行動を全部メモして。夜中にビデオを取りに来たり、日記を書いてと言われたりするので、その時間も全部チェックました。それで、何曜日の何時はスタッフさん来ないって。 決行したのは、消灯してからで、真夜中です。外に出られないように、靴も取り上げられていますからね。黒いガムテープで、靴下の周りに黒いガムテープをぐるぐる巻いて、靴に見えるようにして。坂本ちゃんと2人で脱出しました。マンションの隣は、スタッフさんが使う部屋になっているのでドキドキでした。――脱出して、どこに行きましたか?春野:まず、コンビニに行って、肉まんとかプリンとかを買って2人で四谷の公園で食べました。それから、私は電話ボックスから親に電話して、実家に帰りました。母に会えた時は、ほんとうれしかったですね。 戻る時は、四谷のマンションまで親が車で送ってくれて。別れる時は、泣きながらバイバイしました。でも『ショーシャンクの空に』とか、脱出ものの映画が好きなので、計画立てて脱出するって、すっごく楽しかったです。絶対誰にもばれないような脱出計画を何日もかけて練ることってないじゃないですか。 ――結局、バレなかった?春野:部屋にいるときは、マイクが音を拾うので、坂本ちゃんと脱走のことを口に出さないようにしようって言っていたのに、坂本ちゃんが「次、いつ行く?」と言っちゃったんですね。そうしたらスタッフが聞いていて、「おまえら、なにしたんだ!!」ってものすごい形相で。それから脱出はもうできなくなりました。――番組後は知名度も上がって、女優としても活躍することに。春野:電波少年が終わってから1年くらいしか芸能活動をしていないんですけど、いろんな経験をさせていただけたのは楽しかったですね。それまで演技は舞台しか経験していなかったので、『救命病棟24時』『スタアの恋』(共にフジテレビ系)とか、ドラマに出させていただくことで、映像のお芝居を経験させていただけたのは、すごく面白かったです。――順調に仕事が増えていたのに、なぜ浪曲師に?春野:『電波少年』でデビューとなると、どうしても“東大卒のタレント”的なお仕事のオファーが多くなります。坂本ちゃんの合格発表の放送では30%を超えるような視聴率で、自分の実力じゃないところで、名前と顔がポンと売れてしまいました。 私はお芝居をしたり歌を歌ったり、表現をすることを仕事にしたいと思っていて。タレントになりたいなら良かったんですけど、私がやりたいのは別のところにあったので、自分の人生を乗っ取られた気がしてつらかったんです。自分の人生を模索している時に、出会ったのが浪曲でした。これだ!と思いましたね。【春野恵子(はるの・けいこ)】7月22日生まれ。東京都出身。『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)の企画「電波少年的東大一直線」でブレイクし、その後、バラエティーやドラマ『救命病棟24時』(フジテレビ系)などで活躍。2003年に女流浪曲師・春野百合子に師事し、春野恵子となる。「春野恵子応援会」会員募集中(無料)。
2016.03.08 07:00
NEWSポストセブン

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