桑名正博一覧

【桑名正博】に関するニュースを集めたページです。

80年代初頭、新宿駅西口、小滝橋通りにあった新宿櫨風呂前で入場を待つファンたち
「ロフト」事件簿 異臭ライブでスタッフ全員「やめます」
 新型コロナウイルス感染拡大のなかで、“3密の元凶”としてバッシングを受けたのがライブハウス。“日本のロック”誕生の立役者である、老舗ライブハウス「ロフト」も窮地に追いやられた。 今年3月、「LOFT HEAVEN」(東京・渋谷)でコロナ感染者発生の報を聞いた「ロフト」創業者・平野悠さん(76才)は「まさか、うちで……!?」と呆然としたという。緊急事態宣言は発令前だったものの、入場観客数を半分にし、消毒などの予防措置を取った上でライブを開催していた。しかし、出演者はじめ、観客、スタッフが新型コロナウイルスに感染していたのだ。 全国で12店舗を展開するなど、ライブハウスシーンの中心にあるロフト。来年開業50周年を迎えるタイミングでのコロナ禍である。「来年の50周年に向かって絶好調だったのに、今回のコロナで木っ端みじんですよ。僕の頭もぶっ飛んだよね」(平野さん) 現在、ロフトは観客数を減らして感染対策をしながら、営業中。オンライン配信を中心に存続の道を模索中だ。「客席とステージの丁々発止、“何かが起こる”予感が快感であって、その空間にいた人だけが共有できる特別な瞬間がある。それがライブハウスの醍醐味であり、音楽の力なんです」 平野さんがそう語るように、ロフトの長い歴史の中には、多くの”事件”も起きている。そこで、ロフトの歴史とカオスな事件簿をまとめた。◆1971年 ジャズ喫茶・烏山ロフト開店 レコード枚数の少なさに呆れた客が自分のレコードを持ち寄るうちに、あらゆるジャンルの音楽が流れる空間となった。常連に、東京藝術大学の大学院生だった坂本龍一がおり(近所に住んでいた)、水割り1杯と引き換えに、女子大生のレポートを代筆していたという逸話が残る。◆1973年 西荻窪ロフト開店 生ライブのできる店を目指し、西荻窪ロフト開店。楽屋もなくトイレも観客と共用だったが、当時演奏する場のなかった多くのミュージシャンは喜んで出演した。オープニングの10日間ライブには山下洋輔トリオ、頭脳警察、鈴木慶一、桑名正博、南佳孝、なぎら健壱など錚々たる顔ぶれが登場。山下洋輔の演奏中、隣の魚屋の主人が出刃包丁をもって「うるさい!」と殴り込んできたことも。◆1974年 荻窪ロフト開店 第1次ライブハウスブームの幕開け。大手レコード会社に与せず、自分の好きな音楽を発信するティン・パン・アレー(細野晴臣、松任谷正隆、林立夫らを中心とした音楽ユニット)と、大滝詠一、シュガー・ベイブ時代の山下達郎や大貫妙子、荒井由実などが出演していた。 荻窪ロフト恒例のセッションでは、狭くてステージに上がれない荒井由実、吉田美奈子、大貫妙子、矢野顕子の即席コーラスグループがカウンターの中で歌ったこともあった。 シュガー・ベイブの解散式もここで行われた。そのほかフォークの重鎮・高田渡や友部正人、森田童子、大阪から月1で桑名正博、南佳孝、ムーンライダーズ、シーナ&ロケッツなども出演していた。◆1975年 下北沢ロフト開店 店員バンドだったサザンオールスターズが閉店後に練習し、月1回ライブを行った。タモリも、伝説のシークレットライブ後、何度か出演している。また、ブレーク前のRCサクセションやカシオペアもいた。そのほか、金子マリ、Char、上田正樹、憂歌団、中島みゆき、大橋純子などが出演。◆1976年 新宿ロフト開店 収容人数300人を誇り「ロックといえば新宿ロフト」と称されるほど、ロックを志す人々の聖地となる。フリーペーパー「Rooftop」の発行やレーベル立ち上げなど、ロフトがライブハウスの枠を超えた存在となった時期。 また、あの内田裕也も初登場。“ロフト・ニューウェイブ御三家”ARB、アナーキー、ザ・ルースターズが登場し、人気を博した。 この頃よりザ・ロッカーズやザ・モッズ、シーナ&ロケッツ、暴威など、ロック色の強いバンドが活躍。ザ・スターリンやアースシェイカーなどのパンクやメタルバンドのほか、テクノといった新たなジャンルのバンドの出演が増えていった。◆1980年 自由が丘ロフト開店 大人が楽しめるスタイリッシュなロックバーを目指した。2018年閉店。◆1991年 下北沢シェルター開店 新宿ロフトに立ち退き問題が浮上した際の“避難所(シェルター)”として開店。エレファントカシマシや、若者を中心にブームとなったメロディック・パンクシーンを牽引したハイスタンダードなどが腕を磨いた。◆1995年 ロフトプラスワン開店 ジャンル制限なし、タブーなしのトークハウスライブ。日々想定外のハプニングが……。席亭は平野さん。◆毎日がカオス! ロフト事件簿【1】ギャラの代わりに飲み放題 集客にかかわらず1バンド1万5000円を出演料として払っていたが、赤字続きで方針転換。【2】チャージ全額バック制 ギャラの固定制をやめ、成功報酬型のシステムを開発。本来は店の収入となるチャージ(入場料)を全額出演者に渡し、採算は飲食の売り上げで立てることにした。【3】森田童子「ここで歌わせてください」と西荻窪ロフトを訪れたときから突然の引退までの8年間、時代がロック全盛になっても、伝説のシンガーはロフトのステージに立ち続けた。「50年の歴史のなかで、最も印象に残っているアーティスト」(平野さん)。2018年に逝去。【4】伝説のタモリ「4か国語麻雀」東京初ライブ 1975年、山下洋輔や筒井康隆、赤塚不二夫らがカンパで福岡からタモリを呼び寄せ、「4か国語麻雀」を披露したのが下北沢ロフト。山下から「タダで貸してくれと頼まれて。飲食代だけはさすがに払ってもらった」(平野さん)。【5】パンクバンドの阿鼻叫喚 武闘派のアナーキーは、ザ・スターリンの演奏中に客席からボトルやグラス、パイプ椅子を投げるなどやりたい放題。この暴動を契機に、店では飲み物をグラスから紙コップに変えて出すようになった。【6】全員やめます! ノイズバンド・非常階段が納豆、嘔吐物、尿、ミミズなどをまき散らした過激ライブの翌日、平野さんは、異臭たちこめる新宿ロフトのスタッフ全員に呼び出され、こう告げられた。その後、非常階段は出入り禁止となった。【7】BOOWY生意気伝説 平野さんが知人から「元暴走族ですが、将来性のある音を出すのでどうか面倒を見てやってください」と泣きつかれたのが群馬・高崎の“暴威”。けんかや遅刻上等の不良バンドだったが、氷室京介、布袋寅泰が生み出すエッジの効いたサウンドで、すぐに人気バンドに。1982年、BOOWYに改名、1987年に解散。(『BOOWY』の3文字目は、ストローク符号付きのO)※女性セブン2020年9月24日
2020.09.21 07:00
女性セブン
桑名正博が息子・美勇士に抱きつき大粒の涙をこぼした日
桑名正博が息子・美勇士に抱きつき大粒の涙をこぼした日
 桑名正博(旧芸名・将大)さん(享年59)の息子で、バンド・トライポリズムのボーカルとギターを担当する美勇士(35才)。「父の日」のこの日、面影を振り返り在りし日の桑名さんと現在の心境を語った。 * * * 幼い頃に離婚した両親。桑名正博さんを「オヤジ」と呼ぶには、ずっと抵抗があった。母親のアン・ルイスは、超売れっ子の歌手。週末、アメリカンスクールの寮からアンさんの元に戻り、朝、母親が出演しているテレビに「マミー、おはよう」と声をかけても、もちろん何も応えてくれない。 桑名さん、アンさん、少年時代の想い出一つ一つが、ぼくを強くしたと思っていますよ。 中学時代は大阪で桑名さんと暮らした。桑名正博は人生が音楽のような人だ。桑名さんはシャイで寂しがり屋だった。大阪・ミナミの焼肉屋に向かう途中で友達に電話をし、呼び寄せた仲間と店で騒いで盛り上がるのだが、ふとひとりになりたくなるのだろう。ぼくに財布を渡して会計を任せ、店から姿を消すことが多かった。 一方で、桑名正博の武勇伝は数多い。父親の時代、ロックをやれば不良だったが、音楽には実にマジメだった。ライブの打ち上げで、「あのパート、ミスっただろう」と、けんかが始まる。止め役はいつもぼくだった。 桑名さんのけんかには理由があったのだが、18才のあのときは違った。風邪薬をのんだ桑名さんは、ライブの打ち上げで酒が入り、メロメロになり、ステージのミスを爆発させ、周りの人を殴り始めたのだ。止め役のぼくが桑名さんに飛び蹴りを食らわせると、「てめえ、ふざけんな!!」 ぼくに殴りかかってきて、お互いに血が出る大げんかになった。 親子の縁を切ってやる! 父親と連絡を絶ち2年ほどしたある日、渋谷のライブハウスで桑名さんと一緒になる機会があった。打ち上げが盛り上がると、「ちょっと裏に来んかい」と呼び出される。2人だけになると、「美勇士、ごめんな…」 桑名さんはぼくに抱きつき、大粒の涙を流した。父親が子供のぼくに、初めて頭を下げた瞬間だった。「わかったよ、もういいよ…」 ぼくも父親に抱きついた。わだかまりなく桑名正博を「オヤジ」と呼べるようになったのは、振り返ると、あの一件からだったような気がする。 酒もたばこもやり、寝ずにライブのリハーサルをこなす。そんな親父がポキッと折れるときが来るかもしれない、という予感はあった。「おれ、2人目の子供ができた」「よかったやないか」そんな会話が最後になった。脳幹出血という疾患は突然、襲ってきた。 延命処理に関してはよかったと思っている。親父は眠ったまま104日間生きた。ぼくはたくさんの涙を流し、心の準備はできたし、何百人もの人が親父と最後のお別れができた。 葬祭場の音楽葬の後、大阪市役所からミナミまで、芸能人の葬式でパレードをしたのは親父が初めてだろう。市民は大阪が生んだロックスターとして見おくってくれた。最後の場が飲み明かしたミナミだったのはいい供養になった。 肉体的にも精神的にも、拳で語り合った親父はよき先輩であり友であり、よき父親だったと実感している。今、親父を超えたと思えるのは、ぼくには4人の子供がいること。叶うなら、4人の孫たちを親父に見せたかった。 親父が亡くなって4年、さほど寂しさを感じないのは、命は継がれていくことを実感しているからに違いない。※女性セブン2016年6月30日号
2016.06.19 07:00
女性セブン
石橋貴明“舞台降板”長女・穂のかと妻・鈴木保奈美の板挟み
石橋貴明“舞台降板”長女・穂のかと妻・鈴木保奈美の板挟み
<積み重なったストレスが原因で、症状は重度との診断でした>──8月18日、とんねるず・石橋貴明の娘・穂のか(24才)は自身のブログで、舞台『タクシードリーマーズ~あったかハートに夢のせて』を降板した経緯をこう綴った。 この舞台は、亡くなった桑名正博さん(享年59)とアン・ルイス(57才)の長男・美勇士(32才)や布川敏和(48才)とつちやかおり(48才)の長男・布川隼汰(20才)など二世タレントが大集合することでも話題となっていた。 同じような環境で育った共演者ゆえ、結束も強かったように思えるが、その中で穂のかは孤独感を募らせていたという。「稽古の合間には親の話なんかで盛り上がったりするんですが、穂のかさんは父親のことを話すのが大嫌いなんです。それどころか、“二世タレント”であることさえ、彼女にとっては複雑な思いがあるんですから…」(舞台関係者) 1988年、穂のかの母である元モデルのA子さんと結婚した石橋。翌年に穂のかが生まれたが、1998年10月、石橋の度重なる女性問題が引き金となり、離婚。当時、穂のかはまだ小学3年生だった。「彼女はお父さんのことも大好きでしたが、幼いなりに、離婚の事情をわかっていたんです。お母さんをこれ以上悲しませてはいけないと離婚を受け入れたそうですよ」(A子さんの知人) しかし、その離婚からわずか2週間後、石橋は鈴木保奈美(47才)とのできちゃった再婚を発表した。A子さんと穂のかは再婚どころか交際さえ知らなかったという。 高校を卒業すると、父親の名前を隠し、「穂のか」と名乗り、映画のオーディションを受けた。2008年にデビューしてからはドラマや舞台にも次々と出演し、順風満帆な芸能生活を送っているかに見えた。だが一方で、穂のかは次第に追い詰められていったという。「貴明さんは穂のかちゃんが自分をどう思っているか知っているから、自分からはあえて連絡をとったり、サポートをしたりはしないのですが、穂のかちゃんの方が逆に“自分は大したことないのに、父の七光りで仕事が入ってくるだけ”って自分を追い込んでしまっていたんです」(芸能関係者) そんな娘の異変を、もしかしたら石橋はうすうす気づいていたのかもしれない。しかし、彼は穂のかに安易に手を差し伸べられる状況にはなかった。「保奈美さんと3人の娘さんとの生活もありますからね」(テレビ局関係者) 穂のかは2009年7月の20才の誕生日に、石橋から「時間を大切にしなさい」とシャネルの時計をプレゼントされた。それを会見で「愛が入っているからうれしい」と話したことがあったが、これが保奈美の逆鱗に触れたというのだ。「穂のかさんの発言の件を、保奈美さんは貴明さんにずいぶんきつく言ったそうですよ。貴明さんは“板挟みで困ったよ…”ってこぼしていましたから。それ以来、貴明さんと穂のかさんはあんまり連絡をとらなくなってしまったそうです。穂のかさんも、保奈美さんの思いを知ってか、父親と距離を置いていました。だから貴明さんは、今回の舞台中止という窮地に彼女が陥ったこともニュースで知ったそうです」(前出・テレビ局関係者)※女性セブン2013年9月5日号
2013.08.22 16:00
女性セブン
セクハラ騒動日テレ元P 中身は古いタイプのギョーカイ人
セクハラ騒動日テレ元P 中身は古いタイプのギョーカイ人
 6月1日、日本テレビの報道番組『NEWS ZERO』のキャスター、山岸舞彩アナ(26)にセクハラ行為をした疑いで、同番組のプロデューサー・Y氏が更迭された。 Y氏は、山岸アナに「2人だけで反省会をしよう」と迫り、断わられると今度は徹底的に彼女を無視するというパワハラまがいの態度をとった。 日本テレビ関係者がいう。 「悩みに悩んだ山岸アナが周囲に相談したことで事態が発覚した。Y氏は、歴代女性キャスターや女性スタッフにも“2人だけの反省会”を持ちかけていたらしい。情報カルチャー班を統括しながら、報道も音楽関係も手がける“ヤリ手”として有名だったんですが……。女性に関しては粘着質なところがあった」 Y氏の風貌はおよそ「セクハラ」というイメージとはかけ離れたものだった。 桑名正博を彷彿とさせるミュージシャン風のゆるいパーマをあて、光沢のあるスーツに、先のとがった革靴でキメている。社内でも肩で風を切るように歩いていたという。 「一度会っただけの人でも“○○ちゃ~ん”と友達扱い。中身はいわゆる古いタイプのギョーカイ人ですよ。これもギョーカイ人によくある話ですが、上司や大手プロダクション幹部には平身低頭でも、自分より立場の弱い者にはとにかく高圧的。“オレ、福山(雅治)と友達だから”という決めゼリフで女性に迫っていた。だけど、まさか山岸アナほどのビッグネームにもそのノリで詰め寄るとは……。勘違いも甚だしい」(前出・日テレ関係者)  時代は変わった。女性の社会進出が進んでいなかった時代ならまだしも、いまや、どんな企業でも女性スタッフへの接し方や言動は、日本に定着した新しい常識にのっとっている。それは単に女性へのハラスメントという問題にとどまらず、企業の価値・評価を大きく左右するスタンダードである。だから今回の出来事は、テレビ界にはまだこのような「前時代の遺物」ともいうべき悪徳プロデューサーが存在するのかと、驚きをもって受け止められたのである。※週刊ポスト2013年6月21日号
2013.06.10 07:00
週刊ポスト
故・桑名正博さん バーでやしきたかじんと20曲熱唱した夜
故・桑名正博さん バーでやしきたかじんと20曲熱唱した夜
 病室は“奇跡”を信じる声で溢れていたという。「普段のマサやんは、テキーラ一気飲みしたりする酒飲みで、酔っ払いで、女好きで、不良やけど、とってもシャイで、ナイーブな少年みたいな人やった。だから、彼が倒れたとき、芸能人だけやなく、彼と遊んでいた街場のちょい悪親父たちや、私たちネオン街の女たちも病院に駆けつけて、“まさひろ!”“マサやん!”って、病室で彼の体をさすり、声をかけて彼の回復を願っていたんです」(大阪ミナミのママ) 今年7月、脳幹出血で倒れ、10月26日に心不全で亡くなった桑名正博さん(享年59)。死後には、隠し子の存在や、彼の死を悼む愛人たちの鉢合わせが話題になったが、彼が倒れたとき、病院に多くの飲み仲間が駆けつけたことはあまり報じられていない。 親交があった『アメリカ村のママ』故・日限萬里子さんが亡くなった際、訃報を知らせなかったにもかかわらず、すぐさま東京から駆けつけたという桑名さん。その後、一周忌や、三回忌の際にもギターを片手に現われ、歌が大好きだった萬里子さんの遺影の前で、何曲も弾き語りを披露したという。萬里子さんの弟・満彦さんがいう。「裏さびれたスナックでもラウンジでも興が乗ればギター一本で歌い出す。かつて大阪のとあるバーでやしきたかじんと一緒になったときは、二人で20曲以上歌いあったことも。その場の客はホンマ、ラッキーやった」 前出・ミナミのママが豪快だった酒場伝説をこう振り返る。「道で声をかけられた見ず知らずの人を連れてきて、みんなで飲んだり歌ったりするから1回会っただけでファンになる人も多かった。矢沢永吉の歌を歌う客がいると、“それ、オレらのライバルだぜ”とイタズラっぽい口調でいったりね」 あの世でも宴の中心にいることだろう。※週刊ポスト2013年1月1・11日号
2012.12.31 07:00
週刊ポスト
勘三郎、地井武男、山口美江…2012年著名人物故者を偲ぶ
勘三郎、地井武男、山口美江…2012年著名人物故者を偲ぶ
 2012年もいよいよ今日限り。今年も多くの著名人が惜しまれつつこの世を去った。追悼を込めて、2012年、不帰の客をここに記す。 中村勘三郎 宮史郎 三宅久之 桜井センリ 小沢昭一 藤本義一 桑名正博 若松孝二 山田吾一 大滝秀治 アンディ・ウィリアムス ニール・アームストロング 内藤武敏 浜田幸一 津島恵子 三木睦子 山田五十鈴 地井武男 伊藤エミ 遠藤太津朗 中原早苗 日暮修一 小野ヤスシ 三笠宮寬仁殿下 三崎千恵子 尾崎紀世彦 新藤兼人 邱永漢 ホイットニー・ヒューストン 安岡力也 山口美江 吉本隆明 シルビア・クリステル 淡島千景 二谷英明 中曽根蔦子ほか 弔悼※週刊ポスト2013年1月1・11日号
2012.12.31 07:00
週刊ポスト
桑名正博氏の“もう一人の息子”病室で初めて“親父”と呼ぶ
桑名正博氏の“もう一人の息子”病室で初めて“親父”と呼ぶ
 104日間の闘病の末、10月26日に亡くなった桑名正博さん(享年59)。桑名さんには前妻のアン・ルイス(56才)との間に長男・美勇士(31才)、妻・栄子さん(49才)との間に次男・錬(24才)がいるが、それ以外にもうひとりの息子がいた。 その息子とはロックバンド・虹艶Bunnyでギターボーカルを務める露敏(ろびん・28才)。父への思いを聞くために露敏を訪ねると、“桑名さんの名誉を守るため、誤解を生まないために”と、重い口を開き、慎重に言葉を選びながら、答えてくれた。父と同じ芸能界の道へと進んだことについて、こう話す。「役者として初めて“芸事”に触れたときに、父の偉大さを知って、“自分の父はすごい”と尊敬の念を抱くようになっていきました」 芸能活動を通じて、父への思いを強くしていった露敏。また、桑名さんとアン・ルイスとの長男・美勇士とも音楽を通じて親交を深めた。「美勇士とは、話していても感覚的に気が合う感じですね。彼も、なんとなくぼくらが“兄弟”ということは知っていたと思います」(露敏) 昨年末、虹艶Bunnyは美勇士のプロデュースで年越しライブを成功させ、露敏はミュージシャンとしての自信をつけた。そして父と同じ音楽の道で生きようと決心し、初めて「ふたりきりでゆっくり話をしたい」と思うようになっていたという。 しかし、ようやく父と向き合おうとした矢先、悲劇は起こった。桑名さんが脳幹出血で倒れ、意識不明となってしまったのだ。露敏はその知らせを受けると、すぐさま桑名さんが入院していた大阪の病院へ向かったという。「1日だけでしたが、一晩中付き添いました。そのとき偶然、病室で桑名さんとふたりきりになった時間があって、思わず手をギュッと握って…生まれて初めて“親父”と声をかけました。本当に“死なないで”と願いましたね」(露敏) これが桑名さんと露敏の最後の父子対面となった。 10月26日、露敏はライブを控えていた。その開始2時間ほど前に、母親から連絡が入り、“父”の訃報が伝えられた。「もちろんショックでしたが、親父のことはライブが終わるまでは考えないようにしました。桑名さんに、自分のことを“誇れる息子”と思ってほしかったので、逆に気合いが入りました」(露敏)※女性セブン2012年11月22日号
2012.11.09 07:00
女性セブン
故桑名正博さんの隠し子「言葉交わさずとも優しさ感じた」
故桑名正博さんの隠し子「言葉交わさずとも優しさ感じた」
 7月に脳幹出血で倒れ、104日間の闘病の末、10月26日に亡くなった桑名正博さん(享年59)。桑名さんには前妻のアン・ルイス(56才)との間に長男・美勇士(31才)、妻・栄子さん(49才)との間に次男・錬(24才)がいるが、それ以外にもうひとりの息子、すなわち“隠し子”がいた。 その隠し子とは、ロックバンド・虹艶Bunnyでギターボーカルを務める露敏(ろびん・28才)。2006年、舞台で役者デビューを果たした彼は、翌年にはドラマ『演歌の女王』(日本テレビ系)などにも出演。さらには演出家・蜷川幸雄(77才)にもその才能を認められ、蜷川作品にも数多く出演している。今年3月からは、バンド活動に専念することを決めたミュージシャンだ。 桑名さんの妻・栄子さんに話を聞くと、「えっ!? 何のことですか!? 露敏くんのことは小さいころから知っていますが、桑名の友人の子と聞いてますけど…」と否定した。しかし、露敏が家族と暮らす都内の自宅を訪ねると、祖母が困った表情を浮かべながらも、こう答えてくれた。「いろいろと問題が起こって迷惑をかけてはいけませんから、あの子は“父親”のことを口には出してこなかった。私たちは、あちらに迷惑がかかることは一切望んでいなかったので、認知はしてもらっていませんが、確かに桑名さんは露敏の父親ですよ…」 露敏の母親は、桑名さんがアンと別居中に知り合い、露敏を身籠もったという。そして、桑名さんがアンと離婚した1984年に、露敏は誕生している。父への思いを聞くために、露敏を訪ねると、当初は、「桑名さんのご家族は(父子関係を)知らないかもしれないので、迷惑をかけることになるから…」の一点張りだった。だが、“桑名さんの名誉を守るため、誤解を生まないために”と、重い口を開き、慎重に言葉を選びながら、答えてくれた。「桑名さんが父親だと聞かされたのは、小学校低学年の頃だったと思います。音楽をやっている著名なかただとは聞いてたんですけど、当時のボクはまだ幼かったので、よくわかっていませんでした」 中学生ぐらいになると、テレビなどで桑名さんを見かけるようになり、“自分の父親”と認識するようになっていったという。そしてその頃、桑名さんと初めて会うことになる。「母と一緒にライブに呼ばれたんです。でも、子供ながらに何かを察したんでしょうね…“お父さん”と呼ぶことはできませんでした」(露敏) 以降、彼は年1回ぐらいのペースで桑名さんと会うようになった。キャンプに行ったり、川で遊んだり…。それでも、父との触れ合いはごく限られたものだった。露敏はこう話す。「物心ついたときから、“父親がいないことが当たり前”だったので、寂しさを感じたりすることや不幸だと思うことはありませんでした。でも、誕生日にプレゼントを贈ってくれたり、毎年のようにお年玉をもらったりするときに“気に懸けてくれているんだな”と父の温もりを感じることができました。それに言葉を交わさなくても、優しさは感じることができましたから…」※女性セブン2012年11月22日号
2012.11.08 07:00
女性セブン
浮気性だった桑名正博さん 他人には計り知れない妻との関係
浮気性だった桑名正博さん 他人には計り知れない妻との関係
 今年7月、脳幹出血で倒れた桑名正博さん(享年59)は、結局一度も意識が戻ることなく逝ってしまった。数々の浮名を流してきた桑名さんを看取ったのは、妻の栄子さん(49才)だった。 桑名さんと妻・栄子さんが出会ったのは1983年頃。当時、桑名さんは1980年5月に結婚した前妻のアン・ルイス(56才)と婚姻中だった。 桑名さんは1984年にアンと離婚。息子の美勇士(31才)の親権はアンが持つことに。桑名さんと栄子さんは、しばらくは籍を入れずに、同棲生活を続けていたが、彼女の妊娠をきっかけに1987年11月に結婚。翌年2月には次男・錬(24才)も誕生し、ようやく幸せな家庭を手に入れたかに見えた。しかし、桑名さんの女性問題は後を絶たなかった。「桑名さんは、アンさんのときよりはずいぶん飲みに行くことが減りましたが、やっぱりモテますからね。ガールフレンドも多いし、お酒が回ってつい口説いちゃうなんてこともよくありました」(音楽関係者) 夫のために懸命に尽くす栄子さんにとっては、心がざらつくこともあった。「基本的に浮気は絶対に許しません」というのが、栄子さんの本心だったが、「行為自体じゃなく恋愛がしたい」と無邪気に語る桑名さんを、いつも最後は許してしまったのだという。「夫の浮気を許しているわけではないですが、桑名さんの女癖に関してはもう病気だって諦めていたんですよ」(栄子さんの知人) 桑名さん自身、こんなことを語ったことも。「女性や音楽のことも含めてぼくはビョーキやからね。いちばん必要なのは看護師さん、完全看護してもらいたい」 どこまでも明るく無邪気な桑名さん。浮気相手とホテルに行き、ベッドの上から栄子さんに「この女、やらしてくれへん」と電話したときも、栄子さんは「そこまで引っ張っていったらやらせなさいよ」と浮気相手に言い放ったこともあったという。信じ難い話ではあるが、この夫婦には他人では計り知ることのできない関係が築き上げられていたのかもしれない。※女性セブン2012年11月15日号
2012.11.02 07:00
女性セブン
寺田農と訴訟中の女性 元愛人・桑名正博さんへの募金箱設置
寺田農と訴訟中の女性 元愛人・桑名正博さんへの募金箱設置
 10月26日に亡くなった桑名正博さん(享年59)の“治療費のカンパのため”という募金箱が、都内にある桑名さんの行きつけの飲食店4か所に、10月に入って設置された。この募金箱を作ったのは、寺田農(69才)との婚約不履行問題で民事訴訟中の尾台あけみさん(56才)だ。「私は桑名さんの個人事務所のマネジャーをしているんです。5年前、桑名さんと彼の奥さんが私を助ける意味でマネジャーにしてくれたんです。このカンパは私の個人的な気持ちで勝手にやらせてもらっています。病院側からの説明で治療費が大変なのは把握していました。私にできることは、こんなことしかなかったんです…」 寂しげな表情を浮かべ、ゆっくりと言葉を選びつつ語った尾台さん。その裏には、桑名さんの妻・栄子さん(49才)との複雑な事情が隠されていた。実は、桑名さんと尾台さんは愛人関係にあったのだ。事情を知るテレビ関係者はこう話す。「3年くらい前ですかね。いつも桑名さんと一緒にいる尾台さんに“どちらさまですか?”って聞いてみたんですよ。すると彼女は“桑名のマネジャーです”って名乗ったんですけど、その直後に“今、一緒に住んでいます”って言うんです。桑名さんには奥さんがいるから“えっ?”って聞き返したら“送り迎えをしたり、犬の散歩をしたり…フフフ”って。桑名さんは大阪の家以外にも軽井沢に別荘を持っていて、そっちで一緒に住んでいるって話していましたね」 そして、尾台さんは当時についてこう振り返る。「私は嘘はつきたくないんです。“つきあってません”なんて言ったら、その時期に出会った人たちに嘘をつくことになってしまいますから。でも、はっきり言って、それは奥さんも、美勇士(桑名さんの息子)も含めて、みんな知っていたことです。愛人というより“カノジョ”だと、みんな知っていました。桑名さんは隠し事ができる人ではありませんから」 桑名さんと不倫していたことを知った栄子さんはもちろん激怒。尾台さんを呼び、厳しく叱りつけたこともあったという。結局、これをきっかけにふたりの関係は終わりを迎え、その後、尾台さんは寺田と交際をスタート、事実婚状態になる。だが、そこで尾台さんは思わぬ裏切りにあったと語る。「5年ほど前に、寺田さんと結婚するって話になって、それまで経営していた料理店を閉めたんです。それで、彼の現場に付いて行くようになったんですが、寺田さんのマネジャーには、それが面白くなかったようで“現場には出てくるな”ということになって。 仕事もなくなり、さらに当時、私は人に騙されてお金にも困っていて…。そこで、そのことを知った桑名さんと栄子さんから“それなら(桑名さんの)マネジャーをしてくれないか”って話をもらって。それで助けられたんです。5年ぐらい前のことです」※女性セブン2012年11月15日号
2012.11.01 07:00
女性セブン
【同業者が選ぶゴッドハンド医師:脳編】くも膜下回復率8割
【同業者が選ぶゴッドハンド医師:脳編】くも膜下回復率8割
 自分や家族が病気にかかったとき、最高の医師にめぐり会いたいというのが誰しもの本音だろう。誰が本当の名医かを知るのは、同業者である外科医たちだ。今回、【脳神経外科医】について、「神の手(ゴッドハンド)」を持つ天才外科医を紹介する。  脳出血や脳梗塞で突然倒れる著名人は多い。最近では、歌手の桑名正博(59)が脳幹出血で意識不明となり今も闘病中だ。生死に直結する脳外科分野では、迅速な診断と的確な手術がものをいう。わずかな判断ミスでも命取りになるため、どんな場面でも対処できる豊富な経験を持った医師が名医の条件ともいえる。「帝京大学医学部附属病院院長の中込忠好先生は脳動脈瘤の開頭クリッピング術を得意としています。豊富な手術経験と幅広い知識を持つ信頼できる脳外科医です」(脳神経外科病院院長) 脳外科手術の中でも、くも膜下出血のクリッピング手術は、誰が執刀したかで術後の回復に大きく影響する。手術数約700例、未破裂脳動脈瘤では約270例の予防手術経験を持つ中込医師はこう話す。「手術の基本は注意深く、丁寧にやるということです。くも膜下出血は治療がうまくいけば、かなりの人が社会復帰できる。それを可能にするために手術や術後の管理に努力します。順調に回復する(グッドリカバリー)割合は、3日以内に手術した人では8割です」 平均値は約5割といわれており、他の医療機関と比べると社会復帰率の高さが際立つ。※週刊ポスト2012年9月14日号
2012.09.08 16:00
週刊ポスト
桑名正博 亡父から継いだ会社が倒産し軽井沢で穏やかな生活
桑名正博 亡父から継いだ会社が倒産し軽井沢で穏やかな生活
 病室のベッドに眠ったように横たわる桑名正博(58才)の手を握り、妻と妹・晴子(56才)は休むことなく声をかけ続けていた──。 7月15日早朝、大阪市内のマンションで脳幹出血のため倒れた桑名は、すでに自発呼吸はなく、家族は最悪の事態を覚悟し、延命治療を拒否したという。 かつて、ロック界の貴公子と称されたこともある桑名だが、その半生は波瀾の連続だった。1971年、ロックバンド「ファニー・カンパニー」のボーカルとしてデビューした桑名。しかし、ヒット曲に恵まれぬまま3年後には解散してしまう。その後、ソロとして活動するも、1977年にはコカインの所持で逮捕される。「ヒット曲がなくトラブルの絶えなかった桑名さんが、その後もライブを開いたり、レコードを出し続けてこられたのは、彼のお父さん(享年71)が資金面で援助してきたからでした」(音楽関係者) 桑名の実家は、江戸時代から大阪港で回船問屋を営んでいた旧家で、桑名は7代目。父は貸倉庫業やゴルフ場経営などを手がける資産家だった。しかし、そんな家柄に桑名は反発し、高校を中退。それでも父は決して息子を見放すことなく、事務所にかけあい、金銭的にもバックアップしてきた。 その後『セクシャルバイオレットNo.1』のヒットを出し、ロックスターの座に駆け上がった桑名だが、2000年に転機が訪れる。父の死が桑名に運命を悟らせることになったのだ。「父への恩返しにと、大阪に帰って会社を継いだのですが、すでにその時、バブル崩壊のあおりを受けていて、経営は火の車だったんです。桑名さんは音楽活動も最小限に抑えてがんばったのですが、700坪はあった父の大豪邸を売り払っても立て直せませんでした」(桑名の知人) そうして、家も会社も失った桑名。「静かな生活がしたい」と、2006年に生まれ育った大阪を出て、長野・軽井沢での生活をスタートさせていた。穏やかな日々のなか、桑名は気がつくと、ギターを握っていた。 2010年、そんな父の姿を見た息子の美勇士(31才)は、母のアン・ルイスに、「親子3人でステージに立ちたい」と提案。アンも息子の願いに「タイミングが合えば」と答えていたという。※女性セブン2012年8月2日号
2012.07.19 07:00
女性セブン

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