香淳皇后一覧

【香淳皇后】に関するニュースを集めたページです。

「沖縄には、今なお様々な課題が残されています」と、陛下は沖縄の今後についても言及された(宮内庁提供)
沖縄本土復帰50周年 昭和、平成、令和と皇室で受け継がれる沖縄への祈り
 沖縄県が本土に復帰してから、5月15日で50年。その節目に合わせて行われた「沖縄復帰50周年記念式典」に天皇皇后両陛下がオンラインで出席された。「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』の思いを深められたと伺っています」 天皇陛下は式典で“命こそ宝”という意味の方言を用いながら、沖縄の人々へお言葉を寄せられた。「忘れてはならない4つの日」の1つに、沖縄慰霊の日(6月23日)を掲げるほどに、皇室にとって沖縄は思い入れの深い場所でもある。次ページからは、昭和・平成・令和と受け継がれてきた、沖縄への「祈りの歩み」を振り返る。【昭和天皇・香淳皇后】 いまから50年前の1972年5月15日、東京・日本武道館で行われた「沖縄復帰記念式典」に出席された昭和天皇と香淳皇后。沖縄訪問を悲願としていた昭和天皇だったが、体調を崩されその願いは叶わず。「祈りの旅」は上皇陛下へと受け継がれることとなる。【上皇ご夫妻】 本土返還から3年後に上皇ご夫妻が初めて沖縄を訪問された。戦争での遺族も多く複雑な感情の残る時代だったが、ご夫妻は“たとえ石を投げられたっていい”と沖縄入りを決めたという。「ひめゆりの塔」で献花された際、過激派の青年がご夫妻に向かって火炎瓶を投げつける事件があったが、退避され事なきを得、以後も現地の施設訪問を続けられた。 前年に「ひめゆりの塔事件」がありながらも、ご夫妻は翌年も続けて沖縄入りを果たされた。写真は沖縄海洋博覧会の閉会式の折に、伊江島芳魂之塔で黙祷を捧げられた際のもの。 沖縄・糸満市にある「沖縄平和祈念堂」を訪問され、歓迎の人たちにお言葉をかけられるご夫妻。10年にわたって訪問を続けられ、現地の人の受け入れ方にも変化が見て取れる。「沖縄平和祈念堂」を訪問された際、体調を崩され訪問が叶わなかった昭和天皇のお言葉を、皇太子(当時)として代読された。 平成の御代がわりを経て、天皇皇后として初めて沖縄を訪問されたご夫妻。名護厚生園(名護市)で入園者に声を掛けられたときの写真や首里城(那覇市)を訪れ、正殿内の「御差床(うさすか)」と呼ばれる御座所をご覧になったときの写真がある。 80才近くになられても沖縄訪問を続けられたご夫妻。糸満市にある「国立沖縄戦没者墓苑」を訪れ、犠牲者に白菊の花をささげられた。遺族らには「お体を大切に」などのお声をかけられたという。 平成の天皇皇后として最後となった沖縄訪問は退位の約1年前の2018年3月のこと。退位の直前まで訪問を続けられ、ご夫妻の沖縄訪問は計11回にも及んだ。【天皇ご一家】 天皇陛下が初めて沖縄を訪問されたのは、1987年のこと。今年5月15日の記念式典では「復帰から15年を経た昭和62年、国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても、沖縄は発展を遂げ、県民生活も向上したと伺います」と述べられた。 沖縄が本土復帰25周年を迎えたタイミングで皇太子ご夫妻としてご訪問。おふたりがそろって沖縄を訪問されるのは初めてのことだった。写真は「平和祈念公園」内の「平和の礎(いしじ)」を前に慰霊された際のもの。 皇太子となられてからも慰霊を続けられた陛下。写真は国立沖縄戦没者墓苑で供花を終えられた際のもの。「豆記者」として派遣された沖縄と北海道の小中学生を東宮御所にお招きになり、歓談されたご一家。当時の愛子さまは中学3年生。同世代の記者たちと話し、笑顔を見せられた。【秋篠宮ご一家】 秋篠宮家ご長男悠仁さまは小学1年生のときに、試験休みを利用して沖縄初訪問。沖縄戦で亡くなった24万人超の名前が出身地別に刻まれた「平和の礎」を前に、悠仁さまは「東京都はどこ?」と尋ね、秋篠宮ご夫妻と一緒に探すなど熱心にご覧になっていた。 ご一家で沖縄の地上戦で犠牲になった人々を追悼する「地上戦と子どもたち追悼の集い」(東京・新宿)にご出席。佳子さまは会の終了後、関係者一人ひとりに「ありがとうございました」と話し掛けられていたという。「全国育樹祭」に合わせてご夫妻で沖縄ご訪問。令和の御代がわりを経て、皇嗣同妃両殿下となられてから初めてのことで、現地の豆記者とのご接見や国立沖縄戦没者墓苑へのご訪問も果たされた。撮影/雑誌協会代表取材 写真/宮内庁提供、時事通信社、共同通信社※女性セブン2022年6月2日号
2022.05.20 11:00
女性セブン
(時事通信フォト)
雅子さま、美智子さま、佳子さま…ティアラで辿る女性皇族の煌めく笑顔
 今年、ついに成人される天皇皇后両陛下のご長女・愛子さま。成年行事では格式高いドレスであるローブ・デコルテをお召しになり、ティアラも披露されることが決定した。そのご決断は、国民を思うがゆえだった。12月1日に誕生日を迎えられ、いよいよ成人となられる愛子さま。成年行事は12月5日に行われる予定だ。当日は午前中に宮中三殿を参拝後、天皇陛下から勲章を受け取り、午後にはローブ・デコルテにティアラを着用された正装で両陛下に挨拶される。 ティアラは新調せず清子さんのものを借り、愛子さまに合わせたサイズ調整が行われた。その裏には「コロナが収束し、国民の生活や経済が落ち着くまでは…」というご配慮があったそうだ。成年後も、より一層国民に寄り添うご活躍をされるに違いない。 ご成年、ご即位といった大切なとき、女性皇族方の笑顔に華を添えてきたティアラを振り返る。■皇后雅子さま(57才) 2019年11月、御代がわりの儀式「祝賀御列の儀」で、ティアラ姿を披露された雅子さま。皇后に受け継がれるティアラの中で最も由緒ある「皇后の第一ティアラ」と呼ばれるもので、雅子さまも即位に合わせて美智子さまから受け継がれた。■上皇后美智子さま(87才) 1990年11月、平成の即位パレードでの美智子さまのティアラ姿。ティアラの起源は130年以上前までさかのぼるとされ、美智子さまも香淳皇后から受け継がれた。美智子さまは秩父宮妃勢津子さまから預かった「第三ティアラ」もお持ちだが、雅子さまに受け継がれたかは不明だ。■秋篠宮妃紀子さま(55才) 皇太子妃と同等の待遇である皇嗣妃となられたことで、紀子さまは「皇太子妃のティアラ」を受け継がれたとされる。唐草デザインが特徴で、美智子さまや雅子さまはご結婚の際に身につけられた。■黒田清子さん(52才) 上皇上皇后両陛下のご長女・黒田清子さんも、ティアラをつけていた。上皇ご夫妻の私費で作られたため、結婚後も清子さんが所有している。愛子さまはこのティアラを借りる予定だ。■小室眞子さん(30才) 眞子さんが成人した際に作られたティアラは約2856万円。公費で作られたティアラは皇室を離れる際には国に返すことになっているため、小室圭さんとの結婚に合わせてすでに返却、宮内庁で保管されているという。■秋篠宮佳子さま(26才) 佳子さまが成年された際には、約2793万円でティアラが作られた。製作業者を公募し、コンペ方式で審査。適格とされた5社から選ばれた宝飾品大手「ミキモト」が担った。ミキモトは清子さんのティアラも製作した実績があった。※女性セブン2021年12月9日号
2021.11.26 16:00
女性セブン
(撮影/JMPA)
眞子さま、11月に結婚発表の可能性も 佳代さんとは関係良好
「東京アラート」が解除され、感染拡大防止のロードマップは「ステップ3」に移った。東京の街に日常が戻りつつある。後ろ倒しになっていた皇室行事のスケジュールも、万全の注意を払いながらではあるが、改めて日程調整が始まっているという。なかでも重要なのは、秋篠宮さま(54才)が皇嗣となられたことを示す「立皇嗣の礼」だ。「立皇嗣の礼は御代がわりに関する行事を締めくくるものです。即位の礼から1年以内の10月22日までに行えるよう、調整が進められていると聞いています」(皇室ジャーナリスト) 立皇嗣の礼が終われば「いよいよ眞子さま(28才)の結婚が動き出す」と、前出の皇室ジャーナリストは言う。「眞子さまは立皇嗣の礼が終わり次第、ご自身の結婚について発表しようとお考えだそうです。内容は“結婚宣言”に近いものとされます」 2018年に結婚行事が延期された際、宮内庁は変更後の日程を「再来年になる見込み」と公表した。つまり、今年中には結婚行事を“リスケ”する必要がある。 6月16日、眞子さまは武蔵陵墓地(東京・八王子)で開かれた「香淳皇后二十年式年祭」に出席された。公の場に姿を見せられるのは4月3日の「神武天皇祭」以来、2か月ぶりのことだ。 眞子さまはご結婚に向け、着実に動き始めている──。 * 近頃、眞子さまの婚約内定者・小室圭さん(28才)の“学業成果”が度々報じられている。 5月下旬には、留学先である米ニューヨーク・フォーダム大学のホームページに小室さんが行ったインタビューの要旨と音声が掲載された。続く6月上旬には小室さんの書いた論文が、現地の法律専門誌に掲載されたと報じられた。「インタビューはフォーダム大OBである金融の専門家に『起業家の資金調達』というテーマで行われました。1時間近いロングインタビューで、小室さんの英語は“ビジネスでも充分通用するレベル”と報じられました。 論文も同様に高く評価されており、学生の論文が専門誌に掲載されるのは大変なことで “東大生も驚く快挙”と報じられました。論文の内容は『クラウドファンディング』をテーマに、その問題点をまとめたもの。こうした成果を生かして弁護士事務所の共同経営者となれば“年収1億円も難しくない”とする報道もありました」(皇室記者) それを受け、6月12日放送の『モーニングショー』(テレビ朝日系)では、コメンテーターが「努力だけじゃなくて、結果も出していることがわかりました」と評価。長く続いた眞子さまとの結婚への向かい風が、追い風に転じているかのようだ。 息子の活躍ぶりを頼もしく感じているのか、小室さんの母・佳代さんにも明るい変化が見られているという。「以前は神奈川の自宅マンションで、部屋の奥に閉じこもりめったに外に出ない“おこもり生活”が続いていました。ですが、最近は外出が増えているようです。人目を避けるように深夜に出かけていたのが、日中にも外出しています。雰囲気も明るくなり、訪問客があった際には、自ら玄関口まで出て対応しているそうです。髪は華やかな金髪に染めて、明らかに“何かが変わった”様子です」(近隣住民)◆秋篠宮さまは軟化 残る壁は紀子さま 着実にキャリアを積む小室さん。周囲の評価も高まり高収入が見込めることで、眞子さまとの結婚に向けて前進するのだろうか。しかし、「そうした収入と結婚は別問題だ」と別の皇室ジャーナリストは指摘する。「秋篠宮ご夫妻はそもそも、“仮に収入が低くても、収入に見合った生活をしたらいい”とお考えです。高収入で豊かな暮らしをすることを求めているわけではありません。結婚に否定的な原因は、金銭トラブルの解決を求めても、動こうとしない小室さんの人間性に疑問をお持ちだからでしょう。小室家の台所事情が、結婚に“待った”をかける理由ではないんです」 紀子さまはこれまで、トラブルの解決を巡って、佳代さんと度々“ぶつかり合い”をしてこられたという。「金銭トラブルが発覚した当初、紀子さまは佳代さんに直接電話され、説明を求められたそうです。相当激しい口調で話されていたと聞いています。しかし結局のところ、納得できる答えは得られませんでした」(宮内庁関係者) 2018年6月には小室さんが留学のために渡米することが明らかになった。留学について両家でほとんど話し合いはされず、紀子さまにとっても寝耳に水のことだったという。「小室さんの渡米前、紀子さまは改めてトラブルの解決を促されたそうです。佳代さんも含めて秋篠宮邸に招かれ、説明を求められたと聞いています。それでも小室さんは解決に動き出しませんでした。それどころか、2019年1月には『トラブルは解決済み』とする文書を公表。そうしたことの積み重ねで、ご夫妻は小室家に対する信用を失われていったのではないでしょうか」(前出・別の皇室ジャーナリスト) その一方で眞子さまはいまも変わらず、小室さんとの結婚を固く信じておられるという。眞子さまの頑ななお気持ちを受け、「秋篠宮さまは最近、そこまで強く反対されていない」(別の皇室記者)そうだ。しかし、紀子さまは強い拒否反応を示され続けている。「金銭トラブルを放置し続ける佳代さんの存在が大きく影響しているようです。再三、信用を手放した家庭に、愛する娘を入れたくないとお考えだと聞いています」(前出・別の皇室ジャーナリスト)◆眞子さまは折りに触れ佳代さんに連絡 そんな紀子さまと眞子さまの間には、微妙な空気が流れたままだという。「紀子さまが結婚に拒否感を持たれていることを、眞子さまは感じておられるのでしょう。おふたりの間には、ほとんど会話もない状態が続いていると聞きます。コロナ禍で結婚問題を進展させることもできず、家の中はピリピリとした雰囲気が続いているそうです」(別の宮内庁関係者) そうした空気に拍車を掛けているのが、佳代さんの存在だろう。「紀子さまとはわだかまりを残したままの佳代さんですが、眞子さまとは良好な関係を築いているようです。佳代さんは眞子さまについて“気持ちがまっすぐで、いろいろと気を使われている”と感じているそう。実際、眞子さまは折りに触れ、佳代さんに体調を心配するような連絡をされていると聞いています。 紀子さまは、眞子さまと佳代さんのそうした関係に複雑な思いを抱いているのではないでしょうか。紀子さまのお気持ちはさておき、強行に結婚発表に向かうことも考えられます」(皇室関係者) 眞子さまは佳代さんを信じている──。そうした関係が小室さんの努力の原動力になり、佳代さんが明るく振る舞う支えにもなっているのではないだろうか。 秋篠宮さまは昨年11月、眞子さまに「何らかの発表」を求められた。眞子さまは、母の気持ちを排除してでも、結婚発表へと進むのだろうか。「昨年末、眞子さまは発表文書について、宮内庁の重鎮を呼び出され、相談をしていたそうです。文書の内容は“結婚宣言”に近いもの。その文書に基づいて発表をされる予定でしたが、コロナ禍で延期になったと聞いています。 発表のタイミングは立皇嗣の礼が終わってすぐ、秋篠宮さまの誕生日会見の前には行われるはずです。誕生日会見は11月の中旬頃には事前収録がされますから、それまでには発表する予定でしょう。“コロナ禍が落ち着いたら、すぐにでも発表したい”とお考えの眞子さまにとって、それがギリギリの日程調整だと思います」(前出・皇室関係者) 結婚への「ロードマップ」が再び動き出したようだ。※女性セブン2020年7月2日号
2020.06.18 07:00
女性セブン
雅子さま 感染者や医療従事者に向け、前代未聞のお言葉発表
雅子さま 感染者や医療従事者に向け、前代未聞のお言葉発表
《医療現場で働かれる皆さんには、危険も伴う大変重い任務を担ってこられました。皆さんの懸命な医療活動は、多くの患者さんの命を救ってこられたものと思います》 5月21日、雅子さま(56才)のお言葉が宮内庁のホームページにて公開された。日本赤十字社(以下、日赤)幹部から新型コロナウイルスについて「ご進講」を受けられたときのものだ。「非公式の場での雅子さまのご発言が発表されるのは、前代未聞のこと。平成時代を含め、ご進講でのお言葉が公にされたことは過去には一度もありませんでした」(皇室ジャーナリスト) ご進講当日、雅子さまはお言葉の書かれたメモを手に持たれ、読み上げられたという。「そもそもご進講とは、その道の専門家から両陛下や皇族方が講義を受けられるものであり、ご意見を表明される場ではありません。それでも、新型コロナの治療に奔走する医療現場に関して、雅子さまはどうしても伝えたいことがおありだったのでしょう。ご自身の発言の異例の公開は、強い希望があって実現したのだと思います」(前出・皇室ジャーナリスト) お言葉が公開された翌22日、雅子さまのお姿は皇居内の紅葉山御養蚕所にあった。歴代の皇后に受け継がれるご養蚕の一環として、育てている蚕に桑の葉を与える「ご給桑(きゅうそう)」に取り組まれた。「11日には『御養蚕始の儀』に出席されたものの、続く18日のご給桑は直前で延期。ご体調が心配されていましたが、22日は無事出席され、養蚕所に向かう車内では笑顔を見せられていました。ご体調次第ですが、美智子さまのときのように、今後は養蚕所内でのご様子が公開されることも期待されます」(別の皇室ジャーナリスト) 実は、前出の日赤幹部のご進講も、“延期”されたものだったという。「両陛下が初めて新型コロナについてご進講を受けられたのは4月10日のことで、日赤のご進講は1か月以上経ってから。日赤は医療現場の中心的存在なので、もっと早く実現してもよかったのです。 ところが両陛下は、あくまで“現場優先”を望まれ、日赤関係者へも“ご進講のためにほかの予定を変更することのないように”と伝えられていたそうです。そのためにタイミングが合わず、日程が後ろ倒しになったそうです」(宮内庁関係者) 両陛下はこれまで、地震や台風などの厄災に苦しむ人々がいれば、できるだけ現地に足を運び、励ましの言葉をかけてこられた。しかし、感染症となると、ご自身の感染リスクもあり、現場に向かうということはできない。「それでも感染者や医療従事者、感染に怯える国民を広く励ましたいというお気持ちの発露が、ご進講の際の『お言葉の公表』という“最終手段”だったのでしょう」(前出・別の皇室ジャーナリスト)◆激務だけでなく「心の苦しみ」を心配 雅子さまにとって、日赤という医療機関の存在も特別なものだ。「雅子さまは日赤の名誉総裁を務められています。香淳皇后(昭和天皇の皇后)が初めて名誉総裁の職を引き受けられ、平成時代の美智子さまへと受け継がれたものを、昨年、雅子さまが継承されました。 皇太子妃時代から強いかかわりを持ってこられた日赤の医療スタッフが置かれている状況を、皇后の責務としても、強く案じられているのでしょう」(皇室記者) いま、医療従事者を襲っているのは、新型コロナの感染リスクだけではない。一部の人からの、いわれなき差別や偏見も、医療従事者の心を苦しめている。「親が看護師であることを理由に、子供が学校で“バイ菌”と呼ばれていじめられた」「医師のグループが飲食店の利用を断られた」──目の前の患者を救おうと日々奮闘している人々に、心無い言葉が向けられることが、実際にある。 そうした事態に両陛下は強く胸を痛められている。《医療物資が不足する中、医療に従事される皆さんには、大変なご苦労を重ねられてきていることと思います。また、このような状況が長期化する中、皆さんのお疲れもいかばかりかと案じていますし、心ない偏見に遭う方もおられると聞き心配しています》 陛下は日赤からのご進講で、そう発言されたという。「雅子さまも、医療従事者の激務に関してだけでなく『心の苦しみ』を心配されていました。差別や偏見を受けたケースの説明には、深くうなずかれながら“大変でしょうね”と口にされていたそうです」(前出・皇室記者) 先代の日赤名誉総裁である美智子さまは、皇太子妃時代から40年以上にわたり、上皇陛下と共にハンセン病患者の暮らす全国の療養所を訪問され、差別に苦しんだ入所者との交流を大切にしてこられた。「美智子さまは、患者だけでなく、療養所で患者の治療や世話にあたったスタッフへの差別も目の当たりにされ、心を寄せてこられました。いわれなき偏見にさらされても、使命感を持って療養所で働く人に、深く感銘を寄せられたといいます。 雅子さまも当然、そうした美智子さまの取り組みをご存じで、医療従事者の方々の置かれた状況を理解されているはずです。それだけに、差別や偏見には許しがたいお気持ちをお持ちなのではないでしょうか」(前出・皇室記者)※女性セブン2020年6月11日号
2020.05.28 16:00
女性セブン
18年ぶり宮中祭祀ご出席の雅子さま 1週間前から体調を調整
18年ぶり宮中祭祀ご出席の雅子さま 1週間前から体調を調整
「ご快復が注目される雅子さまですが、御代がわりに関する一連の儀式や正月の行事の後に、お疲れが出て、一時的ですが寝込まれることがあったと聞いています。それだけに、今回の宮中祭祀へのご出席には大変驚きました」(皇室記者) 3月20日の春分の日、皇室のご先祖祭である宮中祭祀「春季皇霊祭」が皇居・皇霊殿で行われた。皇后雅子さま(56才)は18年ぶりの出席を果たされ、十二単姿で拝礼をされた。「即位後朝見の儀」「期日奉告の儀」など、雅子さまは即位にともなう儀式にすべて出席してこられた。昨年末には台風19号などで被害を受けた宮城県と福島県を訪問され、そのお姿を“完全快復”と報じるメディアもあった。 しかし、雅子さまはいまだ療養中であることに変わりはない。側頭部を大きく膨らませた「おすべらかし」のかつらに、幾重にも着物をひもで結び、すべて含めると15kgは優に超えるという重い装束を身につけて、所作を行う祭祀の負担は計り知れない。美智子さまもお年を召されてからは、ほとんど宮中祭祀には出席されてこなかった。「当初、『春季皇霊祭』には天皇陛下のみが出席されるということが宮内庁から担当記者らにアナウンスされており、雅子さまは出席されないとみられていました。しかし、ほんの数日前になって雅子さまも出席されることが決まったのです」(前出・皇室記者) ある皇室ジャーナリストが続ける。「1週間ほど前から徐々に体調を調整され、本番もミスなくつつがなく終えられたと聞いています。宮中祭祀は神々への感謝と国家と国民の安寧を祈念するものです。いま日本や世界では新型コロナウイルスが猛威を振るい、深刻な事態に陥っています。いまこそ“皇后として祈りを捧げたい”とお考えになられたのでしょう。 前日には、美智子さまが長年過ごされた皇居を後にされました。新たな門出のタイミングも重なり、並々ならぬ覚悟で祭祀に臨まれたのだと思います」 雅子さまは皇太子妃時代、外国生活が長かったことから「霊的な行事である宮中祭祀に理解がない」と心ない批判を浴びることがあった。実際、療養に入られてからは長らく祭祀に出席されていなかった。また、療養前の2000年には、香淳皇后の葬儀である「斂葬の儀」を体調不良で欠席されたということもあった。 しかし、ある宮内庁関係者は「雅子さまはずっと祭祀に出たいというお気持ちを強く持たれ、そのための準備を積み重ねてこられた」と語る。「陛下が祭祀に出席され、ご自身が東宮御所に残られているときも、雅子さまはおひとりで『ご遙拝(ようはい)』や『お慎み』をされていたそうです。東宮妃のご遙拝やお慎みの実態は秘密にされており、宮内庁は雅子さまがそれらの行為に取り組まれてきたことを公式に明らかにはしてきませんでした。しかし、表立ってはいなくとも、雅子さまが国家国民のために祈りを捧げられてきたのは間違いないことなのです」 長い年月、黙々と重ねられたご努力が、いまついに花開き、実りを結んだのだ。※女性セブン2020年4月9日号
2020.03.26 11:00
女性セブン
イッセー尾形 演じる手がかりの「見つからなさ」も喜びに
イッセー尾形 演じる手がかりの「見つからなさ」も喜びに
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・イッセー尾形が、映画『太陽』や『沈黙』で外国の監督や俳優、スタッフに囲まれて芝居をしたときの思い出を語った言葉をお届けする。 * * * イッセー尾形は二〇〇五年、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフが監督した映画『太陽』に主演、昭和天皇を演じた。「僕の中での陛下は、東京オリンピックでの開会宣言のイメージが一番強いので、それを頼りにロシアにまで行きました。 おかしかったのは、メークのおばちゃんが髪の毛を切ってくれるんですが、『こんな硬い髪の毛は初めてだ』と笑うんです。それで親しくなりましたし、その間にコーヒー飲んだり、クッキー食べたりして、幸せでね。 そうやって心が温かくなる準備ができていたものですから、撮影も楽しくやれました。 監督も柔軟な方で、褒め上手なんですよ。『こうして』とか僕にはほとんど言わないで、『さあ、見せてくれ』という感じでね。それが僕にとっては自由なんです。それで『よし、やろう』となりました。 僕は台本を読み終えていざ演じる時、最初に演じる手がかりになるものを探して、そこにしがみついて演じます。見つからない時は見切り発車。不安ではありますが、その見つからなさを喜びにしようと思っています。 ただ、この時は最初のイメージにしがみつくだけでは追いつかない場面がいっぱい出てくるんです。そこは直感でやりましたね。そうしたらメークのおばちゃんが抱きついてきてくれて『あんたは、なんて素晴らしいんだ』って。それから、しがみつくことなくインスピレーションで動けるかなと思いました」 香淳皇后役の桃井かおりとは舞台で二人芝居もやってきた。「舞台の延長みたいでしたね。撮影の前の日に二人でプランを練り合って、それを阿吽の呼吸で見せる。自分の台本にないことなんですが監督も『面白いね』と言ってくれました。 舞台の時は全て即興でした。あらかたのあらすじだけ決めておいて。『体で台本を書く』という方法でした。台本を模倣するんじゃなくて、『俺自身が鉛筆なんだ』みたいな」 二〇一六年にはマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』で、キリシタン弾圧を指揮する井上筑後守を演じた。「これは妙に自信がありました。井上のイメージがあったから。 井上は、ほほ笑むんです。よく外国人が『日本人は薄ら笑いをしていて何を考えているか分からない』と言うのを聞いていたので、ほほ笑みから入ろうと。そこから役が育っていく。そういうプランがあったので、どんな規模の大きな現場であろうが楽しもうという感じでした」 弾圧される宣教師の一人はリーアム・ニーソンが演じている。「半端じゃなく役を作ってきますね。アメリカではメソッドといって内面からその役をとらまえるやり方が主流です。それを目の当たりにして、僕にはできないと思いました。もちろん否定するわけではありません。 それだけ一つの役に真剣なので、ニーソンさん、本番かかると存在がのしかかってくる。何も言わないのに、目が燃えていて。それでいて冷静に芝居を組み立ててコントロールしている。役作りだけでなく人間の捉え方が分厚いな、と思いました」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。■撮影/藤岡正樹※週刊ポスト2019年12月6日号
2019.11.30 16:00
週刊ポスト
眞子さまや愛子さまらがお生まれになった
皇居の東側、歩いて探訪できる注目スポット10選
 天皇陛下の「即位の礼」など皇室行事に注目が集まっている。いつもは厳かな、皇居周辺もなんだか騒がしい。今回はそんな皇居の東エリアで、歩いて探訪できるスポットを紹介しよう。(1)書陵部皇室関係の文書や資料などの管理や編集を行う場所。写真は1964年、昭和天皇の第二皇子、常陸宮正仁親王殿下と婚約した津軽華子さん(当時)の皇族勉強初日。神宮並びに宮中祭祀の説明を受けるご様子。(2)桃華楽堂(非公開)1966年の香淳皇后の還暦を祝して建設された200人収容の音楽堂。美智子さまの傘寿を祝うコンサートもここで開催され、ご一家が肩を並べられた。正面には桃の木が植えられており、春になると紅白の花を楽しめる。(3)二の丸庭園84種の花菖蒲ほか、ヒツジグサをはじめとした水生植物が移植された自然豊かな庭園。池にはヒレナガニシキゴイという品種の鯉が優雅に泳ぐ。2015年には、インドネシア大統領夫妻も二の丸庭園を訪問された。(4)宮内庁病院(非公開)皇族に加えて、宮内庁や皇宮警察本部の職員とその家族、さらに職員の紹介を受けた者のみが受診可能な国立の医療施設。眞子さまや佳子さま、愛子さまらはこの病院でお生まれになられた。(5)済寧館(非公開)皇宮警察本部の練武場であり、作家の三島由紀夫も鍛錬に訪れ、汗を流したという逸話も残されている。現在の建物は1934年に建設され、以来、昭和天皇をはじめとしてたびたび天覧試合も開かれている。(6)三の丸尚蔵館代々、皇室に受け継がれてきた絵画や書などを展示している博物館施設。大手門近くにあり、入場無料。時折、美術展も開かれ、皇族方が訪れることも。(7)本丸大芝生もともと本丸御殿があった広大な芝生。この土地で園遊会を開催するために芝生の状態を保っていたそうだが、実際に園遊会が開催されたのは1969年の一度きり。その後は赤坂御苑での開催が通例となっている。(8)宮内庁1935年に建設と歴史は古く、仮宮殿として用いられたことも。重要な会見がここで行われることも多く、最近では高円宮家の三女・絢子さまと日本郵船社員の守谷慧さんの婚約内定会見が開かれた。(9)桔梗門皇居参観者や勤労奉仕者などが出入りする門であり、瓦に太田道灌の家紋である桔梗がついていたことから桔梗門と呼ばれていたと伝えられている。写真は2015年に桔梗門を出て皇居外周をランニングされる天皇陛下。(10) 東庭新年の一般参賀でおなじみの東庭。天皇皇后両陛下と皇族方は、この広場から見える長和殿中央バルコニーにお出ましになり国民からのお祝いを直接受けられる。この東庭に、多い時は12万人以上が詰めかける。※女性セブン2019年11月7・14日号
2019.11.05 07:00
女性セブン
天守台
皇居お散歩歴史探検 「最後の秘境」の謎を解く
 10月22日午後1時、天皇陛下が即位を国内外に宣明する「即位礼正殿の儀」が、皇居・宮殿で最も格式の高い「松の間」で執り行なわれる。徳川家康が江戸幕府を開いた1603年から400有余年。明治から江戸城一帯に位置した現在の皇居は、東京の中心でありながら、まだ誰も知らない歴史が詰まった宝庫でもある。 歴史探訪家の竹内正浩氏が語る。「明治維新後、江戸城がそのまま現在の姿に変わったと考えている人がいるかもしれませんが、実際は違います。むしろ明治天皇が江戸城に入城された後、宮城と呼ばれてからの変貌こそ、すさまじいものでした」 たとえば二の丸周辺は、明治半ばから昭和までの約80年間、馬場や厩舎として使われ、馬車を修理する作業場があった。北の丸周辺は、終戦まで軍用地だったという。「明治以降も皇居は政治の権力や権威の中心であり、その源泉であり続けてきました。現在も歴史が更新され続け、今も残る建築物や遺構は、決して過去の遺産ではありません。 皇居は興味深い歴史に満ちた、唯一無二の場所です。同時に、都心では奇跡といっていいほどの自然にあふれているのです」 以下、天皇・皇后両陛下がお暮らしになる「最後の秘境」10か所を紹介しよう。【天守台】 江戸城本丸の北に位置する天守台。東西約41m、南北約45m、高さ11m。明暦の大火(1657年)により天守が焼け落ち、翌年に加賀藩前田家により新しく築かれたが、一度も上に天守が建てられていない。*大嘗祭当日(11月14、15日)まで立入制限。【大手門】 旧江戸城の正門として使用された、枡形形式の城門。江戸在府の大名や旗本が江戸城を訪問する総登城の際、10万石以上の大名は大手門から出入りした。平成27(2015)年に修復工事を行ない、白亜の美しい姿を取り戻している。【富士見櫓】 明暦の大火で焼失した櫓を、万治2(1659)年に再建。将軍が富士山や両国の花火、品川の海を眺めたこともあったとされる。近年、広場や案内板が整備され、間近に鑑賞できるようになった。【桃華楽堂】 昭和41(1966)年2月、昭和天皇の皇后である香淳皇后の還暦祝いに建設された、楽部音楽堂。皇居東御苑、旧江戸城の天守台に隣接する。設計は建築家・今井兼次。モザイクタイルを施した八角形の形状が印象的。*富士見櫓と桃華楽堂は、11月以降、大嘗祭当日(11月14、15日)まで立入制限。【宮殿】 昭和43(1968)年10月に完成し、翌4月から使用開始。勾配屋根で深い軒の出を持つ、鉄骨鉄筋コンクリート造。正殿、豊明殿、長和殿など7棟で構成され、延べ面積7326坪。長和殿は一般参賀でおなじみの建物。【三の丸尚蔵館】 皇室に代々受け継がれてきた絵画・書・工芸品などの美術品が国に寄贈されたのを機に、平成5(1993)年に開館。美術品を調査研究するとともに、一般に公開されている。現在、約9800点の美術品類を収蔵。【諏訪の茶屋】 元は江戸時代の吹上地区(現在の吹上仙洞御所のある一帯)に建てられていた建物。明治45(1912)年に新築。優雅な外観を持っていることから、昭和43(1968)年、二の丸庭園に移築された。外観だけ見学可。【局門】 乾通りに位置する局門は、江戸時代には存在しておらず、明治21(1888)年頃に完成したと考えられている。かつては門の中に女官部屋の建物が並んでいた。東日本大震災で傾き、現在は扉を開けることができない。*「皇居乾通り一般公開」時のみ見学可。【弥生慰霊堂】 北の丸公園の田安門をくぐると、左手に狛犬のような石造物が見える。無宗教形式の慰霊堂で、職務執行中に殉職した警察関係者を祭る。昭和22(1947)年、現在地に遷座した。【近衛歩兵第一聯隊跡碑】 明治7(1874)年、日本陸軍で最初の歩兵連隊として創設された「近衛歩兵第一連隊」があった場所。石碑は戦前からの宮内官僚で、戦後は新宮殿の造営にもかかわった高尾亮一が設計した。碑は福島県産の黒御影石といわれる。※週刊ポスト2019年10月18・25日号
2019.10.09 11:00
週刊ポスト
敷地内には厩舎を改造した喫茶店のほか、そば処や土産物店もある
東京・山梨・静岡をダイナミックに回る皇室ゆかりの地ツアー
 令和が始まり、新天皇が即位されてはや3か月。今年は、例年以上に皇室行事が多いため、中高年や女性中心に関連ツアーが人気となっている。 東日本に多い皇室スポットを巡るツアーでは、地方発で1泊~3日間など、泊まりがけで巡る旅も好評だ。 たとえば、松山空港発着で多摩御陵、沼津御用邸記念公園、聖徳記念絵画館を巡る3日間コースは、東京・静岡・山梨をダイナミックに回るプラン。【沼津御用邸記念公園】駿河湾に面した松林の一角に、明治26年、大正天皇(当時は皇太子)の静養先として造営された沼津御用邸。現在は記念公園として、沼津大空襲で焼失を逃れた御学問所の東附属邸や、幼少時の昭和天皇がお住まいになった西附属邸、庭園などを一般公開。邸内には家具や調度品などが保存されており、当時の皇族の暮らしぶりを知ることができる。住所:静岡県沼津市下香貫島郷2802-1 料金:入園+観覧料 大人400円・小中学生200円、入園のみ 大人100円・小中学生50円 営業時間:9時~16時半 定休日:無休 ※予約不要【聖徳記念絵画館】東京の明治神宮外苑にある美術館。青山通りから約300mにわたって続くイチョウ並木が有名で、その中心に建つ建物が聖徳記念絵画館だ。館内では、明治天皇とそのお妃である昭憲皇太后の生涯と業績を描いた大壁画80点を年代順に展示。幕末から明治時代にかけての歴史的出来事や宮中・皇室の行事なども数多く見ることができ、皇室や歴史に興味のある人なら一度は訪れてみたい。住所:東京都新宿区霞ヶ丘町1-1 料金:施設維持協力金500円 営業時間:9~17時(最終入場16時半) 定休日:無休(都合により休館する場合あり) ※予約不要【ツアーDATA】『【松山空港発着】皇室ゆかりの地を訪ねて「多摩御陵」「沼津御用邸記念公園」「聖徳記念絵画館」3日間』※宮崎空港・鹿児島空港出発もあり。●出発地:愛媛県 ●旅行代金:10万円 ●出発日:9月1・9日 ●お問い合わせ:阪急交通社 松山支店 このコースには明治神宮や皇居外苑・二重橋、皇室御用達のワイナリー、皇室ゆかりの宿も入っており、温泉や自然が楽しめるのも魅力だ。 もう1つ注目なのが、大阪や京都からJR利用で、迎賓館赤坂離宮をメインに、昭和天皇記念館、武蔵野御陵、明治神宮、聖徳記念絵画館、皇居二重橋・正門石橋といった6つの皇室スポットを巡るツアーだ。【ツアーDATA】『【JR利用】迎賓館赤坂離宮本館主庭一般公開・新時代に巡りたい5つの皇室ゆかりの地3日間』●出発地:大阪府、京都府 ●旅行代金:10万円 ●出発日:9月12日 ●お問い合わせ:阪急交通社 トラピックス大阪【迎賓館赤坂離宮】 明治42年に、嘉仁皇太子(のちの大正天皇)の東宮御所として建設されたネオ・バロック様式の洋風建築物。一歩中に入ると、絢爛豪華な装飾の数々に圧倒される。現在は外国の賓客を迎える迎賓館となっているが、業務に差し障りのない範囲で一般公開が行われている。本館と庭園の見学、または庭園のみの見学なら申し込み不要(事前予約も受付)。和風別館を見学する場合は、事前予約が必要なので要注意。住所:東京都港区元赤坂2-1-1料金:本館・庭園:一般2000円・大学生1500円・中高生500円、庭園:一般300円・大学生以下無料 ※9月10日まで開催の特別展料金営業時間:10~17時(最終入場16時)定休日:水曜(祝日の場合は翌日)※接遇等により休館あり【昭和天皇記念館】国営昭和記念公園内にある、昭和天皇・香淳皇后の遺品や写真などを展示している記念館。昭和天皇が公務の時に使われた机や椅子が展示され、皇居の吹上御苑に開設された生物学御研究所の一部も復元されるなど、昭和天皇の87年のご生涯を振り返ることができる。住所:東京都立川市緑町3173 国営昭和記念公園 花みどり文化センター内 料金:一般510円・大学生・高校生300円・小中学生100円 営業時間:9時半~17時(最終入場16時半)※季節により異なる 定休日:月曜(祝日の場合は翌日)※臨時休館あり ※予約不要 こちらは豊洲市場見学や、こだわりの昼食、横浜・東京での豪華ホテル宿泊などのお楽しみ付き。両ツアーともに企画した阪急交通社によれば、「今までにない新時代の幕開けである令和元年に、リスタートと、自らのルーツを見つめ直すかたも多いようで、令和にちなんだ歴史的スポットが人気です。秋には令和フィーバーもひと段落し、ゆっくりゆかりの地が楽しめると思います」(同社広報)※女性セブン2019年9月5日号
2019.08.26 16:00
女性セブン
雅子さま 急遽の「お出まし中止」の背景にあるプレッシャー
雅子さま 急遽の「お出まし中止」の背景にあるプレッシャー
『日本書紀』には、古代の雄略天皇が皇后に「養蚕(ようさん)」を奨励したという記述がある。現在の皇室のご養蚕は、1871年、明治天皇の皇后である昭憲皇太后によって復興された。それ以降、代々の皇后に受け継がれ、今も春から夏にかけて取り組まれている。美智子さま(84才)もその歴史の重みを受け止め、皇居内の紅葉山にある御養蚕所へ足繁く通い、伝統を紡いでこられた。「御代がわりの行事が立てこむため、雅子さま(55才)が本格的に取り組まれるのは来年からです。ですが、7月10日には天蚕(てんさん ※:注)の収繭(しゅうけん)作業のため、御養蚕所を訪ねられる予定でした。美智子さまも毎年この時期に御養蚕所に通われたので、それに倣われたのだと思います」(宮内庁関係者)(※:注/日本、朝鮮半島、台湾などに分布する蚕の一種。山繭とも呼ばれる。屋内飼育ができず、木に網をかけて放し飼いをする) ところが皇居へ到着予定の30分ほど前、皇居・半蔵門に詰めかけていた報道陣に「お出ましは取りやめ」の一報が入り、驚きが広がった。「知らせが直前になったのは、ギリギリまでお出ましを模索されていたからでしょう。実は翌11日には、東大教授から地球科学の講義を受けられる『ご進講』があり、さらに12日には離任するベルギー大使夫妻とのご引見が控えていました。連日の公務を考慮し、大事をとられたのでしょう」(前出・宮内庁関係者) 雅子さまの御代がわり以降の公務は、順調そのもの。それだけに、養蚕へも予定通りに取り組まれると期待されていた最中の出来事だった。「好調が続いているため忘れられてしまいがちですが、雅子さまは今も適応障害を患い、療養中の身です。そんな状況で皇后という大役を引き継がれただけでなく、美智子さまという偉大な存在の後継者となったわけですから、そのプレッシャーは計り知れません」(皇室記者) そうした状況下でも、雅子さまは十二分にその務めを果たされてきた。御代がわりに伴う一連の儀式はもちろんのこと、5月にはトランプ米大統領夫妻を接遇され、続く6月にはマクロン仏大統領夫妻、7月にはトルコのエルドアン大統領夫妻と会見されるなど、数多くの国際親善をこなされてきた。6月には愛知県で開催された「全国植樹祭」へ臨席されるなど、まさに八面六臂の活躍といえる。「雅子さまは元外交官のキャリアウーマンということもあり外国語に堪能で、英語はもちろんフランス語も通訳が必要ないほどの語学力をお持ちです。また、各国の国際情勢や文化背景などを充分に理解されていて、その能力をいかんなく発揮されておられます。 しかし一方では、そうした周囲からの高い期待値の中で公務に臨むのは、重圧に違いありません。相当に気を張った日々が続いています」(前出・宮内庁関係者)◆ふとお疲れを感じさせる表情が浮かぶ 皇族方が公務などでお出ましになるにあたっては、事前に主催者や報道関係者に対し、連絡が入る。御代がわり以降、両陛下お出ましの案内には、3つのパターンがあった。「前もっての連絡は 『両陛下がお出まし』『天皇陛下がお出まし』『天皇陛下がお出ましで皇后陛下はご体調次第でお出まし』の案内方法があります。 例えば、6月21日に麻布保育園(東京・港区)を両陛下で訪問されたのは、『皇后陛下はご体調次第』という案内でした」(皇室ジャーナリスト) 実のところ、雅子さまのお出ましが直前の変更になっても、さほど大きな影響はないという。「ほとんどの場合で、主催者側には天皇陛下をお迎えする準備ができています。雅子さまがいらした場合でも、椅子を1つ追加するだけという程度の対応で済むので、特に手間はかかりません。むしろ、直前の決定でもいらっしゃっていただけた方がありがたいという声は多い」(前出・皇室記者) お迎えする行事やイベントには、雅子さまを一目見たいと心待ちにする参加者は多い。そうした気持ちを、雅子さまがいちばんよくご存じだ。ある皇室関係者が言う。「公務に出られ、衆目のあるところでは、決して笑顔を絶やされません。もちろん賓客の前では、国の代表として気品と気遣いが溢れる応対をされていらっしゃいます。 しかし、裏に入ると、ふと重圧やお疲れを感じる表情を浮かべられることがあります。フーッと大きく深呼吸をされている場面もありました。 療養中でありながら、連日のお務めを果たされているのですから、無理はありません。雅子さまはそうした苦悶の表情をひた隠しにされながら、日々の公務に向かわれているのです」 ただし、いくらそうした強いご覚悟をお持ちでも、15年続いているご病気は簡単には抑え込めるはずがない。前述の御養蚕所ご訪問もそうだが、多くの人の目に触れない、私的なお務めは、大事をとって休まれることも少なくない。例えば、6月16日、香淳皇后のご命日に執り行われる宮中祭祀「香淳皇后例祭」に、雅子さまは出席されなかった。「宮中祭祀は、伝統的な装いを特殊な方法で身につけるなど、女性皇族に多大な肉体的負担をかけます。 雅子さまにはこれから秋にかけて、ご自身が主役になられる行事や、多くの人が出席を期待する公務が立て続けに待ち構えています。限界に近い状態とは思われますが、側近と話し合われながら、薄氷を踏むような調整をされつつ、“本番”に臨まれるはずです」(前出・皇室ジャーナリスト)※女性セブン2019年8月1日号
2019.07.20 16:00
女性セブン
クレオパトラの美の源は地中海にあった?(写真/アフロ)
世界三大美女の「美容食」 小野小町は生き血をすすった
 いくつになっても美しくありたいという願いは、女性にとって永遠のテーマ。だが美は1日にしてならず。歴史に名をはせた美女たちに共通しているのは、「食」を通じて美を追求していたことだ。 その人生をひもとくと、現代では考えられない仰天食材もあれば、今日から実践できる食材を使用しているものもあった。“世界三大美人”と誉れ高い美女たちの「健康食」「美容食」を掘り下げてみよう。◆クレオパトラ/地中海の恩恵を美容に 紀元前50年頃、古代エジプト・プトレマイオス朝最後の女王としてクレオパトラが君臨していた時代、エジプトの都にはアフリカ全土やギリシャなどから金や食材などが運び込まれていたという。 ローマ帝国から愛人のアントニウスがクレオパトラのもとを訪れた際「出されるものが何もかも豪華でおいしい」と感激したそうだが、それは彼女にとって日常の食事だったと作家・歴史エッセイストの堀江宏樹さんは言う。「そこで『もっと豪華なものがあるわよ』と胸元を飾っていた真珠のネックレスを外し、酢の入ったグラスに入れ、溶けた真珠の美容液でのどをうるおしたという逸話があります。 しかし、科学的に真珠が酢に溶けることはありません。一方で、繁栄していたエジプトの都では、美容食としてぶどう酒やはちみつを口にしていたことは考えられます。紀元前5世紀には地中海料理の原型のような料理があったので、オリーブオイルなど質のいい油が彼女のプロポーションを保つのに役立ったのかもしれません」◆楊貴妃/ライチは二日酔いにもってこい 8世紀、唐の皇帝・玄宗の側室として楊貴妃が迎えられたのは、玄宗61才、楊貴妃27才の時。玄宗の寵愛を受けるため、美貌を保ちスタミナをつける食材を求めていたといわれている。なかでもお気に入りだったのが、ライチだ。白澤抗加齢医学研究所の所長で医学博士の白澤卓二さんがその効能を解説する。「ライチにはポリフェノールやビタミンC、葉酸、銅と美容に効果的な成分が含まれています。ポリフェノールはメラニンの生産を促すチロシナーゼを抑制する働きがあり、シミ予防や美白効果が期待できます」 また、楊貴妃は酒好きで、二日酔いに苦しんでいたともいう。「ライチにはカリウムも豊富に含まれており、飲酒で失われたカリウムを補給する意味でも、ライチはぴったりの食材です」(白澤さん) 彼女は亡くなった後も“美の象徴”として崇め続けられていた。「楊貴妃の美しさにあやかりたいと願う女性たちが彼女の墓石を削り取り、美の漢方薬としてのんでいたとも。墓石は削られすぎてしまい、とうとうそのお墓はなくなってしまいました」(堀江さん)◆小野小町/滋養たっぷりの生き血をすする 三大美女のトリは平安時代の女流歌人・小野小町。当時から薬用魚として重宝されてきた鯉の生き血を飲んでいたとされる。「当時の医学書『医心方』にも気血を増強する食べ物として鯉が紹介されており、滋養強壮にいい。いわば精力剤で、当時は鯉の身だけでなく、生き血を飲む習慣があったそうです」(堀江さん) 現代では、寄生虫による食中毒が危険なため、生き血を飲むのはおすすめできないと白澤さんは言う。「ただし、鯉は魚のなかでも栄養価が高いといわれ、たんぱく質やコラーゲン、ビタミンが豊富。肌のうるおいや疲労回復など、多様な効用が期待できます」 ちなみに、美智子上皇后はかつてご懐妊のお祝いに、香淳皇后(当時)から鯉が贈られている。※女性セブン2019年7月11日号
2019.06.28 16:00
女性セブン
天覧試合60年の証言、長嶋のHRに隠れた広岡&藤田の重要局面
天覧試合60年の証言、長嶋のHRに隠れた広岡&藤田の重要局面
 令和元年はプロ野球界にとっても節目の年となる。歴史上唯一、天皇が球場でプロ野球公式戦を観戦し、プロ野球が国民的娯楽となった1959年6月25日の「天覧試合」から、ちょうど60年となるからだ。 昭和天皇が皇居から水道橋方向を見て「あの灯りは何か」と侍従に問うたことから実現したとされる天覧試合は、天皇が退席する直前に巨人・長嶋茂雄が劇的なサヨナラホームランを放ったことで知られる。 当時実際にグラウンドに立っていたメンバーたちに取材。貴重な「60年目の証言」をお届けする。 試合開始は19時。巨人・阪神の両軍が一列に並んで、貴賓室の昭和天皇・香淳皇后に一礼するところから始まる。後楽園球場は、試合前からただならぬ緊張感に包まれていた。球審を務めた島秀之助審判部長は「試合中、陛下に尻を向けてしまう。横を向いて立つべきか」と真剣に悩んでいたという。 先発は巨人・藤田元司、阪神・小山正明の両エース。小山氏はこう述懐する。「選手全員が両陛下に野球を楽しんでいただきたい気持ちが強かった。だから守備交代はもちろん、内野ゴロでも全力で走るなど、とにかく一生懸命のプレーを心掛けました。鳴り物の応援も禁止されていたこともありますが、球場全体がいつもと違う雰囲気でしたね」 エース同士の投手戦となるはずの試合は二転三転の打撃戦となる。7回に王貞治がホームランを放ち同点とするが、そのまま9回に入って時刻は21時を回った。 当時のプロ野球は19時開始、20時45分頃ゲームセットの約1時間45分が一般的だった。ところが天覧試合は約2時間10分と、当時としてはかなり長い試合となる。実は天皇、皇后が観戦できるのは21時15分までと決められていたため、延長突入なら途中退席となる可能性があった。しかし前述の通り、試合は長嶋のサヨナラホームランで劇的フィナーレ。タイムリミット3分前、21時12分のことだった。「乱打戦となり、かえって両陛下には野球の醍醐味を味わっていただくのに相応しい試合内容になったのかもしれません。長嶋の劇的なサヨナラホームランも、乱打戦で試合時間が延びたことで起こった想定外の出来事でした。両陛下の退席時間はグラウンドには伝えられていません。もちろん長嶋も知らなかったはずです。あそこで打てたのは、スーパースター・長嶋ならではの演出でした」(小山氏) 一方、この試合にはあまり語られていない重要なポイントがあると語るのは、巨人のショートを守っていた広岡達朗氏だ。「マスコミは長嶋のホームランのことばかり書くが、あの試合のポイントは8回、絶体絶命のピンチでランナーを刺した私と藤田のプレー。あれがなければ長嶋のサヨナラホームランもなかったし、試合にも負けていましたよ」 8回表、4対4の場面で三宅秀史と藤本勝巳が連続四球。大津淳の送りバントで1死二塁、三塁となった。「次打者の横山光次がスクイズするのはわかっていた。阪神ファンが興奮して禁止されていた鳴り物の応援を再開するほど押せ押せムードでしたが、そんな中でも私は二塁走者の藤本に一瞬のスキがあったのを見逃さなかった。私は藤田にアイコンタクトでピックオフプレーのサインを送りながらベースに入り、藤田が素早く牽制してアウトにした。そして横山をショートライナーに打ち取りピンチを切り抜けた。あの試合の勝利は、すべてこのプレーがあったからこそなのです」(広岡氏) 試合後には、ベンチ入りした全員に菊の御紋入りの恩賜たばこが配られた。「僕はタバコを吸わないので親父に持って帰りましたが、感激して吸わずに見入っていたのを覚えています。天皇陛下がどんな存在であるか、皆わかっている時代でしたからね」(小山氏) 天覧試合を機にプロ野球は国民的娯楽となったが、その後公式戦では一度も行なわれていない(※1966年11月8日に後楽園球場で開催された日米野球、ドジャース対巨人戦で2度目の天覧試合が実現しているが、あまり知られていない。この試合でも巨人・長嶋茂雄は本塁打を放っている)。 上皇も天皇在位中、球場で野球を観ることはなかった。小学生の頃は巨人ファンだと伝えられ、甲子園で始球式を行なうなど野球にも造詣が深いといわれる今上天皇。60年の時代を超えて、再び天覧試合が実現される日は来るだろうか。■取材・文/鵜飼克郎※週刊ポスト2019年6月21日号
2019.06.12 11:00
週刊ポスト
全国植樹祭にご出席された雅子さま(撮影/JMPA)
雅子さま 将来的にはすべての祭祀に出席、現時点では困難か
 皇后となられて約1週間が過ぎた5月8日、雅子さまは御代がわりに伴う宮中祭祀の1つである「期日奉告の儀」に臨まれた。宮中三殿すべてに参拝されたのは、病気療養に入る前の2002年以来、実に17年ぶりのことだった。「雅子さまが無事に祭祀を終えられた姿に胸を打たれた職員も多かったようです。ですが、“あまり無理をしてほしくない”という思いを抱く職員も少なからずいます」(宮内庁関係者) 雅子さまはトランプ大統領夫妻との宮中晩餐会や「全国植樹祭」などの公務に順調に出席されている。ただ、今秋に予定される皇位継承に伴う儀式こそ、新皇后としての“本番”ともいえる行事であるという。元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司さんが言う。「10月22日の『即位礼正殿の儀』当日の朝、両陛下は賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿にて、即位礼を行うことを奉告する儀式に臨まれます。また、11月14日から15日にかけて行われる『大嘗宮の儀』は皇位継承に伴う一世一度の最重要儀式です。 皇后陛下は両儀式ともに、白色帛御五衣、白色帛御唐衣、白色帛御裳という白装束で出席されます。 皇后陛下は皇太子妃時代から、“ここ一番”の儀式に合わせて体調を整えられ、出席されてきました。秋の重要儀式にも出席され、皇后としてのお覚悟を示されると思っています」 そのためには、“本番”までに、さらに慎重に、無理のないようにご調整されることが必要になる。「直近の宮中祭祀でいえば、6月16日、香淳皇后のご命日に皇霊殿で執り行われる『香淳皇后例祭』があります。 将来的にはすべての祭祀に出席したいというお気持ちはおありでしょうが、現時点では無理でしょう。今後もその時々のご体調などを勘案して、その都度、判断されていくことになるでしょうが、まずは今秋の即位関係の儀式・行事に向けて、無理をなさらず、周囲の協力を得ながら、体調管理に努めていただきたいと思っています」(山下さん) 雅子さまは一歩一歩、名実ともに「日本の国母」への道を歩まれている。※女性セブン2019年6月20日号
2019.06.10 07:00
女性セブン
(時事通信フォト)
完全保存版 皇室が行う宮中祭祀の年間スケジュール【上半期】
 かつて国家的行事だった宮中祭祀は戦後、「皇室の私的行事」とされ、国民に知られることはほぼなくなった。しかし、森深い皇居の奥では、神聖かつ神秘的な祭祀が昔と変わらぬまま連綿と続いている。 祭祀を通じて神々への感謝と国家国民の安寧を願う天皇陛下の祈りは深い。一年の間にどんな宮中祭祀が行われているのか? 1月から6月に行われる宮中祭祀を紹介する。(祭祀・行事名、概要、出御・お出まし、の順)通年【毎朝御代拝】 1年365日、毎朝午前8時30分、当直の侍従が潔斎(心身を清める)のうえ宮中三殿を天皇に代わり順次拝礼する。ご代拝の間、天皇はお慎み。これに先立ち内掌典が日々のお供え物を献じる。通年【旬祭】 毎月1日、11日、21日に三殿で行われるお祭。原則として1日は天皇が御直衣姿で拝礼し、11、21日はご代拝にて行われる。1月1日は歳旦祭と称してより重んじられる。1月1日【四方拝】 午前5時30分に天皇が黄櫨染御袍で神嘉殿の前庭にて伊勢の神宮、山陵及び四方の神々を遥拝する年初の行事。ご代拝は認められない。平安時代に始められた。天皇。1月1日【歳旦祭】 四方拝の後、宮中三殿で皇祖・皇霊・天神地祇をまつる年始の祭典。2日、3日も掌典職による奉仕がある。天皇 皇太子(今年5月以降は「皇嗣」。以下同)。1月3日【元始祭】 年始に皇位の大本と由来とを祝し、国家国民の繁栄を三殿で祈る。天皇・皇后 皇太子・同妃 各宮家の皇族。1月4日【奏事始】 宮殿鳳凰の間で掌典長が前年の伊勢の神宮及び皇室の祭祀のことを天皇に申し上げる行事。天皇。1月7日【昭和天皇祭】 昭和天皇のご命日に皇霊殿で執り行われる(武蔵野陵においても祭典がある)。夜には御神楽が奏される。天皇・皇后 皇太子・同妃 各宮家の皇族。1月30日【孝明天皇例祭】 孝明天皇のご命日に皇霊殿で執り行われる(後月輪東山陵においても祭典がある)。夜には御神楽が奏される。天皇・皇后 皇太子・同妃 各宮家の皇族。2月11日【三殿御拝】 昭和23年まで紀元節を祝う大祭として挙行。日本書紀記載の神武天皇即位の日を国の始めとして祝っていた。占領下に紀元節が廃止されてからは、恒例祭祀ではなく思し召しによる臨時御拝として続けられてきた。天皇。2月17日【祈年祭】 三殿において五穀豊穣を祈念する。飛鳥時代にさかのぼる祭祀。天皇 皇太子。*新元号2年から2月23日に新天皇のお誕生日を祝して「天長祭」(小祭)が三殿で執り行われる(天皇、皇嗣)。3月 春分の日【春季皇霊祭】 皇霊殿で執り行われるご先祖祭。天皇・皇后 皇太子・同妃 各宮家の皇族。3月 春分の日【春季神殿祭】神殿で執り行われる神恩感謝の祭。天皇・皇后 皇太子・同妃 各宮家の皇族。4月3日【神武天皇祭】 神武天皇のご命日に皇霊殿で執り行われる(畝傍山東北陵においても祭典がある)。天皇・皇后 皇太子・同妃 各宮家の皇族。4月3日【皇霊殿御神楽】 神武天皇祭の夜、特に御神楽を奏して神霊をなごめる。6月16日【香淳皇后例祭】 香淳皇后のご命日に皇霊殿で執り行われる(武蔵野東陵においても祭典がある)。天皇・皇后 皇太子・同妃 各宮家の皇族。6月30日【節折(よおり)】 天皇のために宮殿竹の間で行われるお祓いの行事。天皇は御小直衣の衣装。起源は平安時代にさかのぼる。天皇。6月30日【大祓】 神嘉殿の前庭で皇族、国民のために行われるお祓いの行事。飛鳥時代にさかのぼる。皇族代表お一人。監修■高森明勅(神道学者)※SAPIO2019年4月号
2019.02.27 07:00
SAPIO
紀子さま、眞子さま誕生日に訪蘭 小室さんに会わないためか
紀子さま、眞子さま誕生日に訪蘭 小室さんに会わないためか
 秋の空は、あいにくの雨曇り。10月23日、眞子さまは27才の誕生日のご挨拶のため、天皇皇后両陛下の待つ皇居へ向かった。実はこれに先立つ4日前の10月19日、「小室圭さんが、東京都心の“ある場所”に姿を見せる。しかも、眞子さまの誕生日の当日に──」。という情報が皇室関連記者の間で囁かれ、各社動き始めていたのだ。 結局小室さんが留学先のアメリカから戻ってくることはなかったが、23日に「憲政記念館」(永田町)で行われる「明治150年記念式典」の警備対象に「小室圭」という名前があったというのだ。これが小室さんの帰国説に繋がったのだ。 話は冒頭のシーンに戻る。眞子さまを乗せた車が皇居半蔵門をくぐったのは、正午ちょっと前。両陛下と昼食を共にされた。1時間半ほど御所で過ごされた眞子さまは、13時40分頃、皇居をあとにされた。行きと同様、門をくぐる時は窓をオープンにされて笑顔を浮かべてはいたが、車はスピードを上げて走り去った。 もしも、あとから問題が明らかになっていなければ、27才になられた翌週の日曜日の11月4日、眞子さまは小室圭さん(27才)と帝国ホテル(東京・日比谷)で結婚式を挙げられるはずだった。幸せの絶頂だったはずの誕生日を、産経ニュースはこう伝えた。《小室さんとのご成婚は昨年9月に内定したが、正式な婚約となる「納采の儀」前の今年2月に一連の儀式が平成32年に延期された。小室さんは8月に渡米し、3年間の予定でロースクールに留学している》「平成32年」。その時はいずれ来るのか、はたまた永遠に訪れないのか――いずれにせよ、小室さんのアメリカ行き直後から、宮内庁周辺および皇室メディアはある予感を抱いていた。「小室さんの緊急帰国です。彼は留学に必要なビザが取得できておらず、入国から3か月以内に1度、帰国する必要があるのではないか。それが10月末、ちょうど眞子さまの誕生日のタイミングに重なるのではないかと囁かれていました」(皇室ジャーナリスト) 留学ビザ取得にあたっては、経済的に不安なく留学生活を送れる証として、銀行の預金残高などの「財務能力証明書(残高証明書)」をアメリカ大使館に提出し、審査を受ける必要がある。小室さんが留学中のフォーダム大学ロースクール(NY)は全米でも屈指の学費の高さで知られるので、3年間の留学で必要とされる残高は2000万円とも3000万円ともいわれる。 ただし、小室さんの場合は奨学金で学費は免除。とはいえ、NYという大都会での3年間の生活費、およそ500万~800万円の財務能力が求められたはずで、「400万円の金銭トラブルが未解決のままである小室家に、そんな額の預金があるのか」と疑問視されていたのだ。 ところが、『週刊文春』(10月18日号)によると、小室さんは「ビザはちゃんととっている」と、生活費の支援を受ける法律事務所にメールを送ったという。さらに、事務所の担当者は「基本的には(留学の)3年間、途中で帰ってくるという話も全然ない」と説明したという。◆紀子さまの動きに疑問の声も 話を一旦ここで、長女の誕生日を迎えた秋篠宮家に移す。紀子さまは娘の誕生日当日の午前0時過ぎ、パールのネックレスとイヤリング、グレーのジャケットにネイビーのタイトスカートという装いで、羽田空港を発たれた。 公益財団法人「結核予防会」の総裁として、オランダのハーグで開かれる「第49回肺の健康世界会議」に出席、結核予防への優れた功績が認められた者にのみ与えられる「名誉会員」の称号を受けるためだ。紀子さまにとっては初めての海外への単独訪問となった。「結核予防会は香淳皇后の令旨により設立された由緒正しい団体です。紀子さまにとって大事な要件なのは理解できます。しかし、結婚問題がなかなか解決しない長女の誕生日に、ひとり海外へ出かけるというのは“さすがに冷たいのではないか”という声も聞かれます。結婚問題が世間から注目され続けているからこそ、その騒々しさから離れたいという思いもあったのではないでしょうか」(別の皇室ジャーナリスト) さらに言えば、オランダ王室と日本の皇室は非常に親しい関係にある。2000年の天皇皇后両陛下の国賓としての訪問や、2006年の雅子さまの静養先としても知られる。「悠仁さまとオランダ国王の長女・次女・三女はあまり年齢が変わりません。紀子さまは来年、皇嗣妃になられますし、将来の天皇の母としても、オランダ皇室との絆を深めておきたいのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト) ただ、もしもそれが目的なら、誕生日は国内で過ごすこともできたのではないかという声も聞こえてくる。「今回の訪蘭のスケジュールを詳しく見ると、名誉会員の称号授与式は26日です。24日の開会式だけ欠席するという判断もできたはずです」(前出・別の皇室ジャーナリスト) そういえば、紀子さまにはこんな“前例”もある。「小室さんが、留学直前の8月上旬に秋篠宮邸を訪れた時、紀子さまはお会いになっていないそうなのです。ちょうど悠仁さまを登山に連れて行き、留守にされていたか、帰宅された直後だった。もちろん、偶然ではないでしょう。今回、誕生日を祝うために小室さんが秋篠宮邸を訪れたら、小室さんと顔を合わせることになります。それを避けたくて、23日に出発というスケジュールを組んだという見方もあるそうです」(前出・別の皇室ジャーナリスト)※女性セブン2018年11月8日号
2018.10.26 07:00
女性セブン

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