松田優作一覧/2ページ

【松田優作】に関するニュースを集めたページです。

美人姉妹を大研究(Getty Images/時事通信フォト)
芸能界美人姉妹列伝 トクをするのは姉妹どっちか
 広瀬すず・広瀬アリス姉妹など、美人姉妹が昨今の芸能界を席巻している。日本中が注目する10組についてまとめてみた。●姉妹同時の大ブレイクで時代の寵児に【姉】広瀬アリス(24・女優)【妹】広瀬すず(20・女優) 映画『海街diary』『ちはやふる』から朝ドラ『なつぞら』で妹・すずがリードしているが、2017年の朝ドラ『わろてんか』などで姉・アリスの評価も上昇。現在、姉妹ともに売れっ子女優として引く手あまた。●人気女優筆頭株の妹を整形告白した姉が追う【姉】有村藍里(28・グラドル)【妹】有村架純(26・女優) 姉・藍里は2006年頃から「新井ゆうこ」として活動。妹・架純は2010年のデビュー後、2013年のNHK朝ドラ『あまちゃん』で脚光を浴び、2017年には同『ひよっこ』でヒロインに。姉は今年美容整形をしたことで話題に。●平成を代表する美人姉妹といえば、この2人【姉】石田ゆり子(49・女優)【妹】石田ひかり(47・女優) 16歳の姉・ゆり子が自由が丘でスカウトされた数日後、13歳の妹・ひかりも同じ事務所に二子玉川でスカウトされた。ドラマ『あすなろ白書』主演などで姉より早く脚光を浴びたひかりだが、現在はゆり子も癒し系女優として人気を博す。●ともに代表作を持つ稀有な大物女優姉妹【姉】倍賞千恵子(77・女優)【妹】倍賞美津子(72・女優) 女優ながら姉妹ともに売れた稀有な例。姉・千恵子は映画『男はつらいよ』、妹・美津子は『3年B組金八先生』などが代表作。●正反対のイメージで棲み分け上手な姉妹【姉】荻野目慶子(54・女優)【妹】荻野目洋子(50・歌手) 姉は1979年デビュー。1983年『南極物語』で人気上昇。妹は1984年にソロデビュー。一昨年、『ダンシング・ヒーロー』で再ブレイク。●松田優作を射止めた妹と18歳年下男性と再婚した姉【姉】熊谷真実(59・女優)【妹】松田美由紀(57・女優) 母・清子はねじめ正一氏の小説『熊谷突撃商店』『熊谷キヨ子最後の旅』のモデル。姉妹の話も出てくる。●姉・美穂の芸能活動再開で姉妹共演の期待も【姉】中山美穂(49・歌手/女優)【妹】中山忍(46・女優)『世界中の誰よりきっと』などの大ヒット曲を持つ姉・美穂に水をあけられていた妹・忍だが、地道な積み重ねで存在感のある女優に成長。●32年目で初共演した和服の似合う美人姉妹【姉】真野響子(67・女優)【妹】眞野あずさ(61・女優) 1973年デビューの姉、1982年デビューの妹の初共演は、2014年のテレビ東京系のドラマ『マトリの女』。●『聖母たちのララバイ』『タッチ』ともに大ヒット曲を持つ実力派姉妹【姉】岩崎宏美(60・歌手)【妹】岩崎良美(57・歌手)「ヒロちゃん」「ヨシリン」と呼び合う仲良し姉妹。実は、一般人の長女がいる三姉妹。●今や紅白常連ユニット姉妹ならではハーモニーで魅了【姉】安田祥子(77・声楽家)【妹】由紀さおり(70・歌手) 当初は別々に活動していたが、1980年代半ばから姉妹でコンサートを始め、昨年まで姉妹で10度紅白歌合戦に出場。※週刊ポスト2019年6月21日号
2019.06.11 16:00
週刊ポスト
モーガン茉愛羅との結婚を発表した松田龍平
新恋人発覚の松田龍平、あだ名の「ヘイヘイ」に衝撃走る
 俳優の松田龍平が、15歳年下のモデル・モーガン茉愛羅(まあら)と交際していることが判明。その過程で松田の思わぬ素顔が明らかになり、話題になっている。 2009年にモデルの太田莉菜と結婚し、一女を授かるも、2017年に離婚した松田。そんな彼の新恋人のモーガン茉愛羅は、父親がイギリス人、母親が日本人で、ファッション誌やCMでモデルとして活動する一方、女優としても舞台を踏んだ経験の持ち主だ。NEWSポストセブンが15日に配信した「松田龍平と恋人・モーガン茉愛羅、野村周平を巻き込む修羅場」という記事によれば、アパレル関係者の紹介で出会い、今年にはいって交際するようになったという。 新恋人の存在はケンカによって明らかになった。松田の36回目の誕生日の5月9日、松田は友人、元妻の大田、愛娘らと誕生会を行ったが、その会に呼ばれなかったモーガンは、松田の自宅マンション前で大ゲンカ。泣き叫ぶモーガンの姿を見た近所の住人が、「ドラマの撮影かと思った」と話すほど、そのケンカは激しいものだったという。 これについてネットには、「21の彼女だもん。そりゃ彼氏と過ごしたいよ」「子持ちの人と付き合うのは誰でも大変だと思うけど、21歳の子には辛いだろうな」 と、モーガンに同情的な声が上がる一方、「娘さんがいるのをわかっててお付き合いしてるんだったら、引くところは引かないと」「自分の誕生日だったらゴネてもかわいいけど、龍平の誕生日なんだから、彼が過ごしたい方で過ごすのがいいんじゃないかと思うんだけど」 など、彼女の行動をたしなめるコメントも多く寄せられているが、もっぱら話題になっているのは“本筋”とは離れたポイントだ。モーガンはケンカの後、野村周平と、その恋人と報じられたモデルの琉花を呼び出したが、モーガンの話を聞いた琉花は、「ヘイヘイは、ことの重要性をわかっていない!」、野村も「ヘイヘイは逃げちゃダメだよ!」とヒートアップ。松田が「ヘイヘイ」というあだ名で呼ばれていることが判明したのだ。 松田と言えば、父の松田優作ゆずりの鋭い眼光で抜群の存在感を放ち、不良やチンピラなど、一癖も二癖もある役柄が多い俳優。そんな彼が、はるかに年下の野村や琉花に「ヘイヘイ」と呼ばれていたインパクトは大きかったようで、ネットには、「ヘイヘイって呼ばれる松田龍平、、最高にかわいい、、」「松田龍平が野村周平カップルに『ヘイヘイ』って呼ばれてるのが可笑しくて可笑しくて…」「わたしも今日から松田龍平さんのことヘイヘイって呼びたいっていうか呼ぶ」 と、驚きの声が続出。「『ヘイヘイ』が気になって内容が入ってこないのは私だけ?」「松田龍平がヘイヘイって呼ばれてるのが気になりすぎて記事の内容が全然頭に入ってこない」「深刻な内容なのに、ヘイヘイの破壊力が凄すぎる」 など、ヘイヘイというワードに心を奪われる人が続出している。 なぜ松田は、年下の野村や琉花から「ヘイヘイ」という軽いあだ名で呼ばれているのか? ベテラン芸能記者の石田春男氏はこう推測する。「“松田優作の長男”ということで、危険なオーラを身にまとっているイメージの龍平ですが、父の気性の荒さを受け継いでいるのは、どちらかと言えば弟の翔太の方です。龍平はアニメやゲームが好きで、中でも『新世紀エヴァンゲリオン』や『ガンダム』の重度のオタクとしても知られています。穏やかな性格でもあるので、親しみを込めて『ヘイヘイ』と呼ばれているのではないでしょうか」(石田氏) イメージが崩れたのは事実だが、“いい人”と捉えられ、それがいい方向に転ぶこともありそう。ただ、まず取り組むべきは、モーガンとの関係修復ということになりそうだ。
2019.05.17 16:00
NEWSポストセブン
和田正人
“弥次喜多ドラマ”なぜ自由? 過去に長瀬と七之助が恋人役も
 これまで何度もドラマや映画化されてきた、弥次さん喜多さんの珍道中。今、再びドラマ化され、自由な設定が話題を集めている。その見どころについて、時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さんが解説する。 * * * 平成から令和へと変るこの時期に、まさかこの二人に会えるとは思わなかった。BSテレ東で放送中の『やじ×きた 元祖・東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛(松尾諭)と喜多八(和田正人)。ご存知、十返舎一九原作、“江戸最大のベストセラー”ともいわれる『東海道中膝栗毛』の主人公たちである。 女と女房に捨てられた、元役者の喜多八と絵描き気取りの弥次郎兵衛は、伊勢参りの旅に出ることに。しかし、元来のお調子者の二人は、行く先々でトラブルに巻き込まれる。 ポイントは、とにかく二人が女好きなこと。箱根の賭場では、胸の谷間もあらわな壺振りの姐御(水崎綾女)に「うっふん」と目配せされた喜多さんがメロメロに。三島に向かう街道では、弥次さんが、女の旅人(中村彩実)に「袖すり合うも他生の縁、ついでに夜も…」なんてことを言って、「この爺が!!」と罵倒されて土手から転げ落ちる。宿の女将(宮嶋麻衣)が美人だからと、夜中に二人して、彼女の布団に潜り込もうとする節操のなさである。 一方で、違法な誘拐や人を泣かせる盗賊たちには、堂々と立ち向かう二人。パンチもキックも棒術も駆使して大暴れし、たちまち悪人たちを倒してしまう…って、あれ? 弥次喜多って、こんなに強かったっけ? 制作スタッフが、かの『水戸黄門』チームだと聞けば、やっぱりラスタチ(勧善懲悪時代劇に欠かせないラストの大立ち回り)は、やらずにはいられないってことですね。 もうひとつ「やらずにはいられない」のは、このドラマに出てくる十返舎一九先生ご本人。演じているのは、竹中直人。先生は、弥次喜多を密かに見守り、事件の真相をいち早く知らせようと、しばしばメッセージを紙飛行機にしたためて飛ばすのだが、弥次喜多はほぼ無視。 おかげで悪人に見つかった先生は、腹を刃物でブスリとやられてしまう。「なんじゃ、こりゃあああ」って、絶叫する先生。松田優作ジーパン刑事殉職シーンじゃないんだから。しかも、先生は、腹に入れていた分厚い原稿用紙(和紙です)のおかげで無傷だし。  弥次喜多は、江戸の肉食男子という言い方もされているが、「女、女、女…」とうわごとで言うほどの欲望一直線の女好き男は、今どき、現代ドラマではなかなか出せない。お色気あり、下ネタあり(第三話で弥次さんは捕まったままトイレに行けず、便意にともだえながら、ついにその場で…)ができるのも、江戸時代の原作がある時代劇ならではだ。 思えばこの原作は、まったくの別テイストで『真夜中の弥次さん喜多さん』として映画化されている。弥次さん(長瀬智也)と喜多さん(中村七之助)が、熱烈な恋人同士という設定にはファンを驚かせたが、なんだかもう、何が起きてもいい、自由な話なんだということだけは、よくわかった。ネームバリューもあり、自在にアレンジできる弥次喜多の物語が繰り返し、舞台、映画。ドラマになるのも納得だ。 平成から令和へとするりと抜けていく弥次喜多の姿を見ながら、なんだか平成生まれのドラマキャラは、あれはダメ、これはやり過ぎと窮屈になってるなあと思わずにはいられない。江戸キャラは強し。
2019.05.03 16:00
NEWSポストセブン
【関川夏央氏書評】難しいことをひらがなで考えた橋本治
【関川夏央氏書評】難しいことをひらがなで考えた橋本治
【書評】『思いつきで世界は進む 「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』/橋本治・著/ちくま新書/780円+税【評者】関川夏央(作家) 月刊PR誌「ちくま」に橋本治が二〇一八年八月まで五十回連載した批評コラムである。その最終回の話題は「おやじ系週刊誌」だった。「おやじ系」には、(1)お金の話(後期高齢者以後の「経済」と「相続」)と、(2)セックス記事(「まだやれる!」)ばかりじゃないか、と橋本治は書く。昔のアイドルの水着写真などがあるのもその流れのうちだ。つまり加齢への「抵抗」と「回想」。 反面、「社会で起こっていることを伝える記事がほとんど」なく、「閉じつつある自分のことにしか関心が持てない」とはどういうことだと橋本はいう。いつの時代でも「おやじ」の主題とはそんなものだろうが、「平成」の「おやじ」連はいささか度が過ぎると嘆くのは、頭が年をとらず、「いつまで若いんだろう?」と思うと「少しいやになる」橋本だからだ。 昭和二十三(一九四八)年三月生まれ、四十歳まで昭和戦後を生きた彼は、難しいことを「ひらがな」で考え、徹底して「口語」で表現しつづけた人だった。昭和四十三年、モロ肌脱ぎの男の絵に「とめてくれるな/おっかさん」の文字をかぶせた東大「駒場祭」ポスター以来、五十年間過剰なまでに勤勉に働きつづけた橋本治だが、「おやじ系週刊誌」批評の原稿を書いた翌月、上顎洞にがんが見つかった。 ひとつの時代は、時代を代表した人物を連れて去るという。たとえば昭和(一九八九年)は、手塚治虫、美空ひばり、松田優作、まだ若くとも、みな仕事をなしとげて逝った印象がある。しかしこのたびは、膨大な住宅ローンを律儀に返し終えた橋本治が、未完のまま平成をともなって去ったという気がする。『九十八歳になった私』を書いた彼だから、その年齢までは生きるものと私は思っていた。あの橋本が社会評では意外に正統的な発言をするのだと知らされたこの本、『思いつきで世界は進む』の奥付は二〇一九年二月十日、彼が逝って十二日後であった。※週刊ポスト2019年3月29日号思いつきで世界は進む (ちくま新書)
2019.03.24 07:00
週刊ポスト
追悼・平成のスター 佐藤蛾次郎が語る渥美清さんの思い出
追悼・平成のスター 佐藤蛾次郎が語る渥美清さんの思い出
 平成の世が始まると同時に、昭和を華々しく駆け抜けたスターが相次いで亡くなった。“漫画の神”手塚治虫(1989年〈平成元年〉2月9日死去)や“昭和の歌姫”美空ひばり(1989年〈平成元年〉6月24日死去)、カリスマ的な人気を誇った俳優・松田優作(1989年〈平成元年〉11月6日)らが平成元年にこの世を去ったのは、昭和という時代の終焉を象徴する訃報といえた。 医療が飛躍的に発達し、「人生100年時代」が謳われるほど国民の平均寿命が堅調に延びる一方で、平成という時代の中で眩い輝きを放った尾崎豊(享年26、1992〈平成4〉年4月25日死去)や飯島愛(享年36、2008〈平成20〉年12月死去)、小林麻央(享年34、2017〈平成29〉年6月22日死去)など、その早すぎる死に多くのファンが涙した。 1960年代から1990年代まで、長らくお正月コメディとして親しまれた映画シリーズ『男はつらいよ』で共演した俳優の佐藤蛾次郎に、1996年に亡くなった主役の寅さんこと渥美清さんとの思い出を聞いた。「渥美さんにはよく食事をごちそうになったし、かわいがっていただきました。最初の出会いはフジテレビの『男はつらいよ』(1968~1969年)。山田洋次監督に、寅さんの弟分役で出演させていただいたのが始まりです。 訃報を聞いたときは信じられなくてね。その日夕方のテレビ番組に生出演してから、各メディアの取材を受けました。そこで初めて実感がわいて悲しみがこみ上げてきた。いつだったか忘れたけど、渥美さんが費用を出してくださり山田監督、倍賞千恵子さんらとタヒチに遊びに行ったことがある。完全にプライベート。あのときは楽しかったね」※週刊ポスト2019年3月1日号
2019.02.24 07:00
週刊ポスト
芸能人に人気のサウナ ISSAや松田龍平のレベルはどれほど?
芸能人に人気のサウナ ISSAや松田龍平のレベルはどれほど?
 昨今空前のサウナブームが到来している。今年から「サウナシュラン」なるアワードも生まれ、日本全国のサウナー(サウナ愛好家)たちが各店舗を格付けし合うほどの白熱ぶりだ。 そんななか、「サウナシュラン」にランクインしない、ある意味「別格」としてサウナーから一目置かれている施設がある。それが東京・六本木の「X」だ。 芸能界にもこの「X」の愛好家は多い。2012年にTOKIOの松岡昌宏(41才)が脱水症状で倒れたのも「X」。そして、彼を介抱したのが、たまたまサウナに居合わせた吉川晃司(53才)だった。スター同士の触れ合いが日常茶飯事なのは、このサウナならでは。「ぼくがよく見かけるのはオリエンタルラジオの藤森慎吾(35才)かな。以前は週に3~4回ほど来てたけど、最近は頻度が減ってきた。逆によく見かけるようになったのはDA PUMPのISSA(40才)。 彼はSNSでサウナーアピールをしてるけど、ぼくが見る限りサウナに入るより、湯船でスマホをいじってることが多いイメージです。水風呂も苦手なようで入っているところを見たことがない。やっぱりサウナは、水風呂と交互に入ってなんぼだと思うけど」(Aさん) 今年は『U.S.A.』が大ヒット、年末の紅白にも16年ぶりに出演するなど、まさに当たり年だったISSA。しかし、常連サウナーから見ればまだまだサウナ“素人”といったところのようだ。「水風呂が苦手」という有名人は他にもいる。 ドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)で好演中の松田龍平(35才)だ。「2回ほど松田龍平を見かけたけど、父・松田優作の遺伝子をしっかり受け継いでいるからなのか、細くてスタイルがすごくいいのでびっくりしました。でも、水風呂が苦手なようで、サウナと湯船を往復していたよ」(常連客のAさん) 意外な常連客もいる。「リオ五輪銀メダリストの陸上選手、ケンブリッジ飛鳥(25才)の肉体には驚きました。筋肉隆々で一切のぜい肉がなく、彫刻のような体でしたから。深夜に伊集院光(51才)も何度か見かけたことがあります。かつてはデブキャラでしたが、今はすっかりやせていて、それはそれで驚きました」(常連客のBさん) 最後に、こんなトップアイドルの目撃情報も。「サウナに入ったら嵐の相葉雅紀くん(35才)が1人で苦悶の表情を浮かべ、ひっそりと熱さに耐えていたときはさすがにびっくりしました。でも、ぼくがちらちら見ているとこちらの気配に気づいたのか、タオルで肌をさっと隠してすぐ出ていかれてしまって。申し訳ないことをしたなと後悔しています。でも、きれいな体をしていて、友人たちと“おれらも鍛えないとなぁ”と反省しました(笑い)」(常連客のCさん) このように、「有名人の生まれたままの姿を見られる」のがこのサウナの醍醐味。しかし、サウナでは、むやみに話しかけたりせず、互いの“ひとりの空間”を尊重するのがルールのようだ。※女性セブン2019年1月1日号
2018.12.19 07:00
女性セブン
『元気が出るテレビ』は2人の「天才」が組んで実現した
『太陽にほえろ!』 成功を生んだ「殉職」「あだ名」「恋愛」
 1957年に誕生した日本の刑事ドラマの中で燦然と輝く作品が、1972年から1986年まで放送された『太陽にほえろ!』(日本テレビ系・1972年~1986年)。最高視聴率が40%を超え、日本テレビにとって聖域である巨人戦のナイター中継でさえも、金曜の20時枠は回避されていた。 昭和の大スター・石原裕次郎が初めて連続ドラマに挑むという話題性もあったが、人気が爆発したのは「新人刑事の成長と殉職」に焦点を当てたことだろう。初代がマカロニ(萩原健一)、2代目がジーパン(松田優作)、3代目がテキサス(勝野洋)と、新人が交代するたびに国民的ドラマに発展していった。 本作が従来の刑事ドラマと一線を画したのは、「事件と犯人」ではなく、七曲署の捜査一係の面々にスポットを当てたこと。そのため、一人ひとりにフルネームと性格設定、さらにはニックネームを与え、劇中でレギュラーの刑事が出ていない時間が基本的に存在しなかった。 若手刑事たちの青春アクションドラマの一面もあり、恋愛の対象として「女刑事」が存在した。元鬼刑事の父に似て負けず嫌い、ジーパンと婚約しながら愛する人を失ったシンコこと内田伸子(関根恵子)や、ロッキー(木之元亮)との間に2人の子をもうけたマミーこと岩城令子(長谷直美)は、貴重な役回りを担ったのだ。◆取材・文/石田伸也※週刊ポスト2018年10月26日号
2018.10.16 16:00
週刊ポスト
松竹から吉本に流れが変わった
『太陽にほえろ!』 浅野ゆう子が放った裕次郎仰天の一言
 現在、テレビ界では“刑事モノ”が大人気。近年の刑事ドラマでは女性の活躍が目立つが、黎明期での扱いは異なっていた。1961年に『七人の刑事』(TBS系)と、『特別機動捜査隊』(NETテレビ=現・テレビ朝日系)が始まり、お茶の間の人気を博したが、捜査一課は男性ばかりだった。1972年から1986年まで放送された『太陽にほえろ!』で初めて本格的な女性刑事が誕生する。プロデューサーを務めた岡田晋吉氏が振り返る。「刑事ドラマを視聴者にとり身近なものにしたかった。そして長く続けるのが最大の目標だったんですが、出演者が男ばかりだと女性視聴者の興味を引かない。でも当時は現実の警察にも女性刑事は存在しなかったので、少年課の役として登場させ、しばらくしてから女性刑事に昇格させました。大映から(番組制作に関わった)東宝に移籍した関根恵子(現・高橋惠子)さんにお願いしました」 関根演じる内田伸子刑事は、やがて松田優作演じるジーパン刑事と恋に落ちて婚約に至る。その矢先、ジーパンは凶弾に倒れた。111話「ジーパン・シンコその愛と死」(1974年放送)は刑事ドラマ史に残る名エピソードだ。「優作を幸せの絶頂で殉職させれば感動が強くなると思ったんです」(岡田氏)『太陽にほえろ!』の大ヒットで、刑事ドラマブームが再熱する。プライム帯で週11本もの刑事ドラマがあった1975年5月、『Gメン‘75』(TBS系・1975年~1982年)が始まった。映画監督の樋口尚文氏が話す。「藤田美保子さん演じる響圭子は、素朴で庶民的なシンコと異なり、アクションシーンも見事にこなし、国際刑事警察機構にも顔が利くという実務にも長けた刑事だった」 藤田のようなハードボイルドな女性刑事も台頭しつつあったとはいえ、主流は『太陽にほえろ!』でお茶汲み係を務めた青木英美や浅野ゆう子のようなマスコット的な役割だった。「浅野さんは当時まだ中学生。最初の撮影の時、石原裕次郎さんの隣に立ち、『私のほうが脚が長い』と言ったんです。石原さんもビックリしていましたね(笑い)」(岡田氏) 1977年開始の『特捜最前線』では、関谷ますみが清涼剤だった。「画面上だけでなく、男ばかりの撮影に紅一点がいると、雰囲気が和らぐんです。現場のチームワークは視聴者にも伝わりますし、大事な役割です」(樋口氏)◆岡田晋吉:1935年生まれ。1957年に日本テレビに入社し、『青春とはなんだ』『太陽にほえろ!』『俺たちの度』『大都会』など数多くのヒットドラマを手掛ける。現在は川喜多記念映画文化財団非常勤理事を務める。◆取材・文/岡野誠※週刊ポスト2018年10月26日号
2018.10.16 07:00
週刊ポスト
創業90年、男のダンディズムを追求した「マンダム」の歩み
創業90年、男のダンディズムを追求した「マンダム」の歩み
「う~ん、マンダム!」──1970年に始まったCMは、子供から大人まで日本中の男たちを虜にした。武骨で男臭いチャールズ・ブロンソンを起用して一世を風靡した化粧品メーカー「マンダム」が、昨年12月に創業90周年を迎えた。“男の身だしなみ”を追求し、日本に新たな男性コスメティック文化を創造し続ける同社の最初のエポック的な出来事は、金鶴香水株式会社として創業した1927年の6年後、1933年に発売した日本初の植物性固形整髪料「丹頂チック」だった。男性から女性まで爆発的ヒットを記録。戦後も広告に俳優・三船敏郎を起用するなどして不動の人気を獲得、3年後には国内のチック市場の9割を占め、1959年に社名を丹頂株式会社に変更した。 しかし、1962年にライオンが整髪料「バイタリス」を発売すると風向きが変わった。売り上げは激減し、窮地に立たされる。「髪型の流行の変化についていけなかったということです。その反省からマーケティングに力を入れ、さらに『生活者発、生活者着』という当社の理念につながりました」(同社広報部) こうして生まれたのがマンダムシリーズだった。CMに当時の年商の3分の1、10億円の巨費を投じるという、文字通り社運を賭けたプロジェクトは見事成功を収めた。マンダム製品は飛ぶように売れ、翌1971年には社名を株式会社マンダムに改めた。 その後、1970年代後半に再び経営危機に見舞われるが、1978年に発売した新シリーズ「ギャツビー」が萩原健一、松田優作らのCM起用などで人気を呼び、会社は立ち直った。「先入観を捨て、タブーとされる価値観に挑む社風が定着したのはこの時期です。たとえば、洗顔フォーム。当時は女性用と相場が決まっていましたが、男性用として発売してヒット商品に育ちました」(同社広報部) さらに1989年に業界初の無香料男性化粧品「ルシード」、1996年には「外で男がペーパーで顔を拭く」行為を定着させた「フェイシャルペーパー」など、“攻めの商品開発”で市場を切り開く。一方で、女性市場や海外にも進出するなど、創業90年の老舗企業とは思えないチャレンジマインドは、荒野を駆けるブロンソンの姿と重なる。※週刊ポスト2018年9月14日号
2018.09.05 11:00
週刊ポスト
『半分、青い。』で中村雅俊が示した「朝ドラ祖父役」の可能性
『半分、青い。』で中村雅俊が示した「朝ドラ祖父役」の可能性
 岐阜と東京を舞台に、失敗を恐れないヒロイン・鈴愛(永野芽郁)が七転び八起きしながら力強く生き抜く姿を描くNHK連続テレビ小説『半分、青い。』。先週の放送では、中村雅俊演じる鈴愛の祖父・仙吉が亡くなるシーンが放送され、視聴者の涙を誘った。週明け20日の放送では、仙吉がナレーションに再登場したことが大きな話題となった。注目を集め続ける祖父・仙吉について、コラムニストのペリー荻野さんが考察する。 * * * そんなわけで、『半分、青い。』では、ヒロイン鈴愛の祖父・仙吉(中村雅俊)が急逝。ひ孫とのんびり昼寝をしている最中の大往生だったが、やっぱり姿が見えないのはさびしい。突っ走ったり、コケたり、ぼんやりしたりする鈴愛をあのたれ目で温かく見つめ、時には「人間は、強い」などとしみじみした言葉で励ましてくれたお祖父ちゃん。戦前は楽器店に勤めていたという設定で、ギターを持ち出して歌っちゃうというのも新しかった。  思えば、仙吉の活躍には、ふたつの意味が見て取れる。ひとつは「中村雅俊お祖父ちゃん解禁!」ということ。中村雅俊といえば、70年代、『われら青春!』や『俺たちの旅』など日テレの青春ドラマの顔として活躍。刑事ドラマでは文学座の先輩・松田優作と共演した『俺たちの勲章』、大河ドラマでは『花神』で若き高杉晋作役で人気を博した。歌手としても『ふれあい』をヒットさせ、コンサートツアーも精力的にこなすなど、若々しさはずっと変わらない。これまで父親役では前田敦子が娘になった時代劇『あさきゆめみし』(NHK)などがあったが、この『半分、青い。』でついに本格的に祖父役で老けを表現してみせたのだった。  俳優の中には、年相応に役柄を変化させていくタイプと、永遠にイメージをキープし続けるタイプがある。後者の代表が田村正和や加山雄三で、中村雅俊もこちらだとばかり思っていたが、ここへきて、祖父役解禁。なんだかとても楽しそうに見えた。次にどんな「老け」で出てくるのか、注目である。 仙吉人気のもうひとつの意味は、朝ドラで新タイプの祖父役ブレイクの例を作ったということだ。朝ドラでは、ヒロインの相手役がブレイクするのは恒例になってきたが、もうひとつ、「お父さん役俳優がブレイクする」という現象がしばしば起きた。70年代では『雲のじゅうたん』の中条静夫(後にドラマ『あぶない刑事』シリーズの課長役でも人気に)、80年代では『はね駒』の小林稔侍、90年代には『ふたりっ子』の段田安則もいる。 一方、近年は、祖父役も少しずつ存在感が大きくなってきた。『あまちゃん』の祖父忠兵衛(蟹江敬三)は遠洋漁業の現役漁師だったし、『花子とアン』の石橋蓮司は、役名が『赤毛のアン』でアンを育てたマシューにちなんで周造で、口数が少ないキャラもよく似ていた。『あさが来た』でヒロインの孫娘にのびのびした生き方を教えた祖父(林与一)もいい例だろう。だが、たいていは「いかにもおじいさん」「枯れた味わい」といったイメージ。そこに中村雅俊は、穏やかで自然な現役感を見せたのだ。  人生100年時代と言われる中、70代、80代でも活躍する人は多くなっている。それを思えば、家族を描く朝ドラで、お祖父ちゃんの存在感が大きくなるのは当然のこと。トレンディドラマ世代の俳優たちもそろそろ還暦。仙吉のギターに負けないユニークな祖父役でブレイクする俳優が続出する可能性は、とても高い。
2018.08.21 07:00
NEWSポストセブン
鹿賀丈史 映画の新人を温かく迎えてくれた松田優作の思い出
鹿賀丈史 映画の新人を温かく迎えてくれた松田優作の思い出
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・鹿賀丈史が、劇団四季を離れて映画に挑戦してまもなく、『野獣死すべし』で松田優作の相手役を演じた当時について話した言葉を紹介する。 * * * 鹿賀丈史は1979年に劇団四季を退団、活躍の場を映像の世界に移す。その第一作となったのが、1980年の松田優作主演映画『野獣死すべし』だった。「四季で『カッコーの巣をこえて』に出た時に芝居の面白さに目覚めまして、映像もやりたいと思うようになったんです。ちょうどその時に黒澤明監督の『影武者』のオーディションがあったのですが、劇団のスケジュールと重なって受けられませんでした。そういうこともあって、劇団を離れて映画に挑戦してみよう、と。二十九歳の時に退団しました。 それで『野獣死すべし』の話をいただいて。松田優作さんというトップスターの相手役ですから、『ジーザス・クライスト=スーパースター』の主役に抜擢されたのと同じで、いきなり大きなチャンスに恵まれました。 あの時は怖いもの知らずでしたね。優作さんの芝居に自分なりに対抗しようとしていました。でも、優作さんはカメラさん照明さんから、全て自分に引っ張っていく。自分で作品を作っていく。そこは大俳優ならではです。自分でセリフも直していました。そういうのは舞台ではないことなので、驚きましたね。 優作さんと二人で芝居を作り上げる場面も多かったですが、『お前なりに好きにやれ』という感じでした。ただ、たまに『そういう芝居は損だからやめた方がいいよ』とボソッと言ってくださったり。そういう意味で、映画の新人を温かく迎えてくれましたね。自分が劇団四季で勉強してきたことを引っ張り出してもらったように思います」 翌1981年の篠田正浩監督『悪霊島』では主人公の名探偵・金田一耕助を演じている。「一本の映画を撮るのにいろいろな場所へ行って、日にちをかけて、贅沢な撮り方をするんだな、と思いました。それから、出演者の多い映画に出るのは初めてでしたので、自分が関わっていない場面がこう繋がっていくんだという面白さに気づき、映画って監督の手の中にあるんだということを知りました。 金田一は飄々とした人間だと思います。フラッと現われて、その中で眼光鋭く物事を捉える。でも、あくまで推理力よりも不思議な自由人。そういうことを意識して演じました」 1984年の和田誠監督『麻雀放浪記』では、カモから金を巻き上げる雀士・ドサ健を演じた。「まず脚本がよくできていましたね。戦後間もない時期の雨漏りしそうな小屋で麻雀に足を突っ込んでいった人間たちの姿が描かれていました。それに和田監督も俳優に優しくて。毎日、絵コンテを描いてきてセットの前に張って、これから撮るシーンがアップのサイズまで書いてある。おかげで、ドサ健の役作りがしやすかったです。 ドサ健は女を麻雀のカタにするような男ですが、決して悪い人間ではなくて、時代が生んだ男なんだと捉えました。 あの時期は大きな作品ばかり次々と来ました。映画に出ているうちに刑事ドラマにも出たりして。ですから、三十半ばまで、あれよあれよ。恵まれているという想いが相当強かったです」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。【鹿賀丈史×市村正親主演ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』】日生劇場(3月9~31日)などで全国公演※週刊ポスト2018年2月2日号
2018.01.27 16:00
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國村隼が語る「松田優作さんと高倉健さんが教えてくれた事」
國村隼が語る「松田優作さんと高倉健さんが教えてくれた事」
「僕の仕事の中心にあるのは、映画です。日本では映画に限らず舞台、ドラマと、オールジャンルをやるのが俳優の基本。だからこそ、自分の重心をどこに置くかは大事だと思っています」 国内外を問わず数々の映画で活躍する俳優・國村隼(61)。低く深みのある美声に、大阪弁独特の柔らかいイントネーション。穏やかな口調ながら、はっきりとこう続けた。「もし、何の俳優?と聞かれたら……映画俳優と答えるでしょうね」 映画デビューは1981年、井筒和幸監督が初の一般映画でメガホンをとった『ガキ帝国』だった。その後、『エイリアン』(1979年)で知られるリドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)のオーディションに合格。ハリウッドの大舞台で故松田優作が扮するヤクザの子分役として、高倉健とも共演を果たした。「優作さんとは不思議なご縁で、初めてお会いしたのが1988年の11月6日。そして亡くなられたのが、ちょうど1年後でした。撮影でロサンゼルスに1か月滞在しましたが、その時に優作さんに食事に誘われて、俳優としての心構えを教えていただきました。高倉健さんはやっぱり、日本最後の映画スターですよね。おふたりとご一緒できてから、自然と映画の世界を意識するようになりました」 予算わずか1000万円の『ガキ帝国』と、60億円のハリウッド大作『ブラック・レイン』という両極端な映画に関われたことも、國村に大きな影響を与えた。「撮影規模も現場の雰囲気も全く違いますが、どちらも2時間ほどの面白い映画なんですよ。映画って、かけたお金に比例して面白いものができるものでもない。それに映画は世界中で上映されることもあります。それを理解した瞬間、“映画ってなんて面白いんやろう”って思いました」 映画への熱い想いは尽きることがない。3月に日本公開された韓国映画『哭声/コクソン』(2016年)には、残虐な連続殺人事件が発生する村を舞台に、村人を恐怖に陥れていく“よそ者”で出演。迫真の演技が高く評価され、昨年11月、韓国最大級の映画賞である青龍映画賞で、外国人俳優として初の男優助演賞と人気スター賞を受賞した。 今年11月4日公開のベルギー・フランス・カナダ合作映画『KOKORO』では、自殺を考えて日本海の断崖を訪れる人々にそっと寄り添い、心の傷を癒す元警官・ダイスケを演じている。日本だけでなく世界を舞台にさまざまな撮影現場を経験してきた國村だが、「どんな映画でも、現場に入るときの心づもりは全く変わらない」と話す。「もちろん台本は読み込みますよ。でも、役というものは自分だけでつくるもんやない。現場で勝手に形づくられるものです。僕はひとりの被写体として映画に参加し、キャメラや照明、皆と一緒に作品をつくり上げていく。現場の違いがあるとすれば、監督の世界観だけ。『KOKORO』のヴァンニャ・ダルカンタラ監督と主演のイザベル・カレのふたりは、ともに穏やかな雰囲気の女性でした。現場に入ると僕もふたりと波長が合って、優しい雰囲気の映画に仕上がっています」 デビューから41年。次々と新たな作品に挑み続ける國村だが、息抜きは愛車との時間。役者を目指す前は自動車のエンジニアになりたかったというだけあって、車の話になると目が輝き、自然と饒舌になる。撮影中は、車好きのカメラマンと話が盛り上がった。「4年前にようやく、子供の頃から憧れていたポルシェのクラシックカーを手に入れました。最初はまるで自分の所有物っていう感覚がなかったですね。ドキドキして、自分の車なのに乗せていただいているという感じ。今でも購入した当初と変わらず新鮮で、ただ走っているだけで、なんでこんなに楽しいんやろう? って思う。エアコンがないので、真夏に乗ると汗だくになりますが、でも乗ります(笑い)」 屈託のない笑顔。その柔和な表情で人のいい“おっちゃん”を演じたかと思えば、ギョロリとした目付きで強面の悪人も演じる。幾多の作品に出ながら決して役柄の色がつくことはない。「役者とは何か」と尋ねると、しばし沈黙した後に答えが返ってきた。「優作さんが、『いいか、俺たち俳優はメッセンジャーだからな』とおっしゃっていました。自分の考えを声高に話すことはないが、使い手から命を吹き込まれ、誰かの意を伝える。役者は傀儡、操り人形なんです。役者という“入れ物”を通して、心の中に潜む“何か”をお客さんに感じてもらう。たぶんそれが役者というものじゃないかと思います」 スクリーンで見せる圧倒的な存在感。これからもずっと、國村は新たな顔を見せ続けてくれるのだろう。【國村隼(くにむら・じゅん)】1955年生まれ、大阪府出身。俳優。『ガキ帝国』(1981年)で映画デビュー。リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)に出演。以後、数多くの映画、ドラマで活躍。『萌の朱雀』(1997年)で映画初主演を果たす。昨年、韓国映画『哭声/コクソン』の演技が評価され、韓国最大級の青龍映画賞にて外国人として史上初の男優助演賞と人気スター賞をダブル受賞。11月4日からベルギー・フランス・カナダ合作映画『KOKORO』が東京・ユーロスペースほかにて全国順次ロードショー。12月には『鋼の錬金術師』『DESTINY 鎌倉ものがたり』が公開。2018年にジョン・ウー監督『追捕 MANHUNT(原題)』が日本公開予定。●撮影/平郡政宏 取材・文/戸田梨恵※週刊ポスト2017年11月10日号
2017.11.03 07:00
週刊ポスト
松田龍平が離婚へ 万能の姑・松田美由紀の存在が影響か
松田龍平が離婚へ 万能の姑・松田美由紀の存在が影響か
 モデルで女優の妻・太田莉菜(29才)と別居中の俳優・松田龍平(33才)がついに離婚を決意したという。 長女(7才)出産後に芸能活動を再開した莉菜は、モデルや女優仲間とのつきあいが増え、深夜のパーティーなどに出かけることもあったとのこと。そんななか、ある若手俳優と特別な仲になったとの話も浮上している。 莉菜が龍平と住んでいた家から出てしまったあと、娘の面倒を見ていたのは龍平の母・松田美由紀(55才)だ。元々、莉菜とも仲がよかった美由紀だが、その存在が莉菜にとってプレッシャーになっていたとも言われている。◆料理の腕前も人づきあいも一流の姑 龍平を語るとき、避けて通れないのが「松田優作ファミリー」の存在だ。龍平が6才の時に父・松田優作(享年40)が亡くなると、母の美由紀が龍平と弟の翔太(31才)、妹でシンガーのYukiを女手一つで育てた。 結束も固く、今も母の誕生日には必ずきょうだいが集まってお祝いをする。お互いの家を行き来したり、きょうだいで飲みに行くこともめずらしくない。 一方、ロシア人の母と日本人の父を持つハーフの莉菜は、3か国語を操るマルチリンガル。ロシア人の母とはとても仲がよく、仕事の合間に携帯を手に母とロシア語で会話する姿がよく目撃されている。松田家の知人が打ち明ける。「もともと、莉菜さんが結婚前の2008年に出した写真集のカメラマンを美由紀さんが務めたほどで、2人の仲はとてもよかった。美由紀さんの自宅や別荘、翔太くんのマンションに松田一家が集まる時も莉菜さんは一緒。もともと翔太くんも彼女とは友達でしたからね。彼女はいつも松田家と仲よくご飯を食べていましたよ。子育てと仕事の関係に関しても龍平さんの理解のもと、美由紀さんがフルサポートしていました」 実際、美由紀は莉菜のことを実の娘のようにかわいがった。莉菜の妊娠がわかった時、美由紀は以下のように喜びを爆発させている。《自分のことのように嬉しいです。私も結婚したくなっちゃった。(もうひとり)産みたくなっちゃった》 それでも家族の輪の中へ、莉菜が入るのは難しかったのか──。 美由紀は22才で龍平を出産後、若くして夫に先立たれ、以降は3人の子供を個性豊かに育てあげた。しかも子育てしながら浮き沈みの激しい芸能界を生き延びて、育児と仕事を見事に両立してきた。加えて、料理の腕前や人との交流術も超一級だと、美由紀の仕事仲間たちは口を揃える。「美由紀さんは今もよく自宅に友人を招いて料理をふるまっているそうです。彼女には健康オタクな一面もあり、農薬を落とすために専用の洗剤で野菜を洗い、盛りつけやお皿のセンスも抜群。メニューは、カレーや唐揚げなど普通のものなんだけど、アレンジが効いてておいしいらしいです」 現在も芸能界の第一線で活動しながら、家事や友人との交流を完璧にこなし、成人した子供たちの動向に目を配り、孫の世話まで一手に引き受けている姑。 以前は、嫁と姑のトラブルといえば、「家事や育児を疎かにして仕事に走る兼業の嫁」を「家事と育児を大切にする専業主婦の姑」がたしなめる構図が定番だった。当時、生活のために仕事を抱える嫁は、「仕事が忙しいから、どうしても家事や育児が手薄になってしまう。お義母さんの頃とは時代が違うんです」と言い逃れができた。 だが、共働きが当たり前になった現代では、「仕事と家事・育児の折り合いをつけてきた兼業の女性」が姑となるケースも増えている。そうした姑に対しては、「仕事が忙しいから」との言い訳はもはや通用しづらいのかもしれない。それによって嫁はつい劣等感を持ってしまうこともあるだろう。 13才でモデルになってから遮二無二に走り続け、21才で母となり家事や育児をしながら、女優という仕事に目覚めた莉菜と、何でもこなす美由紀の関係はまさにこのような嫁姑だったかもしれない。松田家を知る関係者が言う。「美由紀さんは孫がちゃんとした食事を取らせてもらっているかが心配で、預かった時は丁寧に作った子供のための食事をこしらえていました。彼女はそういうことがパッパッとできるし、娘のYukiさんも美由紀さんのしつけからか、家事をチャッチャと手伝える女性だそうです。莉菜ちゃんは“美由紀さんってすごい”とよく言っていました。お孫さんもすごく美由紀さんになついていて。でもちょっと複雑だったのかな…」 美由紀という「万能の姑」を前にして、ただ立ちつくすしかなかったのか、彼女が自分の場所を探し求めたのは、仕事という名の下の華やかな世界、夜な夜な繰り広げられるパーティーだった──。※女性セブン2017年3月9日号
2017.02.23 07:00
女性セブン
がん患者 治療中断した方が25%長生きするという調査結果も
がん患者 治療中断した方が25%長生きするという調査結果も
 全米で75万部のベストセラーになったノンフィクション『死すべき定め』(アトゥール・ガワンデ著、2014年)では、がんで余命わずかと宣告された女性が妊娠・出産を経て闘病する模様などが描かれている。 その本には興味深い研究結果がいくつかある。自身の余命の中で、最期に叶えたい目標について正直に主治医と話をした末期がんの患者は、話をしなかった患者と比べて人工呼吸器を付けられたり、ICUに入れられる割合が少なく、あまり苦しまず平穏に余生を過ごせたというのだ。 また、最期まで化学療法にこだわった患者より、治療を途中で中止した患者のほうが、25%も長生きするという逆転現象が見られた。そして、前者の遺族が深刻なうつ病に陥ったケースが多いのに比べ、後者の遺族は明らかに平穏に暮らせているという。 余命への向き合い方は、家族のその後にまで大きく影響するということだ。 死の床でも「美学」を貫いたのが松田優作(享年40)だ。親の愛情に飢えて育った松田は自らの家庭を何より大事にしていた。そんな彼だけに、余命宣告を受けてからも、自らの身より家族のことを心配していたという。「末期の膀胱がん発覚後、優作さんは、『心配をかけたくないのでカミさんには言わないでほしい』と医師にきつく伝えました。がんが進行して美由紀夫人に知られた後も、『元気になって龍平の運動会に行こうな』と当時まだ20代だった美由紀さんを励まし続けたことは有名です」(ベテラン芸能記者) 当時、松田には龍平(6才)、翔太(4才)、長女(2才)という3人の子供がいた。幼い子供を残して旅立つことは痛恨の極みだったはずだ。「それでも優作さんは、『息子2人に父親の弱いところは見せられないので絶対病院に連れてくるな』と美由紀さんに言い聞かせました。それで美由紀さんは娘だけ連れて見舞っていました。 危篤状態に陥っても、“カミさんはよけいなことをいうと全部信じるからよけいなこと、こいつに吹き込まないでくれ”と医師に頼み、美由紀さんが泣いていると、“お前、何泣いてんだ、泣くんだったら外へ出て行け”と」(同前) 2014年1月に肝内胆管がんの手術を受けた半年後、再発して「もって1年」と宣告された川島なお美(享年54)は最期まで女優業を全うする一方、夫の鎧塚俊彦さん(51才)に愛情を注ぎ続けた。「川島さんはがんが進行して体調が苦しくなってからも、仕事を終えて深夜に帰宅する鎧塚さんのため、必ず夜食を作って晩酌につきあいました。彼女は普段の生活を続けることを何より大事にしたんです。さらに亡くなる前日まで、多くの友人にメールを送り、鎧塚さんのサプライズ誕生パーティーの準備を進めていました」(川島の知人) 川島の死後、見つかったノートには次の一文があった。《再婚はできればしないでね。一緒のお墓に入りたいから。今までありがとう》 余命宣告を受けた患者の家族ができることについて、訪問看護事業を運営するホスピタリティ・ワン代表の高丸慶さんが指摘する。「余命宣告された患者は体の痛みのほか、心の痛みやお金の問題など社会的な痛みなどを抱えます。こうした医学では取れない痛みは家族の力で対応できる。例えば家族が患者の横にいてそっと触れるだけで、痛みを和らげるホルモン『オキシトシン』が分泌されて患者が安らぐんです」※女性セブン2017年2月16日号
2017.02.04 16:00
女性セブン
【著者に訊け】足立紳氏 初監督映画原作『14の夜』
【著者に訊け】足立紳氏 初監督映画原作『14の夜』
【著者に訊け】足立紳氏/『14の夜』/幻冬舎/1300円+税『15の夜』(by尾崎豊)ならぬ、『14の夜』である。近年、映画『百円の恋』等で脚本賞を総なめにする足立紳氏(44)の小説第2作は、自身の初監督映画(現在公開中)の原作でもある。 舞台は1987年夏、鳥取県のとある田舎町。中学生らの間に広まった、こんな噂の顛末を描く。〈来週の木曜日、ワールドのオープン1周年記念によくしまる今日子のサイン会がある。夜の12時を過ぎると、オッパイを吸わせてくれるらしい〉!? ワールドは町唯一のレンタルビデオ屋、よくしまる今日子は巨乳のAV女優のことで、初体験など程遠く、練習よりエロに夢中な弱小柔道部の〈タカシ〉たち4人組は気もそぞろ。〈オレら……この先の人生で、女のオッパイ思いっきり揉みまくれること……あるかな〉。だから彼らはゆく。今日子のオッパイが、自分を変えてくれると信じて!「実はこれ、噂自体は本当にあった話で、僕も行きました。当時大人気だったかわいさとみさんに会いに(笑い)。でも結局は誰も来なくて、夜の町をウロウロして……。その経験が面白い話になる気がしたので、まずは小説を書き、映画の撮影後にまた小説にフィードバックする形を取りました。映画ではタカシ、〈竹内〉、〈岡田〉、〈ミツル〉役の4人を全てオーディションで選びましたが、生身の彼らが動く度に物語が飛躍していったので」〈あの日、オレは初めて女のオッパイを揉んだ〉〈西野メグミのオッパイを揉んだのだ〉〈オレは、童貞を落とした日のことは忘れることがあっても、あの日のことは生涯忘れないだろう〉 メグミはタカシの隣家に住んでいた美少女で、暴走族のリーダーの彼女だった。だが20数年後の同窓会では誰もあの日のことを憶えておらず、本書ではタカシが幼馴染の胸を揉むに至った経緯を独白形式で遡る。 夏休みのその日、タカシは朝から揉める両親をよそに部活に出た。教師の傍ら作家を志す父はまたしても選考に落ち、ヤケ酒の上に接触事故を起こして謹慎中。同じく教師の母は、今日は姉が婚約者と帰郷するから早く帰ってこいと不機嫌に言う。今夜はサイン会があるのに、だ。 そんな時、タカシの視界に入ったのが映画研究部の〈野田〉たちだった。冴えないと思っていた連中は、最近何かの賞を取ったらしく新聞に載った。〈オレらって……考えてみると何も売りがないだがな〉〈下手したらオレたちより野田たちのほうがオッパイ揉みまくりの可能性、高いぞ〉 こうして今夜9時に校門集合と話は決まる。店を下見し、ついでにミツルの家で観ようとHなビデオを借りた4人だったが、不良の〈金田〉たちにビデオを奪われるわ、下着姿で徘徊する〈ケメ子〉にゲンナリするわ、散々な状態でその夜を迎えるのだった。◆夢みたいな話は描けない体質 とかく見て見ぬふりをされがちな奇行の人ケメ子や、半身不随の身でパチンコ屋に入り浸るミツルの父親。また、〈男偏差値〉10の父のようにはなりたくないと眉唾な通販グッズを購入するタカシもそう。どちらかといえば勝者より敗者に近い足立作品の登場人物が一晩で急成長するわけがない。「〈各国のスパイの間で大流行〉なんて、誰が考えてもあり得ないXスコープやシークレット靴下に、僕もまんまと騙された口(笑い)。そんな僕には尾崎の『15の夜』はカッコよすぎたし、映画でも主人公が成長しすぎると置いていかれた感があるんですよ。 それこそ本書で自転車を盗まれて走り出すタカシがオッパイを揉んだって、別に世界が変わるわけじゃない。彼がケメ子やミツルを下に見ることも含めて、ふわふわした夢みたいな話は描けない体質なんです」 要するに足立作品には、嘘がない。彼ら4人組の間にも序列は存在するし、不良の金田も暴走族には頭が上がらない。そんな町の上下関係に、あの夜はほんの一瞬、風穴が開き、タカシは大乱闘の中でボコボコにされつつも、メグミのオッパイに触った、らしい。 実は彼自身もよく憶えていないこのシーンや、父親が言う〈お前がかっこ悪いのは〉〈父さんのせいじゃないぞ〉〈お前自身のせいだ〉という台詞など、愛すべきダメ人間たちが一瞬だけ見せる輝きを、足立氏はコミカルかつ嘘のない形で切り取ってみせるのだ。「正直、こんな小さな話を一々映画にする意味があるのか、今でも自信がないんですよ。もっと大きな嘘や虚構で人を楽しませるのが、本来の映画じゃないかって。 でもできませんでしたね。昔からケン・ローチ監督の『ケス』とか、小さな話が好きだった僕は、中学時代も人一倍臆病で、その臆病さを打破できるのかという不安の方が、オッパイを揉めるかどうかより大問題だった。 つまり本書のオッパイは自分に自信を持つために越えるべき山で、たとえ負けても闘ったり、勝ちたいと思った事実だけで、少なくとも自分は変われるかもしれない。それが、僕が映画や小説で描きたい最大の嘘かもしれません」 映画『スタンド・バイ・ミー』の少年たちは死体を探しに行くが、本書の4人組はAV女優のサイン会に行き、一生忘れられない体験をした──。たったそれだけの話が胸を締め付けるのは、私たちの多くが勝ちたくとも勝てない、〈その他大勢〉だからだろう。現実はそう甘くないからこそ、彼らと共に笑い、泣き、一瞬の勘違いかもしれない勝利を心から祝福できる。それが足立作品最大の魅力だ。【プロフィール】あだち・しん/1972年鳥取生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二氏に師事。助監督等を経て脚本家に。「でもその後が食えなくて。年収50万稼ぐと妻に威張ってました(笑い)」。2012年「百円の恋」で松田優作賞を受賞し、2014年映画化。日本アカデミー賞最優秀脚本賞や菊島隆三賞、ヨコハマ映画祭脚本賞(『お盆の弟』と併せ)を受賞。2015年には創作テレビドラマ大賞受賞作『佐知とマユ』が市川森一脚本賞を受賞、昨年初小説『乳房に蚊』を上梓。168cm、68kg、O型。■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光※週刊ポスト2017年2月3日号
2017.01.29 16:00
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