立川談志一覧/6ページ
【立川談志】に関するニュースを集めたページです。

『笑点』メンバーに選ばれた落語家は地方営業でギャラ高騰の利権
1966年にスタートし、来年50周年を迎える『笑点』(日本テレビ系)。その大喜利をまとめる司会者の座を巡り、笑えない“跡目争い”が起きている。その理由は2006年から5代目司会者として番組の“顔”を務めてきた桂歌丸(78)の体調問題だ。 複数の落語関係者は“座布団利権”の存在を指摘する。ベテラン放送作家がいう。「大喜利メンバーになれば、年収が数千万円になるのは落語界では知られた話。番組出演のギャラは大した額じゃないけど、『笑点』に出れば全国区の有名人になり、地方営業に引っ張りだこ。 メンバーではない落語家が地方営業に呼ばれると、真打ちでもせいぜいギャラは10万~20万円だが、メンバーなら1本50万円以上に跳ね上がる」 2006年からメンバーに抜擢された春風亭昇太は、昨年、自宅を新築した。2階に居酒屋風のスペースを設けた邸宅で、周囲からは“座布団御殿”と呼ばれているという。メンバー入りは、落語家個人だけでなく、所属する団体にとっても大きな利権となる。 現在の『笑点』は、歌丸、三遊亭小遊三、昇太が所属する「落語芸術協会」、林家木久扇、林家たい平が籍を置く「落語協会」、6代目・三遊亭円楽、三遊亭好楽の「円楽一門会」の3団体で構成されている。 東京の落語界は、これに立川談志が創始者の「立川流」を加えた4団体で成り立つが、『笑点』の初代司会者でもある談志が番組の方向性をめぐって制作サイドと喧嘩別れして以降、立川流からはメンバーが選出されていない。 歌丸は芸術協会の会長、小遊三が同副会長、木久扇は落語協会相談役、好楽は円楽一門会の会長(円楽は幹事長)を務めるなど、“派閥”のトップクラスが顔を揃える『笑点』において、司会者はメンバー選出の人事権を握るなど絶大な権力を持つとされる。「次の司会者」は従来の3派閥から──と有力視される所以だ。※週刊ポスト2015年8月21・28日号
2015.08.12 07:00
週刊ポスト

『笑点』跡目争い 本命=円楽、対抗=小遊三、大穴=立川流
1966年にスタートし、来年50周年を迎える『笑点』(日本テレビ系)。その大喜利をまとめる司会者の座を巡り、笑えない“跡目争い”が起きている。その理由は2006年から5代目司会者として番組の“顔”を務めてきた桂歌丸(78)の体調問題だ。 今年6月、歌丸は背部褥瘡(床ずれ)で入院。手術は成功して退院したのも束の間、すぐに腸閉塞のため再入院した。昨年も慢性閉塞性肺疾患と肋骨骨折、帯状疱疹などで入退院を繰り返していたこともあり、周囲は不安を募らせていた。8月8日には番組収録に復帰し、11日には東京・国立演芸場の「8月中席」で、約50分間の「怪談乳房榎」を演じる予定で、“復活”を印象付けているものの、その健康状態は万全とはいえないだろう。 番組関係者への取材を進めると、「ポスト歌丸」レースの最新の下馬評が見えてきた。「歌丸師匠を5代目司会者に指名したのは、先代の5代目・三遊亭円楽さん。次の司会者も歌丸師匠が指名するのが自然で、そうなると師匠がいたく気に入っている6代目・円楽さんが現在のところ最有力になる。円楽さん自身も光栄に思っていて、ヤル気を見せていると聞きます」(笑点スタッフ) 歌丸と円楽の掛け合いは『笑点』の名物だ。円楽が歌丸に「ガイコツ!」「お迎えが近い」と毒を吐くと、返す刀で歌丸が「山田君、円楽さんの座布団、全部持っていきなさい」と余裕綽々で応じる。円楽が無遠慮な毒舌を吐けるのも、それだけ歌丸からの信頼が厚い証拠だろう。 一方で軽妙なトークが持ち味の三遊亭小遊三なら司会者の大役も無難にこなせる、と評価する番組スタッフも少なくない。演芸評論家で作家の吉川潮氏が語る。「適任は小遊三だと思います。年齢でいえば、歌丸の次は林家木久扇ですが、彼には息子で噺家の木久蔵がいる。いずれ息子に禅譲することも考えているはずで、自分が司会者のポストにいながら息子がメンバーになれば“身内びいき批判”を受ける可能性もある。小遊三と同年齢ながら、息子・王楽がいる三遊亭好楽も事情は同じでしょう。 木久扇と好楽には代替わりを機に息子に“座布団”を譲り、メンバー最年長となる小遊三が司会を務めると収まりがいいと考える人は多いでしょう」 一方でウルトラCも検討されている。初代司会者・立川談志の遺志を甦らせる立川流からの大抜擢だ。実現すれば、談志が司会を降りてから46年ぶりの立川流の復活劇となる。名前が挙がっているのは立川流を背負う志の輔、談春といったスター落語家らだ。「話題性は十分で新たなファン層も獲得できるので局としては魅力的な人選。ただし番組と疎遠になって久しい立川流の噺家がうまく仕切れるのか。不安のほうが大きく、あくまで“大穴”扱いです」(前出・日テレ関係者) 名前の挙がった当事者たちに訊ねた。談春は「外部の人間が何かしゃべるのは非礼に当たる」と本人が取材を断わり、志の輔の事務所は「そんな(司会者の)話が回ってくることはないでしょう」と話した。本命視された円楽も、事務所を通じ「そのような事実はない」と回答した。 では、対抗の小遊三はどうか。本人を直撃すると、「オファーは届いていないよ(笑い)。歌丸師匠が死んでもないのに次は誰だなんて、そんな不謹慎なことは口が裂けてもいえないでしょ!」と苦笑いした。 日テレは「歌丸師匠を中心にさらに皆様に支持される『笑点』を制作していく」(広報部)と回答するのみ。 自身もかつて大喜利メンバーで、現在は落語協会・最高顧問の鈴々舎馬風(れいれいしゃ・ばふう)はこう話す。「やっぱり『笑点』は桂歌丸が司会を務めないとまだまだダメだと思うね。だって“歌さん”ほど機転が利いて、言葉に力を持った人間は現メンバーの中にもいないんだもの。 候補に挙がっている面々も“自分のほうがうまく司会をやれる”なんて思っている奴はいないはず。国民的番組なんだから、本当は後継者選びはちゃんとしなくちゃいけないんだけどねぇ……」 動き始めた“歌丸の座布団”を巡る争奪戦。歌丸から「ハイ、オレの座布団あげて!」の声が掛かるのは誰か。※週刊ポスト2015年8月21・28日号
2015.08.10 07:00
週刊ポスト

立川談志の弟子が手紙を書くような形で師匠の思い出を綴る本
【書籍紹介】『いつも心に立川談志』写真・橘蓮二 文・立川談四楼/講談社/1800円+税 舞台の上で見せる喜怒哀楽の表情から、楽屋での何気ない仕草、プライベートな場でのひとコマ──。2011年に他界した稀代の噺家を写し出した多くのモノクロ写真に合わせ、〈五十代から六十代にかけての師匠は凄かったですね(中略)誰がやっても大して面白くない噺が、目を瞠るような落語に変貌したのです〉などと、40年来の弟子が、師匠への手紙を書くような形で過去の思い出などを語った一冊。談志の笑顔と素顔に触れられる。※週刊ポスト2015年8月7日号
2015.07.30 07:00
週刊ポスト

さだまさしを森山良子は「マッチョ」談春は「付き合ってる」
デビュー41年のさだまさし(63才)。歌手として数々の名曲を発表するヒットメーカーでありながら、今は小説家やテレビ番組のMCなどでも大活躍だ。『天皇の料理番』(TBS系)の主題歌も話題。NHK『今夜も生でさだまさし』(通称「生さだ」)も好評だ。 そんなさだの魅力について、古くからの友人である歌手の森山良子さん(67才)に聞いた。 「さださんとはグレープ時代からなので、もう40年来のつきあい。最初は繊細そのものだと思ってました。新幹線で名古屋から東京まで偶然一緒になった時、借金問題やなんかを、彼は面白おかしくしゃべり続けたんです。私はもうおかしくてゲラゲラ笑っていただけ。すごく面白い人だと再認識しました。 ある時、楽屋を訪ねたら、たまたま着替えているところを見ちゃって。顔がスーッとしているからそうは見えないけど、意外とマッチョなの(笑い)。彼から感じられる繊細さとはまた別の豪快さや野太さっていうか、精神的な強さは、体つきを見て合点がいきました」 なお、森山さんは7月15日、渋谷オーチャードホールにて、チャリティーコンサート『生きる』に出演する。 落語家・立川談春さん(48才)は、さださんの愛すべきキャラクターがその魅力だと語る。「初対面からやたら優しく、愛想がよかったまさしさん。後に、立川談志と落語、落語家が大好きだったためと知りました。突然誘われて食事に行くことが多く、“おれは彼女か!”と言うと、“つきあってるんでしょ”と満面の笑み。 なのでおれたちつきあっています(笑い)。落語家たちと飲んでも誰にもしゃべらせずひとりで話すまさしさん。深夜1時を過ぎると話のネタが突然変化します。本人曰く“おれは、1時過ぎると人格が変わるんだ”そう。きっと『生さだ』はときどき、無理してるはずです(笑い)」※女性セブン2015年7月16日号
2015.07.02 07:00
女性セブン

毒蝮三太夫がラッパーに「談志なら似合ってると言うだろう」
毒蝮三太夫という名前を聞くと、パーソナリティをつとめるラジオ番組で、訪問先に集まった人たちと当意即妙なトークを繰り広げているイメージが強い。歌手のイメージはほとんどないと思われるが、先ごろ「おもしろおじさん feat. CHOP STICK , 丸省 and 毒蝮三太夫」という曲に参加し、78歳でラッパーデビューを飾った。18年ぶりの音楽活動について、毒蝮さんを直撃した。 * * *――ラッパーデビューおめでとうございます。毒蝮三太夫(以下、毒蝮):そんなもの、めでたかぁないよ!(笑)。イヤイヤやってるんだから(笑)。受けてヒットしたから紅白歌合戦なんてふざけて言う人もいるけど、やる気ないよ。だって俺、あんなことやらなくても食えるし(笑)、楽しい。ただ、俺を面白がってくれる人たちがいるというのは嬉しいよね。しかも俺も楽しんでいる。毎日、面白く生きている俺が、若い人からみた老人の生き方の典型になればいいと思う。――久しぶりのレコーディングはいかがでしたか?毒蝮:何分間かでレコーディング終わっちゃったよ。だって、普段喋っているとおりでいいんだから。つくった感じはまったくないよ。普段の放送の通りに『ババァくたばってんじゃねぇぞ! ジジィ寝てんじゃねぇぞ!』て喋っているのを録音したんだから。――PVではギャングスター風のファッションに身を包み、ダンスも披露しました。毒蝮:わからないうちに服を着せられて、振り付けなんかないから勝手に動いただけだよ。でも、あのリズムは踊りだしたくなるね。このあいだ車を運転して高速道路を走っていたとき、あの曲をかけていたら『踊りたくなるわね』てウチのかみさんも言っていたよ。クラブっていうところには50代の夫婦も来るんだってな。ラッパーもアフロヘアだったり坊主もいたり変な格好をしているけれど、みんな根は真面目で偽悪者ぶってるよ(笑)。悪者の偽物だだけど、発散するところがないから踊るんだろうな。――もともと音楽には自信があったのでしょうか?毒蝮:自信なんてないよ(笑)。歌は好きだけどね。声変わり前はボーイソプラノで、学校の唱歌が好きで成績は「優」だった。でも、この声になってからは全然。レコードも今まで3枚か4枚出しているけれど、売れてない(笑)。酔った勢いで、カラオケで河島英五の『時代おくれ』や吉幾三の『酒よ』を歌うことはあるけどね。――では今回、高野政所ことDJ JET BARONさんからオファーがあったのは意外だったのでしょうか?毒蝮:いや、俺にとっちゃあ驚いたことでも不思議なことでもないね。俺の喋りをラップだと思ってくるのは当然だなとも思う。言葉もリズムなんですよ。リズムが悪いと聞いていても疲れる。俺の長いしゃべりでも疲れないというのは、リズムがいいんだろうね。――喋りのリズムの良さは、ラジオなどでつちかわれた話芸によるものでしょうか。毒蝮:話芸なんてわかってやってるわけじゃないから、言われるのは恥ずかしいよ。ただ、上あごと下あごとぶつかり放題に喋っているだけなんだから(笑)。俺はそういうのが得意だったからね。――得意な喋ることを仕事にしようと、最初から考えていらしたんですか?毒蝮:役者をやっていたけれども、『笑点』で2代目座布団運びをしていたとき立川談志から「お前は台詞覚えが悪いし、間違えるし、歌えば声がひっくり返る。だけど喋っていれば、みんなが聞き入って笑う。楽屋で師匠連も喜んでいるんだからスタンダップコメディアンになれよ」とすすめられたんだよ。それで一番、いい商売にぶつかった。――もって生まれた喋りのリズムの良さを見抜かれていたんですね。毒蝮:俺のしゃべりはリズムだと談志は思っていたんだね。談志の落語もラップみたいなものでリズムがいい。もし俺が今回、参加した曲を談志が聴いても驚かないだろうね。「おい、一番、似合っていることをやってんじゃねえか」って言ったかもしれないね。――喋りのどんな部分がウケたんだと思いますか?毒蝮:俺の喋りは「白いごはん」だって言ってるんだよ。白いごはんには流行も何もないよな。そしてラップはふりかけ、トッピングだよ。俺という白いごはんを焼いたり、煮たり、餅みたいに潰したりされているだけ。でも、ラップといったって実はそんなに新しいもんじゃないね。――もともとラップと変わらないものがあったのでしょうか。毒蝮:宮中では万葉集の時代から歌会があって、今でも新春に歌会始をやるよね。そこでは和歌を『からころも~』とか節をつけて歌う。文字だと見えている人にしか届かないけど、歌うと文字が読めない人にも届く。何百年も何千年も前から、人間は歌ったり、節をつけて言葉を喋るということを古代から続けてきたと思う。だから、新しいことはないよ。 しかし、ラップというのは音楽家といえるのかね(笑)。楽器やらないだろう。できている音楽を、ごちゃごちゃこねくりまわしているだけで、変な職業だなと思うよね(笑)。●毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)本名・石井伊吉。1936年生まれ。東京出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。1938年に12歳で舞台デビューし、映画やドラマに出演。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』では地球を守る隊員として子どもたちの人気者に。1968年に現在の芸名に改名。2014年12月発売の『ENAK DEALER』(DJ JET BARON)収録曲「おもしろおじさん feat. CHOP STICK, 丸省 and 毒蝮三太夫」で18年ぶりに音楽活動に参加。1969年10月から続くTBSラジオ『ミュージックプレゼント』のパーソナリティは46年目を迎えた。
2015.01.01 16:00
NEWSポストセブン

取材を受けないことで知られる柳家小三治 その肉声を紹介
取材を受けないことで有名な柳家小三治・落語協会会長(74)が、2時間にも及ぶ異例のインタビューを受けた。「落語家ではなく噺家」を自称してきた小三治が、ここまで自らの芸論を披瀝したことはまずない。小三治の高座を見続けてきた落語愛好家の広瀬和生氏が、その貴重な言葉を記録した。その一部を紹介しよう。(文中敬称略) * * * 落語とは、演者が同時代の観客に向けてリアルタイムで語りかける芸能だ。「古典落語」という言い方が誤解を招きがちだが、決して同じ内容の噺が時代を超えて継承されるわけではない。同じ演目でも噺家の個性によって大きく変わる。落語の歴史とは、それぞれの時代を代表する名人の歴史と言い換えてもいい。 落語協会会長の柳家小三治。彼は古今亭志ん朝、立川談志亡き後の現代落語界の頂点に君臨する「孤高の名人」である。彼が古典落語を通じて高座で表現するのはリアルな「人間社会」そのもの。そこに展開されるちょっとしたドラマに、観客は「いるよね、こんな奴」「あるある、こういうこと」と共感しながら、思わずクスッと笑ってしまう。それが小三治落語だ。 談志と小三治は、共に「人間国宝」五代目柳家小さん(故人)の弟子。小三治という名は小さんの前名で、談志は真打昇進する際にその名を欲しがったものの許されなかった、とも言われている。その名を継いだのだから、師匠がどれだけ小三治を高く評価していたのかは明らかだ。 今の落語界についてどう思うか訊かれると、小三治は考え込んだ。 「どう考えればいいんだろうね……随分人数は増えたけど……ただ、若い人に言いたいのは、売れることが成功だとは思わないでもらいたい、ということ。成功したかどうかっていうのは、自分がやってて、喜んでいるかどうかってことですよ。死ぬ瞬間に、ああ、よかった、って思える人が一番勝者じゃないかな。最後はそこへ行くと思います。……俺って陰気?(笑) 今の落語界で動いてる人達と私とは、ちょっと違いますね。考え方が違う。だから俺は落語家に向いてない、ってよく言いますけど。向いてないんじゃない? 何なんだ、俺は(笑)。そういうことを談志さんと話してみたかった。でもあの人、ちゃんと話をしようとすると逃げる人だから。 本当に話をしたかったのは、談志さんだけかなぁ。兄弟弟子ってこともあるしねぇ。ただ、話そうとすると逃げちゃうような感じがして……何か、あまりそばに来なかったね。俺も行かなかったんだけど」 談志の名が出て色めき立つ取材陣。亡くなった「立川流家元」談志は小三治の兄弟子だが、落語協会を飛び出てからは疎遠となっていた。記者から「二人とも立場が大きくなり過ぎて話す機会がなくなったのか」と訊かれると、小三治は「それは違う」と答えた。 「私自身大きくなったと思ってないし、向こうが大きくなったとも感じてません。ただ、私、談志さんのファンでしたから、入った時に。すげぇな、この人、と思ったね。『源平盛衰記』やなんかやって、面白かった時ですね。なんか、どんどん立派になって、持ち上げられて、あの人も困っちゃったんじゃないの? ……そういう話もちょっとしてみたかったしね。それに、なんか、偉そうにいろんなこと言ってたからさ、『それ、違うんじゃないの?』って(笑)。俺にそう言われそうで嫌だったのかな。でも、あの人は、言いたいこと言って、俺はデカいっていうのを作って、それが成功したんだから、いいんじゃないですか」※週刊ポスト2014年2月21日号
2014.02.13 07:00
週刊ポスト

談志の下で26年過ごした志らくが師匠の人となりを明かした本
【書籍紹介】『談志のことば』立川志らく/徳間文庫/620円 亡くなった師匠・談志のもとで過ごしたのは26年。その間、師匠が発した数々の言葉をもとに当時の思い出を語りながら、立川談志のいいたかった本音とその人となりを明かす。芸人としての「プライド料をよこせ」、最後の言葉「電気、消せ」の真意とは。※週刊ポスト2014年1月17日号
2014.01.13 16:00
週刊ポスト

山藤章二氏が「ヘタウマ」を論じた本を嵐山光三郎氏が評す
【書評】『ヘタウマ文化論』山藤章二著/岩波新書/756円【評者】嵐山光三郎(作家) ヘタウマ文化は1970年代に大流行したイラストで、河村要助、湯村輝彦、安西水丸、渡辺和博といった人たちだった。ヘタだけれど新しい。わざとヘタにしているわけではなく、ヘタを武器としていた。じつはウマいのだ。 若き日の山藤氏は「ウマくなりたい」と願って精進をしてきた。そのころ雑誌さしえの常連は、岩田専太郎、風間完、田代光、宮本三郎といった大家ばかりで、あまりにウマすぎて、到底、たちうちできない。で、当時気鋭の野坂昭如氏のエッセイのイラストを描いて独自のスタイルを確立し、絶大なる評価を得た。「さしえ」と「漫画」の垣根をはずしたのが山藤氏の手柄である。 そんなとき、ヘタウマ一味が参入してきたのだった。山藤氏はカルチャーショックを受け、以後四十年余にわたって、ヘタウマ文化とはなにか、と問いつづけてきた。ダダイズムやシュールレアリズムの芸術運動とは違うし、マルセル・デュシャンの革新的リロンでもないし、その格闘の記録を書きつづって執念の一冊となった。 イラスト以外の分野では、落語がある。山藤氏が親しくしていた立川談志は人並外れてウマかったが、「フラ」がなかった。フラは先代の林家三平のように、高座に出てきただけで客をなごませる味である。「どーもすみません。もう大変なんすから」だけでどっと笑わせる。「フラ」は「ヘタウマ文化」とつながりがあり、さらにタモリの「モノマネ維新」は、古川ロッパの「声帯模写」を、カルく超えてしまった。ウマくなるより、ヘタな方が面白くて人に伝わる。そのへんの極意をあれこれとさぐっていく。 イラストも落語もがんばりつづければある程度はウマくなるが、ウマくなっても売れるわけではない。「古典愛好派に属する老人」と独白する山藤氏は大家となり、最近のイラストは、意図的に「ヘタ」に描こうとしているように見えるが、ザンネーン、それがかえって味が出てて、ますますウマいんだな。※週刊ポスト2013年4月26日号
2013.04.17 16:00
週刊ポスト

山藤章二が糸井重里、ピカソなどを例にヘタウマを語った本
【書籍紹介】『ヘタウマ文化論』山藤章二/岩波新書/756円 本来、日本人は絵は「ウマい」ほど良いと思っている。が、絵に限らず「ヘタ」でもオモシロく良いものはたくさんある。糸井重里の発想からピカソの才能、立川談志の苦悩等々を取り上げ、最近自身が「ヘタ」になったという著者が気ままに記すエッセイ。※週刊ポスト2013年3月22日号
2013.03.14 16:00
週刊ポスト

萌え落語で話題の声優「古典落語を“アキバ”にスライドさせた」
『銀河へキックオフ!!』『イナズマイレブンGO』シリーズなど数多くのアニメで活躍中の声優・小林ゆう。声優界では、その実力と独特の存在感、美貌で人気を誇る。8月には“女子萌え落語”に挑戦したCD『モエオチ!』を発売。古典落語をアキバカルチャーとして“カバー”し、話題を集めている。声優、モデル、“落語家”と変幻自在な彼女の素顔をのぞくべくインタビュー!――落語のCDを出すことになったきっかけは?小林:声優のお仕事を始める前にお芝居の勉強として落語を聴き始めたのがきっかけでありました。立川談志師匠というすごい落語家様を知って、大変恐縮ですけれども、自分もいつか落語というものをさせていただけたらという密かな希望を持っておりましたところ、今回CDを出させていただく運びになりました。念願でございました。――アキバカルチャーとコラボした“女子萌え落語”とは?小林:謎のネーミングですけれども、古典落語を現代のアキバカルチャーにスライドさせる形を取らせていただいておりまして、秋葉原で出てきた萌え文化の世界観の落語ということで、“女子萌え落語”というふうにさせていただいております。――ストーリーも有名な演目にからんだ内容?小林:例えば古典の『寿限無(じゅげむ)』をカバーした『微レ存』(“微粒子レベルで存在する”という意味のネットスラング)では、コミケ会場を舞台にさせていただいています。初めて描いた漫画を同人誌として売りたいと主人公の女性が、漫画やコミケに大変詳しい女性の先輩にタイトルの相談をするところからストーリーが始まります。最終的に本のタイトルは、アキバカルチャーにゆかりのあるたくさんの言葉を全部つなげた物すごく長いものになります。そして、そのタイトルを全部長セリフで私が言わせていただくのがいちばんの醍醐味というか、聴きどころになっております。――普段からアキバの言葉を使っていたわけではない?小林:お仕事以外では、残念ながら使うご縁に恵まれず、“微レ存”という言葉も初めて知りまして。私はパソコンも持っていないもので、ネットスラングというお言葉も“はじめまして”なものばかりでした。――なかなか理解しづらい言葉が多いですね。小林:勉強になりました。クライマックスの長台詞を早口で連続して言わせていただくシーンでは、たくさんの少年やイケメンさん、おばあちゃんやおじいさんなど登場人物たちが入れ替わり立ち代わり出てまいります。そのひとり一人の演じ分けと早口言葉は、本当に学ぶことばかりでした。――小林さんは言葉遣いがすごく礼儀正しいですね。小林:とんでもないです! 全然、もう…。自分では意識してなかったんですけど、そういうふうに言っていただくと、大変恐縮です。――“萌え落語”は、声優のお仕事とは全く違いますか?小林:初めて感じたことがたくさんございました。声優のお仕事ですと、作品の中で基本的にはひとりの役者がひとりのキャラクターを演じさせていただきますが、落語にいたりましては、導入の枕や、ところどころで入る語りの部分、さらに私が全登場人物をひとりで演じさせていただきます。多いときですと10人ぐらい。そうしますと演じているうちに頭で考えるよりも、反射的にキャラクターが動き出す瞬間がありまして、そうしているうちに全体を俯瞰で見させていただいて、恐縮な例え方ですがまるで監督さんのような気持ちで無意識のうちに全体に指示を出させていただくようになってきまして。今までにない感情を経験させていただきました。――声優の仕事では子供から宇宙人の役まで役柄が本当に幅広いですが、こなす秘訣は?小林:いえ、とんでもないです。いろいろな役柄を演じさせていただけて本当に感謝しています。少年、男性や女性、女性として振る舞う男性ですとか、帰国子女で多重人格の方など、ほんとにさまざまな役をいただいて大変幸せに思います。オーディションを受けさせていただけることは本当に有難いことで、その上に役を授かるという幸運に恵まれた時は本当に言葉にならない喜びがございます。そこから一心不乱にその役柄について考えます。デビュー作品の『DANDOH!!』では主人公のゴルフ少年役を演じさせていただくにあたり、私もゴルフクラブを買って打ちっぱなしの練習場やコースにも出てみました。一見ムダに思えることも全部やってみたいと思ってしまうようで、これ以上できることはないということをいろいろして、役柄に臨ませていただくという形をとらせていただいております。――演技力も高く評価されていますが、小林さんにとって声優という仕事とは?小林:いえいえ、とんでもないです。大変難しく、奥が深く、デビューしてから今でも本当に格闘中で、毎日お仕事をさせていただきながら反省して発見して、もっと成長したいともがいている毎日です。すごく楽しくて感動もいっぱいありますし、私の心を捉えて離さない、ほんとに素晴らしい職業だと思っています。声優というお仕事への情熱は、最初もすごく持っていましたけど、していけばいくほど増していきます。こういう世界だといつお仕事がどうなるかわからないと思いますので、とにかく全力投球で頑張ろうというふうに毎日思っております。【小林ゆう(こばやし・ゆう)】2月5日生まれ。O型。東京都出身。高校時代に始めたモデルから声優へ転身。2008年に第2回声優アワードで新人女優賞受賞し、2009年の『まりあ✝ほりっく』のネ氏堂鞠也役でブレイク。168cmのスレンダーな容姿と、ハスキーボイスで元気な少年役から可憐な少女、宇宙人、エキセントリックな役まで幅広く演じる実力派。歌手活動や、ファッション誌『KERA』でモデル業も兼任する異色の経歴の持ち主でもある。
2012.11.27 07:00
NEWSポストセブン

80歳エベレスト登頂目指す三浦雄一郎氏 娘は挑戦に反対した
この十月で八十歳になった三浦雄一郎さんが、来年五月、三度目のエベレスト登頂を目指す。 二度の手術をへてよくなったとはいえ、三浦さんには持病の不整脈がある。二〇〇九年には札幌のスキー場で仮設コースから道路に転落、左大腿骨付根と骨盤四か所を骨折。「運がよければ歩けるようになる」と医者から言われるひどいけがだった。 マネージャーでもある長女恵美里さんは当初、父の健康を考え、八十歳での登頂計画に反対だったという。「家族会議を開いて、決定に従ってもらうなんて言い出して。本当に会議を開いて『ダメ』って言われたら、書き置きを残して家出しようと思ったんだけど」(三浦さん) 周りは、いずれあきらめるのではと思っていたが、三浦さんの強い気持ちは変わらなかった。「骨折したと聞いて病院にかけつけたとき、父は下半身がまったく動かない状態でした。それでも氷点下四〇度のエベレストに行くことを考えてチタンを埋め込む手術はしたくないと言う。どうしても登るという気持ちを捨てずに懸命にリハビリに取り組む姿を見て、この人から生きる力であるエベレストを取り上げられないなと思いました」(恵美里さん) 日ごろのトレーニングとリハビリのかいあって、予定より二か月以上も早く退院できた。骨も自然につき、けがをする前より体の柔軟性と筋力はアップしたというから驚く。 三浦さんの冒険を家族がサポートする。準備登山を含めて約二億円かかる費用の大半は、恵美里さんが三浦さんとともに企業を回って寄付を集めた。長男雄大さんはベースキャンプで通信システムを担当、次男豪太さんは山頂まで父に同行する予定だ。 だれもやっていないことをやりたい、そう思い続けてきた。「あいつバカじゃないか、そんなことやって何になるんだってずっと言われてきました。スキー界、山岳界の奇人変人なんですね、ぼくは」 皮肉なことに、一度切りひらいた道は後追いが容易になる。七十五歳でのエベレスト登頂記録は、七十六歳のネパール人男性が登頂を申請したことで破られた。 もし彼が現れなかったら、八十歳での挑戦はなかったのだろうか。「それは関係ないです。もし八十歳で登ったら、八十一歳の人が出てくるかもしれないですし」 あくまで自分への挑戦ということか。いま、酒よりゴルフより山が一番楽しい──そう言い切る。 三浦さんの東京の事務所には低酸素室があって、走ったり、簡単な岩登りをしたりできる。部屋の中に競技用のマットがあった。用途を聞いたら、出発が近づくと高地に体を慣らしておくため、この部屋で眠るそうだ。──低酸素室で布団もなしに眠ってつらくないですか。「寝たと思ったら一時間ぐらいで苦しくて目が覚めます。でも、年をとると夜中に三回か四回おしっこに起きますからそれと同じだと思えばいい。アスリートがトレーニングして苦しくないってことはないですからね」。飄々と答えが返ってきた。 前回同様、登攀チームのリーダーをつとめる登山家でカメラマンの村口徳行さんは今回、三浦さんに同行するかどうかかなり迷ったという。「八十歳ですから。それはエベレストなんて登らないほうがいいですよ」 今冬の地震と温暖化の影響でか、雪が落ちて岩肌がむき出しになっている難所が多い。そう聞かされても三浦さんはあきらめず、黙々と岩登りのトレーニングに励む。「年齢の限界をどこまで超えられるか試してみたいっていう好奇心が大きいです。自分の可能性をもうひとつ越えていきたい」 登山中は三浦さんの心電図をパソコンでモニターし、国際山岳医の資格をもつ心臓外科医も同行するが、最終的な進退は三浦さん自身が判断する。「限界までやって、もしその限界が頂上だったら、こんなにうれしいことはないです」 冒険に命をかけるが、最後の最後で命綱を手放さないふしぎな強さがある人だ。エベレストのスキー滑降で転倒し氷壁を滑落したときも、南極で雪崩にまきこまれたときも、紙一重のところで救われてきた。「自分の力じゃない。あの世へ行きかけたのを、神様か仏様かが、あんたもう一回人間やりなさいって拾ってくれた、そんな感じです」 十月十七日、準備登山のためヒマラヤに旅立った。山を歩きながら落語をよく聞くそうで、好きなのは立川談志だという。取材・文■佐久間文子撮影■二石友希※週刊ポスト2012年11月9日号
2012.11.04 07:00
週刊ポスト

昨年死去の立川談志本人がその生涯を綴った最後の書き下ろし
【書籍紹介】『立川談志自伝 狂気ありて』 (立川談志/亜紀書房/2205円) 昨年亡くなった著者が、2009年からおよそ1年をかけて、幼少時や戦中の記憶、16歳での入門後から国会議員時代を含めた様々な活動のほか、世界各地での出来事などその生涯を、独特の文章で記した最後の書き下ろし。〈いつ死んでもいい。けど死にたくもない。“パパ死なないでネ”と娘の弓子、“いつ死んでも大丈夫よ”と女房〉と晩年の闘病時の揺れる気持ちも記される。貴重な写真のほか、巻末には31ページにも及ぶ詳細な年表も。 ※週刊ポスト2012年9月7日号
2012.08.31 16:00
週刊ポスト

落語の常識を覆す反逆児・橘家圓蔵は現代的爆笑古典落語の祖
広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が、“掟破り”と評する噺家が、橘家圓蔵だ。 * * * 立川談志は晩年の著作で「落語は江戸の風が吹く中で演じられるべきものである」と説いた。談志は「江戸の風を感じる演者」として五街道雲助を挙げたが、実は、他にも意外な落語家の名が挙がっていた。橘家圓蔵だ。圓蔵は「江戸の粋」を感じさせるタイプではない。むしろ正反対の爆笑派だ。その圓蔵に「江戸の風が吹いている」と談志が指摘したことは、極めて大きな意味を持つ。 圓蔵は1934年生まれ。1952年に四代目月の家圓鏡(後の七代目橘家圓蔵)に入門し、1965年に五代目月の家圓鏡を襲名。売れっ子タレントとしてテレビ・ラジオで大活躍し、1982年に八代目橘家圓蔵を襲名した。 圓蔵は古典のルールを壊すことで笑わせる手法の先駆者だ。「足元を見たな」「なーに、手元を見ました」「この野郎、サゲ言って終わらせようったってそうはいかねぇぞ! まだまだ落語は続く!」とか「この落語は面白いですよ、サゲが『あそこは私の寝床なんです』ってんですから」などと落語の形式そのものをギャグにしてしまい、古典の登場人物が「そんな古いギャグでウケようとするから小朝に人気で抜かれるんだ!」と演者にツッコミを入れ、「オマエだな、底辺かける高さ割る2イコール神社仏閣って書いたのは!」なんて時代背景を無視したセリフがガンガン飛び出す。 今でこそ当たり前なこういう「掟破り」は全部、圓蔵が始めたことだ。『猫と金魚』と『不精床』をリクエストされて二つの噺を同時進行で交互に演じたこともあるが、そんな真似は彼以外でお目にかかったことが無い。 圓蔵は「落語常識を覆す反逆児」だった。彼が圓鏡時代に確立した斬新なスタイルは、「格調高い古典」を求める人たちからは「邪道」と見られたが、「現代人を爆笑させる新しい古典のあり方」を提示したという点で実に画期的だった。※週刊ポスト2012年2月17日号
2012.02.12 07:00
週刊ポスト

ミッキー・カーチスは「五十嵐信次郎」ほか名前が計8つある
【書評】『おれと戦争と音楽と』(ミッキー・カーチス 著/亜紀書房/1890円)【評者】嵐山光三郎(作家)* * * せんだって、ミッキー・カーチスに五十嵐信次郎という名刺を渡され「これはオレが中学三年のころ作った名前だよ。全部漢字にした」という。ミッキーといえばロカビリーである。一九五八年の日劇ウエスタン・カーニバルに山下敬二郎、平尾昌晃とともにロカビリー三人男として登場し、爆発的人気を得た。その後映画に出演し、バンドを結成してヨーロッパへ渡り、六十歳で還暦記念「KANREKIロック」を歌った。天晴れな不良ジジイである。立川談志の弟子で、亭号はミッキー亭カーチス。落語がべらぼうにうまく、英語をしゃべる変な外人が出てくる。ハーモニカの達人である。ミッキーの高座は爆笑爆笑大爆笑となり、ハーモニカが胸にしみる。ミッキーの両親とも日本人とイギリス人のハーフで、本名はマイケル・ブライアン・カーチス。日本国籍名は加千須ブライアン。作詞家名は川路美樹。全部で八つの名前がある。東京の赤坂に日本人として生まれたが、戦争が始まり「顔が非国民だ」といわれ、四歳のとき日本軍が占領した上海へ渡り、上海でも「敵性国人」と呼ばれて、石を投げられていじめられた。日本の敗戦後はアメリカの貨物船に乗せられて引き揚げ、東京のオンボロ八畳間にころがりこみ、ニセの証明書を使ったので、食料の配給がなかった。菊や雑草を茹でて食べ、「さまよう無国籍一家」として漂流した。ロカビリーのスターとして登場する前に、疾風怒濤の少年時代があったのだ。戦争と音楽がミッキー・カーチスという人格を作った。これは、ミッキー個人の自伝でありつつ、日本戦争史として貴重な価値がある一冊となった。ミッキーは語り口がうまい。悲惨苛酷な体験も、ミッキーが書くと、楽しい少年時代に思えてしまう。それは落語家として、談志に認められたほどの話芸によるものだ。面白くて、読んでいて笑ってしまう。ミッキーは、七十三歳で、さらに進化しつづける。※週刊ポスト2012年2月10日号
2012.02.03 07:00
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談志の弟子で人気ダントツの志の輔 序列的には9番目の弟子
2011年11月21日、立川談志が亡くなった。師匠五代目柳家小さんが「最も才能がある弟子」と認め、弟弟子の柳家小三治が「百年に一人の素質の持ち主」と表現した談志は、おとなしく落語だけやって「名人列伝」の一人に加わるのではなく、愛する落語が能のような存在になるのを阻止するために全力で闘い続け、落語史上唯一無二の存在になった。誰も「これで落語の灯が消えた」とはいわない。灯が消えないような落語界にしたのは談志なのだ。立川流家元が亡くなっても、弟子たちが「談志一門」であることに変わりはない。どのような組織形態になるにせよ、一門としてのまとまりは存続するだろう。談志一門は「寄席経験組」と「立川流生え抜き」に分かれる。後者の代表が志の輔、談春、志らく、談笑ら。落語に興味が無い人たちは志の輔を一番弟子と勘違いしていたりするが、人気はダントツの志の輔も一門の序列では上から九番目だ。序列のトップは相撲噺のスペシャリスト桂文字助だが、彼は二ツ目時代に師匠六代目三升家小勝が亡くなって談志門下に移った噺家で、一番弟子は土橋亭里う馬。以下、立川左談次、立川談四楼、立川ぜん馬、立川龍志、立川談之助、立川談幸ときて、次が志の輔である。※週刊ポスト2012年2月10日号
2012.02.01 07:01
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